沖縄県医師会 > 沖縄県医師会の活動 > 医師会報 > 9月号

上村昭栄先生藍綬褒章受章、野原俊一先生旭日双光章受章祝賀会、
新・旧琉球大学医学部長・附属病院長激励会

大山朝賢

常任理事 大山 朝賢

左より園子夫人と野原俊一先生、上村昭栄先生、佐藤良也先生、須加原一博先生、村山貞之先生

上村病院初代理事長、上村昭栄先生藍綬褒 章受章、南部地区医師会の老人保健施設「東風 の里」施設長、野原俊一先生旭日双光章受章に 対する祝賀会並びに琉球大学医学部長を退官さ れた佐藤良也教授(現同大副学長)、同大医学 部長に就任された須加原一博教授(前同大病院 長で前沖縄県医師会理事)及び同大病院長に就 任された村山貞之教授(沖縄県医師会理事)等 の激励会が去った7 月13 日(水)、ザ・ナハテ ラス(3 階・アダンの間)で同時開催されまし た。会場は医師会員や病院関係者でうめつくさ れていました。

始めに主催者を代表して宮城信雄沖縄県医師 会長より祝辞が述べられたあと、上村先生のご 業績を中部地区医師会長で県医師会常任理事の 安里哲好先生から、又野原先生のご業績を南部 地区医師会長の名嘉勝男先生から披露されまし た。続いて来賓を代表して宮里達也沖縄県福祉 保健部長から祝辞を頂いたあと、宮城信雄県医 師会長より上村先生、野原先生へ記念品の贈呈 がなされました。それから両先生も含めて佐藤 教授、須加原教授及び村山教授に県医師会や地 区医師会並びに産婦人医会より花束贈呈が行な われ、5 人の先生方からお礼のご挨拶が述べら れました。新垣善一議長の音頭による乾杯のあ と懇親会に移りましたが、閉会の時間がせまっ ても多くの方々が席を立たず、祝賀会と激励会 は盛況でした。

挨 拶

宮城信雄沖縄県医師会長
宮城信雄沖縄県医師会長

本日ここに、上村昭 栄先生藍綬褒章受章、 野原俊一先生旭日双光 章受章祝賀会並びに 新・旧琉球大学医学部 長・附属病院長激励会 を開催いたしましたと ころ、多数の皆様にご出席頂き、厚くお礼申し 上げます。

上村先生、野原先生のご業績は後程詳しくご 披露されますが、上村先生は日々の多忙な診療 に従事する傍ら、社会福祉法人の理事長として 長年にわたり、福祉サービスを必要とされる方 の福祉の向上にご尽力されたご功績により、ま た、野原先生は南部地区医師会役員として長年 に亘り、会の発展並びに県民の医療・保健・福 祉の向上に尽力されたご功績により、栄誉ある 章を受章されております。

本県の医療・保健・福祉の歴史を振り返って 見たとき、先生方がこれまで果たしてきた役割 はいかに大きなものであったかを改めて認識す るものであり、ここに、先生方の永年のご労苦 に対し沖縄県医師会を代表して深甚なる敬意と 謝意を表する次第であります。

また、皆様ご高承のとおり、琉球大学医学部 では、この度、佐藤良也医学部長が退任され、 新医学部長に須加原一博先生、また、新病院長 には村山貞之先生が就任されております。

本県における琉球大学医学部並びに同附属病 院の役割は非常に大きく、医学教育は元より、 常に県民に最新の医療を提供し、地域医療の向 上にご尽力いただいております。

さらには東南アジアを主とする諸外国との学 術交流及び保健・医療協力にも積極的に取り組 まれる他、2012 年に完成予定の「おきなわク リニカルシミュレーションセンター」では、最 新の機材を導入し、医師や看護師等が基本的な 診療技能を効率的に習得できると共に、専門的 な手技・手術の練習が行えることが出来、必ずや本県の医療界発展に貢献されるものと期待し ております。

