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外傷性頚部症候群の診断と治療

琉球大学医学部附属病院整形外科
野原 博和

【要旨】

本論文は、外傷性頚部症候群の歴史と概要、診断、治療について、過去の文献を 参考にして述べた。追突事故による軽微な外傷で頚部痛、頭痛、肩こり、吐き気、 四肢のしびれ感、耳鳴りなど多彩な症状を来たし、治療に難渋する症例も少なくは ない。Quebec 分類では「むち打ち損傷」に関して患者の自覚症状と理学所見、脊 椎の構築学的異常の有無に基づいて、5 つの診断カテゴリーに分類し治療法につい ても言及された。最近は、起立性頭痛、悪心・嘔吐、めまいなど様々な自覚症状を 呈する低髄液圧症候群の診断で硬膜外自家血パッチの治療される症例もある。今後 は、多様化したそれぞれの病態の解析と、それぞれの病態に対応する新しい治療法 の開発が望まれる。

はじめに

外傷性頚部症候群(whiplash-associated disorders; WAD)は交通外傷やさまざまな外 力により発生する多様な頚部愁訴を包含する症 候群である。一般的には追突事故などによる無 自覚状態の受傷が多く、acceleration injury と して定義されてきた。

沖縄県警察本部の報告によると、平成21 年 度の交通事故発生件数は5,542 件であった。死 者数は4 3 人、重傷者は7 4 0 人、軽傷者は 5,851 人で実に88 %は軽傷者として取り扱わ れている。軽傷者の中には追突事故などの軽微 な外傷後に頚部痛を自覚し、画像的に明らかな 異常がないことから「むち打ち症」、「頚椎ねん ざ」などの病名を告げられる患者も少なくな い。多くは保存療法で症状の改善を得るが、上 記患者の中には頚部痛、頭痛、肩こり、吐き 気、四肢のしびれ感、耳鳴りなど多彩な症状を 自覚し、事故から半年や1 年経過し、薬物療 法、温熱療法や牽引療法などの理学療法、針治 療、整体などの民間療法などを駆使してもいっこうに症状が改善しない患者さんも多い。病態 の解析が困難であり、科学的な検証を省略され るため、いわゆる「compensatory disease」や 「waste-basket syndrome」と言われることも ある。現在、本邦においても年間約20 万人あ まりの人々が交通外傷などで「外傷性頚部症候 群」の病名が与えられると言われている。最近 では「低髄液圧症候群」や「脳脊髄液減少症」 などの病名を譲渡され、混乱の一途をたどる事 もある。

T 歴史と概要

ここで混乱している病名を整理してみる。 1928 年にCrowe1)が「Whiplash injury of the cervical spine in proceedings of the section of insurance negligence and compensation law.」の論文を報告し、「whiplash injury」に 日本語直訳の「むち打ち損傷」の言葉が適応さ れ、広く使用されるようになった。頚部がむち を打つような受傷機転で発症することから命名 され、以降は多くの論文が報告された2)3)。多くの整形外科領域では「あきらかな靱帯、骨、 関節の損傷がみられないもの」と要約できる。 現在では「むち打ち損傷」という病名はほとん ど使用されなくなり、症状の多彩さから「外傷 性頚部症候群: traumatic cervical spine syndrome 」と呼ばれることが多くなった。2000 年に遠藤ら4)が、「頚部外傷によって生じた頚 椎ならびに神経系の構築学的、神経学的帰結で あり、運動および神経系の多彩な異変のみなら ず、精神神経医学ならびに、耳鼻科的、視覚的 平行機能障害をも伴いうる症候群である」と定 義している。また患者の心理的要素や補償など の社会的要素が複雑に絡み合みあうため、その 病態を明らかにすることが困難となる。補償制 度が整備されていない地域では慢性化する外傷 性頚部症候群の頻度が低いとする報告もある が、補償制度の整備の程度にかかわらず、追突 事故後に発生する頚部痛の頻度は同程度に発生 しているとも報告されている。平成16 年度に は日本整形外科学会学術プロジェクト委員会内 に外傷性頚部症候群の病態解析と診療指針作成 等に係る検討部会が発足し、病態の多様性、生 体力学、動作解析学、神経生理学、液体物理 学、画像診断学、分子薬理学、物性医工学、精 神神経医学など多面的方向から調査研究が行わ れている。一方、一部の脳神経外科領域を中心 にして「低脊髄圧症候群」の言葉が称されてき た。脳脊髄液は全体で約150ml であり、絶え ず産生、吸収を繰り返しており、1 日に産生さ れる量は約500ml5)である。また、脊髄は脊髄 液に浮遊した状態であり脊髄液の減少や圧の変 化は脳・脊髄に影響を与えるとされる。特発性 低脊髄圧症候群は、1938 年にSchaltenbrand が原因不明の起立性頭痛として初めて報告し た。1983 年にはMurros らが国際的に提唱し たspontaneous intracranial hypotension(特 発性頭蓋内圧症候群; SIH)が一般的になっ た。本邦では1999 年にMoliri が命名した 「CSF hypovolemia ;脊髄液減少症」が汎用さ れているが、hypovolemia は適切ではない6)と する意見が多く「spontaneous CSF leak ;特 発性脳脊髄液漏出症」が使用される様になり、 現在では「低髄液圧症候群」と称されることが 多い。低髄液圧症候群は、髄液量の減少により 起立性頭痛、悪心・嘔吐、めまいなど様々な自 覚症状を呈する症候群である。2001 年、篠永 らによって、追突事故での軽度の交通外傷でも 同様な病態が生じると報告された。それにとど まらず、咳やいきみ、カイロプラクティスなど の軽い外力でも、硬膜が伸展・損傷され髄液が 漏出する可能性があるとの報告もある。脳槽シ ンチグラフィーや脊髄造影MRI などで診断さ れ、一時、マスメディアによる過剰な報道もあ ったが、その病態に関しては不明な点や疑問点 が多い。外傷性頚部症候群の一部であり、決し て全体を把握しているものではないと考えた方 が現実的であろう。その診断方法や治療方法の 確立にはさらなる検討が必要であると考えられ る。交通外傷に起因した精神疾患もある。その 罹患率と重傷度は時間の経過で軽減するが、心 的外傷後ストレス傷害(PTSD)は交通事故後 約半年で25 %程度にみられ、長期化すること が多いとされている。その他、交通外傷に特有 の精神障害として、急性ストレス反応、補償に 対する不満や怒り、旅行に対する不安や恐怖な どがある。

