沖縄県医師会 > 沖縄県医師会の活動 > 医師会報 > 7月号

東日本大震災医療支援終了の報告

玉城信光

副会長 玉城 信光

出口先生の電話から始まった。3 月12 日の 朝、鹿児島出張の支度をして病院に着いたとき に電話がなった。3 月11 日に発生した東日本大 震災を受けて医療団の派遣をしましょうとの提 案であった。阪神・淡路の医療支援を経験した 先生の動きは速かった。宮城会長に電話をし て、私は医療支援の為に沖縄に残り打ち合わせ を始めた。

14 日(月)の午後、15 日に第1 陣を派遣す る事を決定し、班の編成、薬品や物資の調達、 支援金寄付のお願いに取り掛かった。第1 陣の 出発から15 陣まで79 名の医療支援班の派遣を 行った。支援金は1,400 万円余に上った。多く の先生方の気持ちをのせて送り出された医療班 は避難所の方々をはじめ岩手県の関係者から大 変感謝され、5 月31 日に無事大槌町における医 療支援を終了した。

医療支援の撤退をすることは難しい。現地 の担当者が決定すればその後にトラブルが発 生したときの責任を問われることにもなる。し かし、これまで被災者に寄り添ってきた医療 班がいきなり撤退することは被災者の不安を 助長することにもなる。沖縄県の医療班は現 地の開業医の先生方の開院、県立大槌病院の 診療再開、各県の医療支援チームの状況をみ ながら、釜石の対策本部などとも調整し、5 月 31 日をもって撤退することを決定した。撤退 にあたり、まずは診療時間の短縮をおこなっ た。24 時間避難所に寝泊まりをしていたのを、 遠野市に宿泊を決め夜間の診療を中止した。 沖縄県医師会撤退後の診療は日赤チームが巡 回診療であたることになり、城山体育館で診 療した患者さんのカルテを日赤チームに引き継 いだ。カルテは後日沖縄県医師会に戻される。 カルテの解析をする中から、医療支援のあり 方や今後の医療支援の必要事柄が生かされていくであろう。

沖縄県医師会の医療支援は3 月と4 月は JMAT として日本医師会の派遣の形をとってき た。5 月は沖縄県と調整の上、沖縄県の派遣として行政と一体となった事業として展開してき た。各医療班の報告にみられるように震災から 日を重ねるごとに大槌の避難所や地域における 生活状態が落ち着いてきた。5 月27 日の金曜日 に沖縄県の医療支援の終了を報告するために、 私と上原事務局長、徳村係長の3 名で岩手県医 師会、岩手医大、遠野市役所、大槌町役場、大 槌病院仮設診療所、道又医院、釜石市対策本部 を訪問しこれまでのお力添えに感謝し、これか らも沖縄県医師会として支援していくことを約 束してきた。(写真1 〜 4)(沖縄県医師会のホ ームページhttp://www.okinawa.med.or.jp/に 詳細は掲載してある)

写真1

写真1.岩手県医師会訪問:写真左より、千葉統括部長(岩手県医師会)、石川会長(岩手県医師会)、小生、上原事務局長(沖縄県医師会)

写真2

写真2.岩手医師大学訪問:写真左より、鈴木医学部長、小川学長、小生、上原事務局長、小林病院院長、徳村係長(本会事務局)

写真3

写真3.釜石対策本部訪問:寺田本部長(写真右)。

写真4

写真4.県立大槌病院仮設診療所全景

写真6 にみられるように瓦礫は大方片付けら れてきたが、復興には今しばらくの時間が必要 であろう。また大槌町臨時議会が開催され予算 の審議も始まっているようである。学校が始ま っているためか城山の避難所には小学生の姿は なく子供たちが元気に遊んでいて、ツツジの花 も満開であった。大槌小学校は津波と火災で焼 けこげているが、城山の避難所には鯉のぼりが あげられ元気を取り戻してきたのがわかる。 (写真5)

写真5

写真5.避難所でなびく鯉のぼり。

避難所では多くの人々の集団生活があるが、 仮設住宅ができ、避難所の集団生活から各家庭 の生活に戻ったときに、少なくなった家族をみ て気持ちの整理をもう一度しなければならない かもしれないと思いを馳せた。そのときには再 び心のケアなどが必要になるかもしれない。

このたびの医療支援活動では派遣された皆様 から大変感謝された。沖縄県医師会が感謝しな ければならないのだが、先生方、看護師の皆さ ん、事務の皆さんから大変感謝された。「貴重 な経験をさせていただいてありがとうございま した」とのことである。私たちの日常診療や 各々の生き方に役に立つ大きな収穫があったと 思われる。派遣を計画した私にも大きな収穫が あった。個人的にもだが、県医師会事務局にと っても大きな収穫があったと思う。医師会事務 局から女性も含め、のべ10 名の職員が医療支 援に参加してくれた。医療班への説明会、必要 な物資の調達、関係機関への調整、空港での送 り出し、迎えなど手分けしてたくさんの仕事を こなし大いに勉強になった。そして何よりもこ れまで自分の課を中心にしていた仕事を超え て、みんなで協力してやらなければならないと 結束力が強くなったと思う。困っている仕事を 手伝ってあげたり、知恵を出し合ったり、これ からの医師会事務局の頼もしい姿を見ることが できた。

この貴重な経験を5 月31 日で終わらすこと はできない。派遣された皆さんの記録集を作り たいと考えている。写真を織り交ぜながら、支 援に協力して頂いた皆さんにも役に立つものを 作りたいと考えている。

また、沖縄で災害がおこったときにどのよう に対処するのか、貴重な経験をもとに沖縄県医 師会として災害対策マニュアルを作成したいと 考えている。もしものときに、各人は何ができ るか、どのような指揮系統のもとで効果的な仕 事ができるのか。多くの貴重な経験を残し沖縄 県医師会の第1 次医療支援が終了した。一緒に 活動した同士としての絆をこれからも大切にし ていきましょう。皆様、本当にありがとうござ いました。

写真6

写真6.城山体育館から見渡す市街地:体育館周辺には色とりどりの花が咲いている。