これも偏に、歴代医学部長・同附属病院長を はじめ関係各位のたゆまぬご努力の賜と深甚な る敬意を表する次第であります。

特に、この度医学部長をご退任されました佐 藤先生におかれましては、学生の教育環境の改 善を積極的に推し進めると共に、高い倫理性を 身につけ、医学・医療の進歩や社会的課題に柔 軟に対応しうる医師、保健・医療従事者の育成 に努めるべく、医学教育のための特命教授を配 置しソフト・ハード両面から教育の充実を図ら れました。また、医学生の地域枠の増員にもご尽 力いただき、本県における離島医療を含めた医 師不足対策に多大なるご尽力を頂いております。

ここに改めて佐藤先生のこれまでのご労苦に 対し、衷心より深甚なる敬意と感謝の意を表す る次第であります。

また、この度、医学部長になられた須加原一 博先生におかれましては、平成20 年4 月から 附属病院長の重責を担われると同時に、本年6 月までの3 年余もの間、沖縄県医師会執行部の 一員として本会会務の運営並びに事業の推進は もとより、本会と琉球大学医学部との橋渡し役 を担って頂きました。会務では学術担当理事と して当会医学会の企画運営にあたられ、本県の 学術高揚の発展に大きく貢献されております。

今後は医学部長として強力なリーダーシッ プを発揮していただけるものとご期待申しあげ ます。

また、病院長にご就任された村山先生は、こ れまで本会の代議員、放射線科会長、地域医療 委員会委員として幅広いご識見の下に、会務運 営にご尽力いただいております。更に、今年の 6 月からは須加原先生の後任として沖縄県医師 会の理事にご就任頂いております。先生には、 大学と医師会のパイプ役を担って頂き、県下の 医療福祉の向上にご尽力をお願い申し上げる次 第であります。

さて、現在我が国では、先の東日本大震災を 発端とした原発問題をはじめ、政府の迷走により政治の行方は混沌としており、崩壊の危機に 瀕する地域医療の改善も当分の間望めるもので はありません。

しかしながら、我々医療に携わる者はいかな る状況にあっても、県民の健康と福祉を守るべ く、一丸となって県民医療を推進していかねば なりません。

上村先生、野原先生、佐藤先生、須加原先 生、村山先生におかれましては、何とぞ、この 崇高な使命の遂行のため、今後も引き続き医師 会に対し、ご指導・ご助言を賜りますようお願 い申し上げる次第であります。

終わりに臨み、先生方の今後益々のご健勝と ご多幸を祈念して私の挨拶とさせて頂きます。

業績紹介

安里哲好中部地区医師会会長
安里哲好中部地区医師会会長

上村昭栄先生、藍綬 褒章受章おめでとうご ざいます。

野原俊一先生、旭日 双光章受章おめでとう ございます。

琉球大学副学長にご 就任された佐藤先生、医学部部長に就任された 須加原先生、病院長にご就任されました村山先 生、誠におめでとうございます。

中部地区医師会を代表しまして、この度上村 先生藍綬褒章受章に際し、輝かしい数々のご功 績の中から主なものを簡単にご紹介させていた だきます。

先生は昭和40 年に産婦人科を開業以来、多忙 な診療の日々の傍ら、昭和63 年4 月からは沖縄 県の要請を受け、経営難に陥っていた沖縄県精 神薄弱者育成会より事業を引継ぎ、社会福祉法 人緑和会の理事長として、職員の意識改革、経 営の再建を図り、当時の100 名の利用者の生活 の場の確保するために奔走されました。更に、知 的障害者の支援に寄与すべく、平成元年度に知 的障害者入所更生施設を新たに開設、平成9 年 度には地域社会との交流の場となる環境作りを行うべく、地域交流ホームを設置しております。

また、在宅福祉への取り組みとして、短期入 所、ホームヘルプ、沖縄県知的障害者発達支援 センター等の事業を積極的に推進し、知的障害 者のニーズに応えると共に、緊急時の受入先施 設としても地域に多大な貢献をしております。

更に、地域生活援助事業のグループホームを 開所し、地域社会での生活と就労支援を行って おります。

また、上村病院では、46 年余もの長きに亘 って妊娠、分娩を中心とした母子の健康管理に 尽力されておりますが、今日に至るまで実に5 万人を超える新生児が上村病院で誕生しており ます。これまで、3 世代にわたって上村病院で お産するご家族もおられると伺っており、いか に上村病院が地域住民から絶大なる信頼を得て いるかが伺えます。

