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HIV 母子感染予防の現状と課題
性の健康週間(11/25 〜 12/1)に寄せて

佐久本薫

琉球大学医学部附属病院周産母子センター
佐久本 薫

1)はじめに

我が国は、先進国の中で唯一HIV 感染者 /AIDS 患者が増加している1)。図1 にHIV 感染 者/AIDS 患者報告数の年次推移を示した。平 成21(2009)年は感染者で前年より105 件減 少し、1,021件であった。これは2 0 0 8 年 (1,126 件)、2007 年(1,082 件)に次いで過去 3 位の報告である。最近5 年間のHIV 感染者報 告数は5,013 件で、累計の43.3 %を占め、急激 な感染拡大を表している。患者数は431 件と前 年と同数であった。HIV 感染者/AIDS 患者の 現状は極めて深刻な状況である。特に女性感染 者の増加が顕著であり、感染女性が妊娠する例 も2003 年以降増加傾向にあり、大きな国家的、 社会的、医学的な問題である。成人がHIV に感 染した場合、後天性免疫不全症候群acquired immunodeficiency syndrome: AIDS)を発症す るまでに約10 年の年月を必要とし、その間は ほとんど症状がない。また、現在では有効性の 高い抗HIV 薬を多剤で服用することにより長期 間にわたりAIDS の発症を抑制できるようにな った。しかし、母子感染により新生児にHIV ウ イルスが感染した場合は、成人とは異なり数ヶ月から数年でAIDS を発症する。新生児に対す る治療は困難であり、抗HIV 薬の副作用、社会 的背景等様々な問題を抱えている。このため HIV 母子感染予防は極めて重要な課題である。 まず、全妊婦に対するHIV 抗体スクリーニング 検査が必要である。HIV 感染妊婦に対して適切 な予防対策を行うことにより母子感染を予防す ることがほぼ確立されている。

本稿では、我が国で行われているHIV 母子 感染予防対策の現状と現在行われている管理 法、その問題点について解説する。

図1

2)性感染症とHIV/AIDS

最近の性感染症(sexually transmitted infections)の特徴として、病原微生物の多様 化、無症候性感染者の増加、耐性菌の増加、全 身の感染症の増加があげられる。従来の梅毒、 淋菌などに加えてクラミジアやヘルペスウイル ス、パピローマウイルス、HIV など多様化が進 んでいる。女性の性器クラミジアの増加にみら れるように、無症候性感染者が増加している。 これらの背景には性行動の若年化とパートナー の多様化が指摘されている。性感染症は、一般 社会、一般家庭に浸透している。HIV は比較的 感染しにくいウイルスであるが、性感染症特に クラミジア感染が合併しているとHIV 感染率 が高くなるとされている。HIV 感染を減少させ るためには性感染症の特徴を理解し、特に若年 者の性の実態を把握し、教育啓蒙活動を含め て、その抑制に努力すべきである。

3)沖縄県のHIV/AIDS の現状

沖縄県のHIV 感染者/AIDS 患者は図2 に示すように、2007 年に32 名、08 年に24 名、09 年に22 名と急激に増加している。2009 年の人 口10 万人当たりの都道府県別の新規HIV 感染 者/AIDS 患者報告数の上位10 位を表1 に示し た。HIV 感染者は東京都2.91、大阪府1.94 に 次いで沖縄県は1.09 の3 位である。人口10 万 人当たりのAIDS 患者では4 位である。極めて 憂慮すべき事態である。AIDS 発症後に初めて 発見される症例が多いのが沖縄県の特徴であり、 発症前に早期に発見するためにはリスクの高い グループへのスクリーニング検査を如何に勧め るかが課題である。沖縄県福祉保健部では福祉 保健所を中心に検査結果の即日返しや休日検査 なども行い、相当な努力を行っているが、まだ 十分とは言えない。沖縄県の感染者は男性が 90 %以上を占め、感染経路として同性間性的接 触が多いのが特徴であるが、男性同性愛者コミ ュニティーへのアプローチは困難なようである。

