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奄美大島紀行 その2

牧港泌尿器科 金城 勤

二泊目はホテルに宿泊し、夕食に外へ出る と、ホテルの通りでトラックの上をステージに して、人だかりができていた。近づくと「ヤン コ祭り」という商店街のお祭りだった。演歌の メロディに合わせたおばさん達の踊り、司会を していたラップグループの歌、店の宣伝も兼ね ているのだろう、スナック従業員のワイド節の 踊りなど、雑多だが見ていて楽しく、ついつい 引き込まれてしまった。外人男性のギターで女 の子二人がボーカルのグループは、ハイサイお じさんを「ヤンコ祭り、ヤンコ祭り」と替え歌 で歌っていた。そのグループが最後に歌った 「花」には独特の味わいがあり、寂びの部分の 「泣きなさーい」に外人男性のガラガラ声が入 ってきた時には、ちょっとだけ鳥肌が立った。

ヤンコの意味を隣のおじさんに聞くと、立っ ていた通りの名前とのこと。このおじさんちょ っと聞かれただけなのに、私のために、協賛し ていた地酒メーカーの振る舞い酒を取ってきて くれた。堅いPTA 役員からクレームがつきそ うな出し物もあって、これらの出し物を子ども からお年寄りまで楽しんでいる姿は、ある意味 異様でもあったが、郷愁感とでもいうのか、心 が和ませられた時間であった。

後ろ髪を引かれながらその場を後にして、 「鳥しん」という居酒屋に向かい、名物の鶏飯 をいただいた。地元の兄ちゃん達が多くいて、 ここへ来るまでに酒が入っていたせいか、すぐ に隣のグループとうちとけて話が弾んだ。Y 君 という方は子供の頃に相撲の日本一になったら しい。今は私より小さいくらいだが、耳がつぶ れていて、相撲が強かったのは本当らしい。他 にも体重三桁はゆうにあって近大相撲部だった という人もいて、途中から、相撲の話だけにな った。以前に「奄美相撲少年」という特番を見 た事があったが、やはりここでの相撲人気は本 物らしい。横綱「朝潮」を輩出した伝統が、 脈々と受け継がれているのだろう。

その後、この日会ったばかりだというのに、 鳥しんの主人に誘われてスナック2 軒に行くこ ととなり、奄美のお姉さん達を相手にしながら カラオケもそうとう歌った。

奄美大島の人は想像していた以上に人懐っこ く、ウチナンチュの私に親切であった。なにか 自分が幼い頃に日常的に感じていた空気を蘇ら せてくれた。

本土の人の言う、「癒しの島」沖縄、「人が優 しい」沖縄は本当だろうか。すでに過去のもの ではないのか。そう形容される風情はどちらか というと奄美の人の方に残っているのではなか ろうか。

医療事情で言うと、救急搬送の際に自衛隊機 にお願いせざる負えない状況は、沖縄も奄美群 島も同様である。搬送後に病状が落ち着いた 後、奄美の人からは搬送してくれた方にお礼の 連絡が入るが、沖縄の人からはほとんど無いら しい。イデオロギーはともかく、事実だとした ら寂しい思いがする。

追伸:奄美大島で気づいた小さなこと

・沖縄と同じように、子供が生まれると名前 が書かれたのし紙のようなものを壁に貼るよ うだ。
・グァバを「ばんしろう」と人名のように読ん でいた。バンシルーのことか。
・新聞には死亡を知らせる欄があったが、名前 の載せ方は名刺状で、沖縄のように家族の内 情までわかる一覧みたいなものは一部だった。
・お墓は全部大和墓だった。与論島では一部に ウチナー墓を見ることもあったのだが。
・現在の家屋は屋根の稜にくびれがある日本家 屋だ。

帰路に乗船した、大島運輸、A-line は那覇港 入港直前、汽笛が鳴った後に「涙そうそう」が 流れる。東シナ海を背に、まさに沖縄に着かん とする時に、甲板にこの曲の前奏が流れ、私は こみ上げてくるものを抑えられなかった記憶が ある。本当に名曲である。