更に、上村先生は、妊産婦及び乳児の健康相 談、育児相談、栄養相談及び受胎調節の指導等 を積極的に行い、母子の健康管理に努めると共 に、市内の女子中学生を対象にした、赤ちゃんの 抱っこ体験などの母子保健事業への取り組みや、 学校での性教育を精力的に実施しております。

更に、現在の日本産婦人科医会の前身であ る、日本母性保護医協会沖縄県支部長を平成2 年から11 年間もの永きに亘り務めており、集 団検診だった子宮がん・乳がん検診の受診機会 の拡大・受診者年齢層の拡大を図るため、個別 検診への移行の重要性を訴え、現在では殆どの 市町村で実施されるまでになっております。

ご紹介いたしました以外にも、数々のご功績 がございますが、時間の都合上、割愛させて頂 きます。

この度、上村先生のこれまでの長年に亘るご 功績が認められ、藍綬褒章受章の栄に浴されて おります。上村先生は、中部地区医師会の重鎮 として、現在でも我々を指導していただいており ます。健康で、一緒にゴルフをしていても我々と 同じくらいの距離をとばし、良いスコアを出しま す。大きな体ですが、ほほ笑んだ時のまなざし、 慈愛の笑顔がとても素敵であります。上村先生のこれまでのご労苦に対し、改めて深甚なる敬意 と感謝の意を表すると共に、いつまでもご健勝で ご活躍されんことを祈念いたしまして、簡単では ございますが業績紹介を終わります。この度の受 章、誠におめでとうございます。

名嘉勝男南部地区医師会会長
名嘉勝男南部地区医師会会長

この度の野原俊一先 生、旭日双光章受章に 際し、輝かしい数々の ご功績の中から主なも のを簡単にご紹介させ ていただきます。

先生は、昭和42 年7 月の開業以来、産婦人科医として日夜多忙な 中、昭和51 年4 月から平成4 年3 月まで、南部 地区医師会の役員として、会長3 年、副会長10 年、幹事(現在の理事)3 年の計16 年間務める と共に、平成14 年4 月から当時の執行部より強 い要請を受けて再び理事に就任され、以来、現 在にいたるまでの約9 年間と併せ25 年余もの長 き亘り、地域医療、保健、福祉の向上発展並び に南部地区医師会の事業運営の円滑な推進にご 尽力されました。

特に、南部地区医師会の社団法人認可取得及 び南部地域における保健福祉活動の拠点となる 医師会館並びに付帯施設の老人保健施設「東風 の里」の創設に尽力し、念願であった医師会館 建設に貢献しております。

また沖縄県立知念高等学校の学校医を32 年 間、与那原町立与那原中学校の学校医を14 年 間、南城市立玉城中学校の学校医を5 年間務め られ、児童生徒及び教職員の健康保持増進並び に健康教育等を実践し、学校保健活動に尽力し ております。さらに、開業から現在に至るまで 与那原町を中心とした南部地域の各種予防接種 にも積極的に取組み、予防接種事業の円滑推進 と伝染病予防に尽力されております。

また、開業から3 年間にわたって、現在の日 本産婦人科医会の前身である日本母性保護産婦 人科医会沖縄県支部評議員を務められ、母子保 健諸事業の円滑推進に精力を注がれております。

さらに、地域における健康教育等にも積極的 に参画し、地域住民の健康保持増進に努められ ました。特に自治体が実施する各区における健 康講話・健康相談には毎年参加し、率先して地 域住民の健康管理をするなど、その熱意は住民 や自治体からも高く評価されております。

ご紹介いたしました以外にも、数々のご功績 がございますが、時間の都合上、割愛させて頂 きます。

この度、野原先生のこれまでの長年に亘るご 功績が認められ、旭日双光章受章の栄に浴され ております。野原先生のこれまでのご労苦に対 し、改めて深甚なる敬意と感謝の意を表すると 共に、いつまでもご健勝でご活躍されんことを 祈念いたしまして、簡単ではございますが業績 紹介を終わります。

野原先生は、現在も南部地区医師会の老健施 設「東風の里」施設長を務められるとともに、 理事でもあり、お元気で頑張っておられます。 今後とも、南部地区医師会の活動にご協力を宜 しくお願い申し上げます。この度の受章、誠に おめでとうございます。