U 診断

外傷性頚部症候群は多彩な症状を来す。頚部 痛、頚部運動障害、感覚運動障害、脱力、麻痺 など整形外科・神経学的症状、視覚障害などの 眼科的症状、耳鳴、聴力障害、嚥下障害、発語 障害、めまい、平衡傷害などの耳鼻科症状、咬 合障害、顎関節痛などの口腔外科的症状、不安 神経症、注意力記銘力障害などの神経心理学的 症状などがある。原因として、整形外科的には 画像でとらえにくい椎間板障害、椎間関節捻 挫、靱帯損傷、神経根・脊髄障害などが原因と して考えられるがそれだけで説明できない症例 も多い。自律神経不全や眼、前庭、脳神経障害 の可能性も示唆され、ときに頚部疾患から生じ る眩暈7)や頚性狭心症(cervical angina)と称される胸部痛を来すこともある。

外傷性頚部症候群やむち打ち損傷に関しては 有効な診断基準は無かったが、1995 年にカナ ダのQuebec 州特別審査委員が、自動車保険協 会への報告書で「むち打ち損傷」に関しての定 義を改めて報告し、患者の自覚症状と理学所 見、脊椎の構築学的異常の有無に基づいて、下 記の5 つの診断カテゴリーに分類し、治療法に ついても言及した(Quebec 分類)8)

  • Grade 0 :頚部の愁訴無し。
  • Grade T:頚部の疼痛、硬直、または圧痛の愁訴のみ。理学的異常所見無し。
  • Grade U:頚部の愁訴と骨、筋肉症状の存在(関節可動域の低下、圧痛点など)。
  • Grade V:頚部の愁訴と神経学的所見の存在(深部腱反射の低下・消失、筋力低下、感覚障害など)。
  • Grade W:頚部の愁訴と骨折または脱臼。
  • Grade 0 〜Uまでがいわゆる「むちうち損傷」と一般には認識されている。

V治療

Quebec 分類を基準に治療法を考えると、 Grade T、Uにおいては、早期に正常の活動 に復帰させるべきで安静の必要は無いとされ た。Grade Vの場合は頚椎装具などによる頚 部の短期間の安静と薬物療法が基本となり、長 時間のテレビ鑑賞や読書は避けるべきとされ、 頚椎装具や消炎鎮痛剤、筋緊張緩和剤などの投 与は3 〜 7 日程度の短期間のみ有効であり長期 治療は逆に有害とされている。特に頚椎装具は 激しい頚部痛を自覚し頚部の運動制限が著しい 時に、3 日程度の装着が適当とされている。 Grade Wは骨折や脱臼の外傷に対する治療が 基本となり時に脊椎外科医による外科治療を要 する。その他、温熱療法や牽引療法、運動療法 などの理学療法が広く行われているが、治療効 果のevidence が少なく漫然と長期間の治療は 行うべきではないという意見ある。局所の痛み が強いときはトリガーポイント注射、椎間関節 由来の痛みが疑われるときは椎間関節ブロッ ク、ときに肩や頚部の血流改善による鎮痛効果 を期待して交感神経節ブロックが行われる事も ある。低髄液圧症候群と診断された患者さんに 対しては硬膜外自家血パッチの治療が有効とさ れるが無効例も少なくない。整形外科、脳神経 外科、ペインクリニック、神経内科などの各診 療科や理学療法、民間療法などの治療を駆使し ても、症状の改善をみない患者が多く存在する ことも否定できないのが実際である。

