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ラナンニム

山内桃子

北部地区医師会病院内科 山内 桃子

「ラナンニム!」と言われても、何の事だか わかる方はほとんどいないと思いますが・・・ (もしいらっしゃったら、是非私までご連絡く ださい)。これは、ミクロネシア連邦チューク 州の言葉で、「こんにちは」という意味です。 ごあいさつが遅れましたが、私は琉球大学第一 内科所属、4 月から北部地区医師会病院で呼吸 器内科医として勤務している、山内桃子といい ます。

原稿を依頼されたとき、なぜ私が・・・?と 思いましたが、最近は色々な経歴の方がおられ るのでそうでもなくなっているのでしょうが、 私の一風変わった経歴について書くようにとの 思し召しなのであろうと勝手に解釈し、書かせ ていただくことにしました。

先ほど、ミクロネシア連邦と書きましたが、 琉球大学医学部に入学する前は、青年海外協力 隊に参加し、2 年間、同国チューク州の高校生に 日本語を教えていました(なぜ、日本語かにつ いては長くなるので割愛させていただきます)。

ミクロネシア連邦は、日本の南に位置し、ポ ンペイ、チューク、ヤップ、コスラエ州の4 州 からなる小さな島々の集まりで、それぞれの州 で異なる言語を使用しているため、共通語は英 語です。第2 次大戦までは日本が支配していた ので、病院、看護婦といった単語も現地語で使 われているし、金太郎さんや桃太郎さん、と言 った名前のおじいさんにもよく会いました。ち なみに、当時、チューク州はトラック諸島と呼 ばれていました。

チューク州の人々は気性が荒く、島同士の抗 争が今でもある、うんぬんという話は赴任前か らよく聞いていました。チューク州に赴任する前 に首都のポンペイで研修を行った際には、某国 へ赴任した同期は早速バンを乗っ取られ強盗に あったなどという話も聞き、また、チューク州に 着いた当日は夜で周りも真っ暗であったことも あり人々の顔は闇に溶け込んでいるし、通りす がりの人たちが何かたくらんでいるようにしか見 えず、びくびくしながら相乗りタクシーに乗り、 隊員連絡所まで行きました。翌日、晴れた天気 の下で会った彼らはみんなフレンドリーで、ほっ と一安心したのを今でも覚えています。

赴任して1 週間位経った頃、近所の中学校の 運動会(トラック&フィールド)があるから見 に行こう、と同僚に誘われ、見学することにし ました。

そこで見た光景は、私のこれまでの日本での 常識を覆すものでした。用意ドンで競争が始ま り、周りの生徒たちが応援する中、選手が一生 懸命走っている・・・場面までは同じでした が、途中で、後ろを走る選手たちがどんどんあ きらめて当然のように応援席に戻っていくとこ ろを見た時の衝撃。なんという、根性無しなん だ・・・しかも、ここではこれが普通なん だ・・・と、唖然としました。その後、徐々に そこでの暮らしに慣れるにつれ、確かに、こん なに暑いところで何のメリットもないのに最後 まで走ったらエネルギーの無駄、悪くすると体 を壊すかも知れないと(なんとか)納得するこ ともできるようになりました。

ミクロネシアの人たちは、体格もよく、私が 高校生を教えていても子供が大人を教えている ような図でしたが、体格の割に子供っぽく、人 懐こくて、ただし飽きっぽくて、いかに授業を 楽しくするかに頭を悩ませました。

そんな私がなぜ医師になろうと思ったか。そ のきっかけも、ここでの生活でした。

ある日、隣人の中国人医師と一緒のタクシー に乗り合わせた時のことでした。その医師が、 タクシーの運転手さんに自分の妻が大変世話に なったと感謝されている場面を見て、「いいな、 私はこんなに感謝されたことないな。」と少し うらやましくなりました。

その時はそれで終わっていましたが、その 後、帰国も間近になって自分の将来について考 えた時、自分は教育よりも“癒す”仕事がした いと思いました。そうだ、東洋医学を勉強し て、漢方や鍼灸を勉強しよう!と決心して帰国 し、早速、その方面で仕事をしている先生に相 談したところ、「何をやるにしても医師の免許 があって損はないよ。」とアドバイスをいただ きました。よく結婚は勢いが大切といいます が、このときも、勢い以外の何物でもなかった と思います。よし、医学部を受験しよう!と決 意し、早速予備校に通い始めました。幸い、琉 球大学で拾っていただき、無事に医師になるこ とができ、本当に私はラッキーでした。

またいつか、チュークを訪れたらどうなって いるでしょうか、少しも変わっていないかもし れないし、ここはどこなの!?という位変わっ ているかもしれないし、少し楽しみです。も し、チュークに行ってきたよという方がいらっ しゃったら是非様子を教えてください。