図2
表1

4)妊婦HIV 感染の現状

我が国の妊婦HIV 感染妊娠 の把握と予防対策による母子 感染予防を推進する目的で厚 生労働省科学研究費補助金 (エイズ対策研究事業)「HIV 感染妊婦とその出生児の調 査・解析および診療・支援体 制の整備に関する総合的研究」 班(研究代表者:和田裕一) が調査研究を継続している。 その分担研究である「HIV 感 染妊婦とその出生児に関する データベースの構築及びHIV 感染妊婦の疫学 的・臨床的情報解析」(研究分担者:喜多恒和) に筆者も参加している2)。我が国の2008 年末 までのHIV 感染妊娠数は642 例にのぼる。日 本人の感染妊婦とそのパートナーが毎年半数以 上を占めるまで増加してきた。年ごとの報告数 は減少傾向にあるが、HIV 感染を認識した上で 再妊娠する傾向がある。図3 に示したように HIV 感染妊娠例は大都市に多く、地域的には関 東・甲信越地方が全国の65.1 %を占める。そ の中でも東京都が153 例と全国の4 分の1 を占 める。地方への分散化も進んでおり、感染妊娠 の報告が無い県は08 年末では8 県のみであっ た2)。沖縄県では研究班の報告によるとのべ5 例となっている。これまで妊娠前あるいは妊娠 中からHIV 感染が判明し、適切な予防法を行 って管理したHIV 妊婦はまだ経験されていな い。分娩に至った例は母親が2 名である。1 例は妊娠36 週に母体の髄膜炎により緊急帝王切 開術が行われた症例で、術後にクリプトコッカ スが髄膜炎の原因と判明し、HIV 感染の診断に 至った。その時の新生児はHIV の垂直感染は 認めなかったが、残念ながらその前に経腟分娩 していた第1 子の感染が判明した。母親と第1 子はともに抗HIV 療法を継続中である。

HIV 感染妊婦の妊娠転帰と分娩様式を図4 に 示した。HIV 感染妊娠例は2003 年以降増加傾 向にあったが、2007 年にはようやく漸減傾向 がみられる。分娩様式は厚労省研究班が推奨し てきた月経発来前の選択的帝王切開術が多く、 分娩例の80 〜 90 %におよぶ2)。抗ウイルス薬 の投与と分娩様式別の母子感染を表2 に示し た。分娩様式の分かっている中で抗HIV 薬が 投与されていなかった例が41 例であった。抗 HIV 薬投与例で感染成立した2 例は言葉の理解 が不十分で確実な投与がされていなかった可能 性がある。他に分娩様式の不明6 例中5 例が感 染しており、研究班報告では母子感染は48 例 となっている。2000 年以降、抗HIV 薬の多剤 によるHAART(Highly active antiretrovirus treatment)が妊婦に対しても行われている。 分娩様式別の母子感染率を表3 に示した。児の 異常等により分娩後に母親のHIV が判明した 症例を除いてある。選択的帝王切開術群の母子 感染率は0.42 %まで低下している。HARRTと陣痛発来前の選択的帝王切開術により母子感 染が防止できることが示された。

図3
図4
表2
表3

5)妊婦HIV スクリーニングとその問題点

HIV 感染妊娠の把握と垂直感染予防の重要 性が広く認識されるようになり、妊婦健診で行 われる初期検査の項目にHIV 抗体スクリーニ ング検査を含める自治体が増えている。厚労省 研究班の調査では妊婦HIV 抗体スクリーニン グ率は2008 年末では98.5 % に達していると報告されてい る。スクリーニング率が上昇 するにつれ問題となってきた のは「要精検者」の取り扱い である。我が国の妊婦におけ るHIV 感染者の率が低いため スクリーニングとして行われ る抗原抗体検査(ELISA) の要精検率は高くなる傾向が 避けられない。スクリーニン グ陽性者に対してRT PCR 法とWB 法による確認検査を 行う必要がある。スクリーニング陽性者のうち「真の陽性者」は7.7 %に過 ぎず残り92.3 %が「真の陽性者」ではないい わゆる偽陽性者である。このようなスクリーニ ングの問題点を検査前に説明しておくことが必 要であるが、実際の妊婦初期検査で十分な説明 が行われているか心配である。研究班とエイズ 予防財団では説明の方法を示した医師向けパン フレット、妊婦向けのリーフレットを作成し無 用の心配や不安からパニックに陥らないよう啓 蒙を行っている3)。一方、栃木県で試みられて いるように、検査法の工夫も検討されている4)