祝 辞

宮里達也沖縄県福祉保健部長
宮里達也沖縄県福祉保健部長

上村昭栄先生の藍綬 褒章受章、野原俊一先 生の旭日双光章受章祝 賀会及び新・旧琉球大 学医学部長・附属病院 長激励会合同開催され るにあたり、ごあいさ つを申し上げます。

上村先生、野原先生この度の栄えある受章、 誠におめでとうございます。心よりお祝い申し 上げます。

これらの章の選定基準として、藍綬褒章は公 衆の利益を興し成績著明である者は又は公同の 事務に尽力した者、旭日双光章は国家又は公共 に対して功労がある方のうち、功績の内容に着目し、顕著な功績を挙げた方に対して授与され るものとなっております。

上村先生におかれましては、社会福祉法人緑 和会の理事長を20 年間務め、経営難に陥って いた法人の経営を立て直し、知的障害者に対し て閉鎖的だった地域社会とのつながりを構築す る等積極的に環境作りを行っており、地域に大 きく貢献されました。この度は社会福祉功績と して授与されたものであり、その御功績に対し 深く敬意を表します。

野原先生におかれましては、産婦人科医とし て地域に貢献する傍ら、南部地区医師会の役員 を24 年間務めるなど、地域医療、保健、福祉 の向上・発展並びに、医師会の事業、運営の円 滑推進に大きく貢献されてきました。この度は 保健衛生功労として授与されたものであり、そ の御功績に対し深く敬意を表します。

さて、琉球大学の佐藤医学部長が退任される ということでたいへんお疲れ様でした。新しく 医学部長に就任されます須加原前病院長、新病 院長に就任されます村山教授就任おめでとうご ざいます。これからも沖縄県の医療の為、連 携・ご協力を宜しくお願いします。

沖縄県においては、「安心して暮らせる保健 医療の充実」を図るため、健康づくり運動等を 推進するとともに、医師等医療従事者を養成確 保し、患者・利用者の視点に立った医療の確保 や予防対策の推進並びに地域医療の質の向上と 切れ目ない医療提供体制の整備に取り組んでお り、今まで以上に県医師会をはじめ関係者の皆 様と連携・協力し、総合的な保健医療体制の確 立に努めていきたいと考えております。

今後とも一層の御支援、御協力を賜りますよ うお願い申し上げます。

結びに、栄えある表彰を受けられました上村 先生、野原先生及び琉球大学医学部長を退任さ れます佐藤教授、新しく就任されます須加原前 病院長、新病院長に就任されます村山教授のま すますのご健勝と御活躍、沖縄県医師会のご発 展並びに会場の皆様のご健勝を祈念申し上げ、 お祝いの言葉と致します。

謝 辞

上村昭栄先生

本日は、私たちの為に盛大なる医師会の祝賀 会・激励会を催していただき心から御礼申し上 げます。

私の受章の経過を簡単に申し上げますと、福祉 保健部長より御祝辞がありましたように、昭和 63 年、私が61 歳のとき、当時の保健部長がわざ わざ私の病院にお見えになり、緑和会の今後の経 営が非常に困難になっており、手助けが必要であ るため、立て直しをお願いしたいとのことでし た。内情はダウン児や自閉症等の精神障害児が 100 名程収容されており、もしだめになると、父 兄はもちろんのこと、この子たちが路頭に迷うと いうことになっていました。私が頑張ろうと、開 業20 年後の61 歳のときに引き受けました。

引き受け、内情を調べてみますと、相当な欠 陥があり、埋め合わせをしてスタートしたわけ ですが、最初から恩恵を受ける、給与をもらう といったことは期待しておらず、20 年間無償 で務め、完全に復旧したあと、重症の精神薄弱 児やダウン症を50 床ほど増やし、収容したわけであります。

現在は、200 名受入の他に、50 名程の通学 可能な精神薄弱児を受け持つ学園を設置してお ります。現在は完全に持ち直し、恐らく沖縄一 の心配のないところまで来ていると思います。 父兄からも大変喜ばれております。

そういうことで私は自己満足していたところ、 従業員より、藍綬褒章を受章できるようにと東 京まで赴きわざわざ直訴しに行ったところ、そ れが成功したのであります。私は従業員に非常 に感謝しております。従業員が盛り上げ、これ だけの施設にした従業員の志が実り、このよう な栄誉ある章を頂くことが出来ました。