まとめ

外傷性頚部症候群の病態は多様であり、診断 や治療に難渋することが多い。病態に対しては、 多面からのアプローチによるさらなる医学的、 科学的検証が必用である。また、現時点で確定 的な治療法は無く、多様化したそれぞれの病態 に対応する新しい治療法の開発が望まれる。

文献
1)Crowe HD: Whiplash injury oh the cervical spine in proceedings of the section of insurance negligence and compensation law. Chicago: American Bar Association 176-84,1928
2)Davis AG: Injury of the cervical spine. J Am Med Assoc 127: 149-156, 1957
3)Gay JR et al: Common whiplash injuries of the neck. J Am Med Assoc 152: 1698-1704, 1953 4)遠藤健司、他: むちうち損傷: 診断と治療, Springer-Verlag Tokyo, 2000
5)Wright EM: Transport processes in the formation of the cerebrospinal fluid. Rew Physiol Biochem Pharmacol 83:3-34,1978
6)Schievink WI: Spontaneouse spinal cerebrospinal fluid leaks, Cephalgia 28: 1347-56, 2008
7)Ryan GMS, et al: Cervical vertigo. Lancet A:1355- 58,1955
8)Spitzer WO, et al: Scientific monograph of Quebec task force on whiplash-associated disorder : Redefining “whiplash” and its management. Spine 20:2S-73S, 1995



Q U E S T I O N !

次の問題に対し、ハガキ(本巻末綴じ)でご回答いただいた方で6割(5問中3問)以上正解した方に、 日医生涯教育講座0.5単位、1カリキュラムコード(84.その他)を付与いたします。

問題

1)外傷性頚部症候群で最も多い受傷機転はどれか。

  • 1)転倒、転落
  • 2)追突事故
  • 3)スポーツ外傷

2)本邦で1 年間に何人が外傷性頚部症候群と称されているか。

  • 1)2,000 人
  • 2)20,000 人
  • 3)200,000 人

3)外傷性頚部症候群の症状で正しいものはどれか。

  • 1)頚部に症状が限局する。
  • 2)他科に及ぶ多彩な症状を来す。
  • 3)精神、心理的症状は除外する。

4)Quebec 分類で正しいものはどれか。

  • 1)Grade Tは頚部の疼痛、硬直、または圧痛の愁訴のみで理学的異常所見が無いものである。
  • 2)Grade Uは頚部の愁訴と神経症状を有するものである。
  • 3)Grade Vは頚部の愁訴と骨折または脱臼を有するものである。

5)外傷性頚部症候群の治療で正しいものはどれか。

  • 1)保存療法に抵抗するようであれば骨傷が なくても積極的に手術を推奨する。
  • 2)それぞれの症状や病態に即した治療が必要である。
  • 3)神経ブロックは無効である。

CORRECT ANSWER! 1月号(Vol.47)の正解

肝細胞癌の肝動脈塞栓療法:とくにTACE について

問題
肝細胞癌に関して次の1)〜 5)設問に対し、○か×印でお答えください。

  • 1)肝細胞癌は日本人の癌死の約1 割を占めて いる。
  • 2)肝癌診療ガイドライン治療アルゴリズムで のTACE の適応は、肝障害度がA またはB で、4 個以上の多発例もしくは数個でも3cm 以上のサイズを有する肝細胞癌である。
  • 3)門脈主幹部が腫瘍栓によって閉塞している 肝細胞癌は、TACE の良い適応である。
  • 4)最近の全国調査によると、肝癌患者に対し て実際に施行された治療は、手術(切除・肝 移植)が3 割、局所療法が3 割、肝動脈塞栓 療法が3 割とほぼ同程度の頻度であった。
  • 5)TACE の実際の方法としては、抗癌剤とリ ピオドールを混和したものを腫瘍の栄養動脈 に注入し、その後にゼラチンスポンジ細片で 動脈を塞栓する方法が一般的である。

正解 1)○ 2)○ 3)× 4)○ 5)○