沖縄県医師会 > 沖縄県医師会の活動 > 医師会報 > 9月号

私とダイエット

小田口尚幸

中頭病院循環器科 小田口 尚幸

今回ご指名を受けましたので書かせていただ きます。

学生のころは陸上部で毎日走っており体格は やせている部類であった。それも研修医までで 結婚した3 年目は半年で12kg ほどあっという 間に増えた。独身のとき朝食は摂らない、昼は 時間があれば、夜のみ通常の食事という生活で あったがその夜も疲れて寝入ってしまうことも たまにあり食生活が乱れていた。結婚し朝、昼 (弁当)、夜と3 食、それも妻の料理上手が後押 しし過食の生活になった。独身のころの慢性的 な飢餓状態も関係したのか12kg 増加という必 然の結果になった。当然ズボンのポケットの中 のものはことごとく壊れ変形した。財布は座っ た形で記憶され、「へ」の字となり当時あった 携帯のアンテナはすぐ折れた。当人には太った という自覚はなく、知人から「どうしたんだ」 といわれ、食事指導をした患者さんから「先生 も太っているじゃないか」といわれ、また結婚 式の時の和装で「関取みたいだ」といわれても 全く響かなかった。また少し太りぎみの製薬メ ーカーからも「最近ウエスト90cm のズボンが 売れているようですから先生も気をつけて」と もいわれた。白衣は腹部から汚れていった。当 人になぜ自覚がないのか。当時自分は親を見て も太りやすい体質で多少太り気味になるのは仕 方がない、糖尿病や心筋梗塞といった病気にな ったわけでもなく(中性脂肪は高かった)まだ 大丈夫という意識が脳を占めていた。また同時 におそらく増えすぎ肥大した脂肪細胞から放出 された液性因子が食中枢に働き過食を促し外見 を気にしないようにコントロールしていたのか もしれない。体重がさらに増えたときふと思っ た。このままでは限りなく太ってしまうのでは と。それで単純にやせようと決心した。しかし やせるのは大変難しい。ジョギングを始め腹筋 をしダンベルダイエット、低インシュリンダイ エットをやり体重はそれなりに落ちるのだがど れも継続できず見事にリバウンドした。再開し たジョギングでは肉離れを起こした。ここでま た考えた。なにかをする減量はずっとやり続け なければ成功しない、あちこち手をだしては継 続できない性格上無理なので「しない」減量の ほうが成功するかもしれない。ある日外国のダ イエット法で学習ダイエットのようなものを見 つけた。それには空腹感を強く感じても危機的 状況と判断してはいけない、やせたい理由を10 項目ほど書いて目標を明確化しくじけそうなと き見返す、減量できた体はとても素晴らしくな んとしても手にいれるべきものであるというよ うなことが書いてあった。そこで脳にやせたい 理由を覚えさせ、また減量できた体を思い浮か べ食事を減らすこととした。これまでも食事量 は減らしていたが今思えばまだ不十分で体重が 減る量にしなければならない。朝はチーズ、野 菜、ハム、野菜ジュース、昼は医局にあるせん べいをつまみ、夜はご飯や麺類の炭水化物を1 杯または一皿分にし、なるべく食べすぎないよ うにした。飲酒はもともと自宅で多量には飲ま ず機会飲酒に近いのでそのままとした。この減 量は効果がありみるみる7 キロ落ちた。周りか らやせたね、お腹が減った、いいぐらいといわ れ鼻がびんとなった。リバウンドしないよう朝 食前、朝食後、夕食前、夕食後体重を測り食事 したものを書き留めた。しかしそれ以下になら ずもう少しと思っていたところ10 年ぶりに急 性扁桃炎になった。ポカリ、ヨーグルト、ゼリ ーしかとれず1 週間が過ぎやっと良くなったと 思ったら今度はひどい口内炎を起こし口が開か ずポカリ、ヨーグルト、ゼリーがもう1 週間続 いた。体重はやはりみるみる落ち5 キロ落ちた。 病的体重減少ではあるがその後リバウンドもな く目標は達成された。20 歳のときとほぼ同じ 体重になり生活も楽になった。また走れるので はないかと思うようになった。外来で次までに やせて来いと患者に強要し、やせて来なければ 診察室の机を叩き、もうあの先生のところには いかないといわれた先生にはなまぬるい、甘い と思われて当然だがやせられないものにとって は紆余曲折の道のりであった。

とりとめのない雑感となりましたがこのよう な機会を与えていただいた医師会の先生方に感 謝致します。