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「氣の確立 中村天風と植芝盛平」藤平光一著(東洋経済新報社)

宮城政剛

新川クリニック 宮城 政剛

思い返せば幼いころから武道に親しんでき た。柔道、沖縄相撲、空手、合氣道と多芸は無 芸を地で行っていると言われてもしょうがない のですが、成長の過程で様々な素晴らしい先生 方に出会う機会を頂き指導して頂いた。社会的 風潮の影響も多分に受け、パワートレーニング が全盛期であり中学生のころからバーベルを持 って筋トレを行い、そのことが強くなることの 第一前提であった。当時は肉体的なパワーの下 に技があるという考えを信じて疑うことはなか った。その考え方は、大学時代に出会った空手 を始めてから少しずつ変わってきたように思 う。その空手を指導していただいた方は、サ イ、ヌンチャク、エーク、カマヌンチャクを使 いこなす典型的な古武道空手の先生であった。 しかし、非常に考え方の柔軟な方で常に新しい 空手を作りたいと腐心されていて、注目してい た武道の一つが合氣道であった。その先生に紹 介され合氣道の講習会に参加し、また本を読む 中で出会ったのが‘氣の確立’副題、‘中村天 風と植芝盛平’である。この本を契機に藤平光 一先生の本を読み漁り、今までのスポーツ、武 道への考え方が180 度転換するような衝撃を受 けることになる。この本ではインドでヨガの修 行を通じて奔馬性結核(原文より引用)を克服 した天風会の創始者である中村天風先生と大東 流合気柔術を修得し、自らの武道を合気道と し、それを世に広めた植芝盛平先生と藤平先生 の関係の中で体験したこと、また藤平先生自身 の自叙伝的な内容となっている。

自叙伝の中で面白いエピソードがある。藤平 光一先生本人も慶応大学生時代に結核を患い負 担のかかる運動は一切禁止。そして一年間の療 養生活を余儀なくされ、一旦は床に伏し療養す ることになる。このままで一生を終わりたくな いと考え、ひたすらに本を読み、縁あり禅宗と 神道系の修行を行う一九会(いちくかい)を知 り、そこでの修行を通じて結核を克服したとい う経験を持つ。

植芝盛平先生からは‘リラックスの大切さ’ 中村天風先生より‘心が体を動かす’というこ とを学び、この教えを元に‘氣の研究会’を立 ち上げマイナスの考えをプラスに転ずる方法、 リラックスの大切さ、心が体を動かすという教 えを広めることとなる。

藤平先生が修行したのは、第二次世界大戦前 後、この本の中から、その時代の修行の仕方を うかがい知ることもできて面白い。中村天風先 生からは、直接言葉で‘こころが体を動かす’ と教えられ、植芝盛平先生は、ただ技を実践し て見せるばかりで、一度も手取り足取り教えて もらったことは無かったと言われている。自分 が持っている疑問を常に持ち、どうすればうま くなれるかに集中し両先生に師事し修得した。 また言い方を変えれば極意を盗んだと言っても いいでありましょう。縁があり、氣の研究会で 長年修行した先生方に合氣道を指導して頂き、 更に話を聞く機会に恵まれ、そのことを聞いて みると、合氣道に限らず物事は‘自得’の世界 であると教えて頂いた。これは何も武道の世界 のみに限ったことではなく、どの世界でも目指 すものを持ったものの修行のある姿であると感 動したことを覚えている。

しかしながら‘氣の確立’、氣の研究会の合 氣道(現在は心身統一合氣道会)の教えは、本 を読んだだけでは到底分かるものではなく、体 験を通じて体得するものと理解している。宮本 武蔵は‘千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬 とする。これを鍛錬と言う’と言っている。こ の本を手に取り十数年、修行とはそのようなも のであると実感を持って感じている。