まだまだ話は尽きませんが、時間の都合上こ れくらいに致します。

本日はどうも有難うございました。

野原俊一先生
野原俊一先生

本日は、皆さんお忙し中を祝賀の宴に預かり まして大変有難うございます。

私の横におられる上村先生は昭和26 年に英語学校の講師をしておられ、私の恩師でございま す。恩師のそばで恐縮している次第であります。

先ほど、沖縄県の福祉保健部長宮里先生より 大変過分・貴重な祝辞を、南部地区医師会長の 名嘉先生には過分な経歴の紹介を頂き、誠に有 難うございます。

私は、医師会や地域の自治体が計画して下さ った子宮がん検診、予防接種、学校検診に対し、 協力させていただいたということで、これが日 を重ねて今回の受章になったと思っております。

これも、偏に先生方のご指導・ご支援があった ことで、大変光栄に存じ、誠に有難うございます。

また、ただいま名嘉先生からもご紹介があり ましたが、南部地区医師会立の介護老人保健施 設「東風の里」において勤務させていただいて おります。

後期高齢者になっておりますので、健康が許す 限り介護保険に携わっていきたいと思っておりま すので、今後とも先生方のご指導・ご支援をお願 い申し上げまして、甚だ簡単ではございますが、 本日のお礼のご挨拶にかえさせていただきます。

本日は、誠に有難うございます。


左から、安次嶺先生、上村先生、宮里先生


左から、名嘉先生、野原先生、永山先生、嘉手苅先生


左から、佐藤先生、瀧下先生、須加原先生、名嘉村先生

佐藤良也前医学部長
佐藤良也前医学部長

本日は、私どもの為にこのような会を催して いただき、大変有難うございます。

御案内がございましたとおり、この3 月末で 琉球大学医学部の定年退職と併せまして拝命し ておりました医学部長も退任しております。

思い返してみますと、私が沖縄に赴任したの は、医学部の第1 期の学生を受け入れた年の4 月でした。数えますとちょうど満30 年の長き に亘って琉球大学医学部でお世話になったとい うことであります。

私が退任いたしまして、文字通り琉球大学医 学部の第一世代の教員は姿を消すということに なり、現在は医学部の教授の方々は、2 ・3 代 目、特に3 代目の教授が約半数を占めるぐらい に若返ってきております。

こういった若返った琉球大学が、引続き沖縄 の医学教育・医療の為に医師会の先生方と協力 しながら更に発展していってくれるものと私自 身は大いなる期待をしております。

また、御案内がありましたように、退任する前の3 年間、思いもかけず医学部長を拝命する ことになり、正直この3 年間、私にとっては非常 に重く、つらい3 年間だったと思っております。

特に、先生方もご存じのとおり、最後の1 年 間は、論文不正問題でほとんど1 年間ネガティ ブな作業に追いたてられたような状況で、3 年 間と言いつつも琉球大学の為に何かためになる ことをやれたのかなという思いを未だに引きず っております。

そういう中で、私と一緒に就任いたしました 須加原前病院長にはいろいろ教えていただき、 何とかやってこられたかなと思っております し、また、宮城会長をはじめ、医師会の先生方 には平成21 年度から導入いたしました地域枠 の学生の地域医療教育の点では大変ご指導・ご 協力を頂き有難うございました。この学生たち が今後沖縄の地域医療をしっかりと担うような 医師として育ってくれるように、引き続き先生 方のご指導・ご協力を宜しくお願いしたいと思 っております。

最後になりますが、4 月からは大学本部で理 事・副学長に就任し、引き続き大学に在籍させ ていただいており、岩政学長をなんとか支える ということで、担当は病院、地域医療という御 命令でありますので、もうしばらく先生方には いろいろとご指導を仰ぎながら私の出来ること をやっていきたいと思っておりますので、宜し くお願いします。

