なかち泌尿器科クリニック 仲地 研吾
琉球民謡は唄三線と言われるように、三線を 弾くのと同時に唄が歌えなければ、あまり意味 がないとさえ言われている。私の趣味は三線 (琉球民謡)を弾くことであるが、私自身、人 前で話す、歌うということが苦手で、地謡や合 奏という集団でしか弾かない。
私の三線歴は約35 年になる。私が子供の頃 の本部町では、親子ラジオがあり、ラジオから 流れる民謡が唯一の楽しみであった。従兄や父 がエイサーの地謡をしていた影響を受け、三線 を始めた。従兄から調弦方法や工工四の読み方 を教えてもらい、三線を本土へ持ち込み自己流 で楽しんでいた。大学卒業後も、沖縄県人が多 い尼崎戸ノ内に住む従兄の居へ通い、三線で独 身生活を満喫していた。33 歳時に帰沖。その 後、長男が中学に入学したのを機に、本格的に 三線を習いたいと思い、近所の民謡研究所を訪 ねた。練習風景を見学していたところ、私の師 匠となる方に「ヤー、ヌー、ヒキユースガ、ヌ ーエティンシムートゥ、ヒチンディ」と言わ れ、唐船ドーイを弾いてみた。弾き終って「ト ォー、ヤームンヤ、自己流ヤサ」と言われ、覚 悟はしていたが、ショックを受け、その日から 弟子入りし今日に至っている。以後10 数年で 基礎を確立し、素人が弾くようなリズム感の無 い弾き方からトゥンタッチー弾きと言われるリ ズム感のある弾き方を覚え、師匠の弾く三線 を、じっと見据えながら、聞きながらサグイの 入れ方を覚えるなどし、地謡や民謡祭に時間の 許す限り出演している。
数年前には高校の同窓会をきっかけに、唄三 線のできる同級生数人、及び、舞踊のできる同 級生の女性も含め、昭和30 年の未年生まれの 同級生で「毛遊び羊会」を結成した。唄三線の セミプロ級や古典の師範もいる中で、私が世話 役を兼ね会長にさせられた。以後、同級会や同 窓会等の幕明けや、民謡ショーを担うようにな った。年に数回、練習を兼ね同級生が集まり、 酒を交わしながら、三線を弾き楽しんでいる。
一度、古典にも挑戦しようと試みたが、古典 は一曲歌い終わるのに約10 分から15 分を要す るので、前半覚えた歌詞を弾いている後半から 忘れるという次第である。古典は私には向いて いないと思っている。今は本格的には指導して もらっていない。同級生の野村流の師範から、 私の好きな花風述懐節をテープに録音してもら い、自己流で自分なりの想いで哀調の帯びた曲 を弾いている。
昨年、出身高校の創立80 周年記念祝賀会の 幕明けに出演した際、私の生り島の大先輩で某 民謡協会の会長であられる方と、一緒に弾けた のも感激であった。彼の弟子の同級生も我が 「羊会」のメンバーである。さらに、中学時代 の三線弾ちゃーの先輩後輩達との繋がりも出 来、民謡を通した輪が広がり、診療以外での楽 しみも増えた。
戦後、沖縄に琉球民謡協会が設立されたが、 時代と共に離散、集合、分裂を続け、現在多く の民謡団体が存在する。私は10 数年前に、ある 民謡協会から独立し旗揚げした団体に所属して いる。私の師匠の指導は厳しい。民謡研究所で の日常会話は、本土出身者も多い中で、可能な 限りウチナー口での会話を重視している。練習 の合間には、戦後の民謡界の裏話しや、師弟関 係のあり方、当時の指導方法を話してくれたり、 さらには古典及び作者不詳の舞踊曲など、将来 は県外の方が著作権を握る可能性もあるかもし れないという危機感についても話されていた。
最近、ニュー民謡(本土風にアレンジされた 曲)、例えば島唄、島人の宝等、本土の方に人 気のある曲が流行している。師匠に「純粋な琉 球音階の民謡が好きで、本土風アレンジの民謡 は好きではない」と話すと「これも時代の流れ だ。こういう曲も練習しないと本土の人の前で は受けないよ。」とのこと。本土の方は、本土 受けする現代風の曲が琉球民謡の主流だと思っ ている方も多いとのこと。師匠は現代風の民謡 を否定するのではなく、受け入れる気持ちが大 事だと悟してくれた。音楽は文化であり時代の 変遷と共に、時代に即した曲が流行するのかも しれない。これからは好き嫌いではなく時代に 即した民謡も弾くように努力しなければならな い。ちなみに本土出身者は民謡に対する造詣が 深く、指導された曲は古典であろうが早弾ちで あろうが、短期間でマスターするのには感心し た。私のクリニックを担当していた本土出身の 某メーカーのMR に三線を教えたところ、「安 里屋ユンタ」「祝節の早弾」は完全にマスター、 「唐船ドーイ」は、ゆっくり弾ける程度までに なった。昨年、彼は他地域へ異動になったが、 他所で三線の教えを受けていると聞いている。
琉球の唄三線は、ヒジャイヌーディーでも、 三線さえ弾ければ、仲間が集まり、一緒に弾く と楽しいものである。怒りや、悲しみ、ストレ スも全て解消される。嬉しい時の唄三線は言う までもない。残りの人生は、三線の仲間ととも に、楽しい悔いのない日々を送りたい。