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天空の都・チベットを訪ねて 前編

長嶺信夫

長嶺胃腸科内科外科医院 長嶺 信夫

大丈夫なの!生きて帰ってこれるの!

これは、私がチベット旅行することを知人に話した時返ってきた言葉である。

今年(2010 年)8 月11 日から17 日までの一 週間チベットに行ってきた。2 年前にチベッ ト・トレッキングを計画していたものの、2008 年3 月に発生した暴動のため、外国人のチベッ ト入国が全面禁止になり、やむなく旅行を諦め ていたのであるが、昨年ダライ・ラマ法王を沖 縄に招聘することができたので、別の観点でチ ベットの現状を見てきたいと考えたからである。

現在でも、チベットへの個人旅行は不可能 で、旅行社を利用したツアーでなければ、入域 許可が下りない状況である。

私のチベット旅行を知った多くの人達が「大 丈夫なの!」「生きて、帰ってこれるの!」と 心配顔であった。中国ではダライ・ラマの写真 を持っているだけで拘束される。私も、ダラ イ・ラマ法王の件があるので、きっとブラック リストに載っていて、入国を拒否されるのでは ないかとの不安があった。チベット入域には特 別に「チベット自治区入域許可証」(写真1) を得る必要があり、その可否は中国政府がにぎ っていたからである。

写真1.

写真1.チベット自治区入域許可証。許可証なしで入域する と拘束される。

青蔵鉄道について

チベット自治区のラサに入るのは、四川省の 成都経由の飛行機が便利であるが、ダライ・ラ マ法王の出生地であるアムド(青海省)地方の 現状や西寧からラサまでの青蔵鉄道沿いの開発 やチベット人の生活状態を見るため、時間はか かるものの西寧からラサまでは鉄路(青蔵鉄 道)を選ぶことにした。

青蔵鉄道は青海省の省都西寧から同省西モン ゴル族自治州ゴルムドまでの第1 期工事(814 キロ)が1979 年に完成、第2 期工事として 2001 年にゴルムドからラサまでを着工し、完 工予定を1 年前倒しし、2006 年7 月から旅客 運送がなされている世界で最も高地を走る列車 として有名である。第2 期工事(1,142 キロ) はゴルムドを前線基地として建設が進められ、 最高地点のタングラ峠は海抜5,072m、その近 くの唐古拉駅も5,068m に位置する。酸素が希 薄な高原や永久凍土での工事は想像を絶する困 難をともなったことであろう。それにもかかわ らず、完工予定1 年前のわずか5 年間で完工し たのは、脅威であり、現在の中国の経済力や卓 越した技術力を示している。

青蔵鉄道は中国にとっては、まさにチベット への物流、および漢民族移動、軍用列車の交通 網の完成であるが、チベットにとっては、中国 のチベット侵略の象徴であり、またチベットの 自然破壊、豊かな地下資源の略奪・搬出路であ る(写真2)。

写真2.

写真2.青蔵鉄道沿いを走る青蔵公路、西寧とラサ間の大動   脈である。

旅行出発直前の8 月8 日未明に土石流が発生 し、多くの犠牲者がでた甘粛省甘南チベット族 自治州舟曲県は青海省と四川省に接する地域で あり、西寧の南東部にある。舟曲県は人口13 万人余りのうち約3 分の1 がチベット族で、標 高は平均1,800 メートル、最も高い山岳地帯で は4,000 メートルを越し、温暖な気候であるが 豪雨による洪水や土砂崩れが度々起こり、この 原因の一つが中国のチベット侵略後に行われた 森林の大量伐採であるといわれている。

ダライ・ラマ法王日本代表部事務所が編集し た「約束のノルブリンカ 中国侵略下のチベット50 年」 (2009 年風彩社発行)には、「中国が1985 年ま でに甘粛省甘南から切り出した木材は644 万立 方メートルにおよび、もしこれを直径30 センチ メートル、長さ3 メートルの丸太にして縦に並べ ると地球を2 回りする計算になる」という。その 上、チベット高原における天然林の回復は極め て限られていて「勾配が急であること、土壌が乾 燥していること、気温の日較差がかなり大きいこ と、地表面が高温になることにより、チベット高 原の森林再生には70 年から100 年の歳月がかか り、そのため、森林伐採によってもたらされる破 壊的な影響は回復できない」と記載している。

公安警察について

中国では入国時は勿論のこと、国内を移動す る都度、パスポートや身分証明書の提示を要す る。北京で1 泊後、西寧行きの飛行機搭乗時は 勿論、西寧から青蔵列車に乗るときも、パスポ ートの提示と荷物検査がなされ、駅の待合室は 乗客以外入れない。待合室には制服公安警察以 外に私服の公安(チベット人ガイドが教えてく れた)がいて目を光らせていた。

4 時間遅れの列車に乗車後、早速検札があ り、紙製の乗車券が席番号を印刷されたプラス チック製のカードと交換された。すでに夜中の 12 時である。

翌朝、健康チェックの用紙が配られた。高山 病チェックの名目であるが、記入欄には住所、 氏名、生年月日、自宅の電話番号記載欄もある。 実際は身元調査票であろう。しばらくして用紙 の回収があった。昼過ぎになって1 人の公安警 察が来て「誰のInvitation ですか?」と訊いてき た。当方はInvitation(招待)?・・・まさか、 ダライ・ラマの招待と言うわけにもいかない。相 手の公安は携帯に質問を英語で書き訊いてきた が、当方もしどろもどろである。公安は諦めて 帰っていった。これですんだと思っていたら、今 度は3 人がかりでやってきた。このとき「チベッ ト入域許可証を示せばいいのだ」と思いつき、 許可証を提示するとうなずいて帰っていった。 これですべてのチェックが済んだと思っている と、ラサ到着前の午後9 時40 分に車掌が部屋を 訪ね、前夜渡したプラスチック製のカードと紙 製の切符を再度交換すると言う。記念品と思っ ていたカードをあわてて取り出し、渡すと「この グループのリーダーは?」と訊いてきた。「リー ダーはいない。ガイドも乗車していない」と言う と、「ガイドなしではラサに入れない」と言う。 あらためて入域許可証を提示すると、「出口で切 符と入域許可証を提示するように」と言い帰っ ていった。2 重、3 重のチェック体制であった。

ラサのチベット人女性ガイド

ラサ駅では幸運にもチベット人の女性ガイド が待っていた。「女神」を意味する名前の浅黒 い目鼻立ちが整った女性であった。ホテルに着 く間に手短に注意事項の説明があった。「今夜 は高山病対策で、風呂やシャワーを使わず、窓 を開けて休むこと。明日からの観光ではフイル ムを没収されることがあるので、公安警察や武 装警察に向けて写真を撮らないこと」などであ る。ラサは標高3,650 メートルに位置し、高山 病のおそれがある。ヒマラヤのホテルで熱いシ ャワーを浴びた直後、高山病で倒れた人のこと を聞いたことがある。しかし、北京を前日朝出 発し、その夜は夜行列車、2 日間もシャワーを 浴びていない。私はもともと血の気が多く(皆 がそう言う)、その上、赤血球過多である。こ の程度の高度では問題ない。注意を無視してシ ャワーを浴び、窓を開け、床についた。

後編は、12 月号へつづく。