6)HIV 母子感染予防の課題

厚労省研究班により推奨されてきた我が国の HIV 感染妊娠に対する母子感染予防法を表4 に 示した5)。HIV 感染妊婦に対してはHAART を 行い、可能な限りウイルス量を減少させる。こ れまで陣痛発来前の選択的帝王切開術が行われ てきたが、ウイルス量が検出感度以下になった 場合は必ずしも選択的帝王切開術ではなく経腟 分娩でも垂直感染が予防できる可能性が欧米を 中心に報告されている。しかし、経腟分娩か帝 王切開術かの無作為試験を行うことは困難であ り、なかなか結論が導き出せないのが現状であ る。周産期医療の体制等も勘案する必要があ る。今後の大きな課題である。帝王切開術直前 のA Z T の点滴静注が行われてきたが、 HAART で母体ウイルス量が低値となっている 場合の必要性が疑問視されている。新生児に対 するAZT シロップの予防投与も必要性は不確 かである。児への人工栄養は母乳による垂直感 染を予防するためには有効であるが、世界的な 視野からは人工乳が手に入らない地域もあり課 題と言える2)

表4

不幸にして感染が成立した新生児の治療の問 題と、成長とともに本人への告知の問題、心の ケア、社会的問題がクローズアップされてきた。 医療関係者だけではなく、教育関係者、福祉関 係の多くの人々の協力が必要になると考える。

7)まとめ

我が国では先進国の中で唯一HIV 感染症が、 増加している。一般の人々やマスコミの関心が 薄れてきている印象もあり、感染拡大の予防に 対する啓蒙活動を継続することが重要である。 HIV 感染症が爆発的に増加している沖縄県では 医療従事者、行政、教育関係者等も危機感を持 って対策に努力すべきである。妊娠初期のHIV スクリーニング検査が広く行われるようにな り、適切な予防法を行うことにより母子感染を 予防することが可能である。周産期医療の願い である健やかな母子関係が守られるようにこれ からも努力していきたいと考える。

文献
1)平成21(2009)年エイズ発生動向報告厚生労働省エ イズ動向委員会報告2010 年5 月、 http://api-net.jfap.or.jp/status/2009/09nenpo/nenpo_menu.htm
2)喜多恒和、井上孝美、岩田みさ子、ほか、HIV 感染妊 婦の実態調査とその解析およびHIV 感染妊婦とその 出生児に関するデータベースの構築.平成20 年度報 告書厚生労働科学研究費補助金(エイズ対策研究) 「周産期・小児・生殖医療におけるHIV 感染対策に関 する集学的研究」班(主任研究者:和田裕一). 2009.
3)山田里佳、塚原優己、谷口晴記、ほか、ハイリスク妊 婦への情報提供実例集、HIV.周産期医学、2009 ; 39 ; 285 − 290.
4)稲葉憲之、大島教子、西川正能、ほか、周産期におけ るHIV/エイズ、その現状と対策―厚労省研究班の成 績をもとに.臨婦産、2009 ; 63 ; 151-155.
5)平成19 年度厚生労働省科学研究費補助金エイズ対策 研究事業「周産期・小児・生殖医療におけるHIV 感 染対策に関する集学的研究」班・分担研究「わが国独 自のHIV 母子感染予防マニュアルの作成・改訂に係 る検討」班編、HIV 母子感染予防マニュアル第5 版. 2008.