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寅年に因んで

伊藤敏明

老人介護保健施設いしがき太陽の里
伊藤 敏明

7 回目の寅年を迎えると丁度生れ年85 才に なるわけです。8 0 才を越えれば長生きと 云われて、死んでも紅白の餅をついてお祝いす ると云う所もある相です。

私は石垣に来て丁度6 年になりますが、ここ は80 才は未だ若いと云われて驚きました。な るほど90 才から100 才と大層長生きしてしか も元気にしている様です。

その様な事に刺激されたのか、77 才の年で ここに来て若返りした様な気持ちになり今迄こ この職場で働く事が出来ました。

前の所に居れば週2 〜 3 回の出勤の窓際族か 一日中、家でボンヤリ過して加齢速度を早めて いたと思われます。

私は小児科医を専門にしていたが5 回目の寅 年の60 才の時定年退職し、その後8 年余り保 健所長を勤めました。

その時、医師は臨床のみでなく予防医学の大 切を覚えました。老健に勤めて特に予防医学の 大切さを痛感しています。寝たきりになる原因 は御承知の様に脳梗塞、大腿骨頚部骨折、糖尿 病で認知症も加えてよいかと思います。この素 因はメタボリック症候群です。これは昔から云 われている養生を怠った結果です。本当に長生 きの時代になったので養生の大切さを肝に銘じ ます。

寅年で心に残るのは戦時中の千人針の事で す。出征する兵士に身に付けてもらう腹巻きで す。これは千人の女性が1 針づつ赤い糸で1 つ づつ縫いつけるものです。この時代お上は死ん でお国に忠義をつくすのだと、生きて還ると決 して思うなよ、死んで護国の神となれと教え込 んでいた時代ですが、母や妻、娘の願いは生き て還ってくること念願して黙々と千人針のため 街角に立って1 針づつ縫ってもらっていたので す。お上はこれは禁止しなかった様です。寅年 以外の人は1 人1 針ですが、寅年生まれの女性 は年の数だけ縫う事が出来たのです。これは虎 は1 日で千里往って千里還るたとえがあるの で、それにあやかって生還を心から望む心情の しるしと思われます。私の母は寅年だったので 重宝かられて沢山縫っていた様に覚えていま す。こんな願いも当時の戦争指導者は意に介さ ず玉砕戦法肉弾戦自爆など生命を紙くずの様に 捨てる戦を強く求めています。又国民も黙って 身を投げ出していました。

しかし本当は千縫針にこめられたものが心の 中で叫ばれていたと思います。母の願いも空し く兄はビルマのインバール戦で戦死しました。

政権交代して初めての年です。以前の日本よ り国民の生活を大切にする時代が来ることを新 年に当り心から希望しています。