本日は、お忙しい中、このような会を催して いただきまして、有難うございます。

左から、大屋先生、村山先生、金城先生、宮城先生


上村先生を祝福する當山護先生


兄俊一先生を祝福する野原忠先生


須加原一博先生
須加原一博先生

こういう晴れやかな席で激励会を開催いただ き、有難うございます。

上村先生の藍綬褒章受章並びに野原先生の旭 日双光章受章、誠におめでとうございます。心 よりお祝い申し上げます。

晴れやかな席でこういう激励会をしていただ けると、大変光栄でうれしく思っているところ です。私が沖縄に赴任いたしましたのは2000 年で、ちょうど10 年余りが経ったところであ ります。麻酔科医不足であり、どうやって麻酔 科医を育てるかということに力を注いでおりま したが、皆さんの支えで少しは良くなっている と思っております。

病院長在職3 年間は、県医師会の理事のメン バーとしていれていただき、理事者が非常に県 民の健康を第一に考え、熱心に討議されておら れるのを見まして、やはり親身になって健康或 いは医療を考えることが大事だということで、 病院長としても、大学の使命・役割を第一に考 え、県医師会との連携を図ってきました。

お陰さまで、県、県医師会の先生方、県立病 院、民間病院の先生方の支えで、ある程度のこ とが出来てきているかと思っており、あと1 年 はゆっくり病院長の席で過ごそうと思っていた ところ、うれしそうな顔しているからでしょう か、最も苦労する席である、医学部長を拝命い たしました。もう少し苦労をしなさいというこ とでしょうか。佐藤先生がだいぶ苦労されてこ られ、立派な大学院講座制や地域枠、教育研究 及び地域医療への道筋をきちんと立てられ、尊 敬しておりましたところ、私がそれを引き受け ることになるとは夢にも思っておりませんで、 固辞したのですが、今では佐藤先生の御苦労を 身にしみて感じ、少し元気がなくなっていると ころであります。

地域枠の学生をいかにキャリアパスを形成し て立派な医師にするか、或いは医学部の学生を 全国に誇れるような医師養成、教育の改革を 少し始めております。若い先生方、新しい考え を持った先生方の意見を取り入れて、できるだ け新しい夢のある医学部にしようと思っており ます。

これまで以上に、先生方のご支援をいただい て、教育研究、生涯教育等の沖縄モデルが全国 に示せるように、ご支援をいただければという お願いをもって、お礼の挨拶に致します。

左から、須加原先生、古謝先生、廖先生ご家族、真栄田先生


左から、山本先生、佐藤先生、 喜屋武先生ご夫妻


左から、瀧下先生、村山先生 宮里部長、高良先生


村山貞之先生
村山貞之先生

病院長に就任いたしました村山でございます。

このような晴れやかな会にお招きいただき、 激励していただけいるということで、非常に光 栄に思っております。誠に有難うございます。

私は、病院長になって今日で104 日目でござ います。私は昭和30 年生まれで、病院内には 諸先輩方がおられる中で、なぜ私がと最初は戸 惑ったわけでございますが、須加原病院長の下 で、副病院長として支えさせていただきまし て、そういったことで御指名を受けたような形 と思っております。

須加原先生がやられた事をやっていけばいい のかなと思い4 月1 日を迎えたわけですが、そ の責任の重さが肩にずっしり来るということ が、なってみて初めて分かりました。100 日余 りが経ちますが、非常に苦労して、眠れない 日々が続いているところです。

琉大病院と言うと山の上にまるで伏魔殿のよ うなイメージがありまして、感じが悪いという ご意見も聞くところはありましたが、この5 年 間、医療福祉支援センターの連携室長をしてお り、大学はどういうところである、大学病院は どういうふうに見られているということをいろ いろ考えていたところでありますので、今後は 一つのキャッチフレーズとして、「県民に愛さ れる大学病院」を目指すということを考えてい きたいと思っております。

そのためには、会員の皆様との連携を深め、 医師会の理事として、大学病院と県医師会、県 内病院の橋渡し的な役割を果たし、大学に在籍 する医療従事者が大学病院を好きになること が、県民に愛される病院にする一つのステップ ではないかと考えており、いろんな策を考えて いきたいと思っております。

本日は、存じ上げている先生方もたくさんい らっしゃって、非常にありがたいと思っている 次第です。まだ若輩ではありますが、ご指導・ ご鞭撻をいただきましてなんとか琉大病院、沖 縄県の医療を盛りたてて行きたいと思いますの で、宜しくお願い致します。

会場風景

会場風景