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メイヨークリニック:
Visiting Clinician Program に参加してその1

桑江紀子

同仁病院 桑江 紀子

今年春、2 ヶ月間、メイヨークリニックの Visiting Clinician Program に参加する機会 があった。報告の義務もあるかと考え、筆をと った。

4 月27 日夜9 時半、ロチェスターに到着し た。春だというのに、冷気があたりを覆い、薄 手のコートと春物の服の出で立ちゆえ寒さに身 震いした。「とても寒いところだよ」、井関先生 のいわれた言葉が思い出された。空港でシャト ルバスに乗り、「Kahler Grand Hotel」と行き 先を告げると、運転手が「2 日前までダライラ マがそこにきてね、2,000 人くらい人が集まっ たんだよ」と教えてくれた。

「2 日早く到着すべきだった」と嘆きつつ、 窓の外をみやると、のどかな田舎町の景色が広 がっている。聞くと人口10 万程度の小さな町 であるという。こんな小さな町に世界的に有名 なメイヨーがある、ということはどのようなこ となのか。

20 分ほどで目的のホテルに到着すると、玄 関の真向かいにメイヨークリニックの現代的か つ洒落た正面玄関が暗闇に浮かび上がって見え る。静かな感動が胸に沸き起こってくる。

国際的な病院: Patients’Needs Come First :患者第一主義:患者のニーズを最優先する。

メイヨークリニックの正面玄関をくぐると、 高い天井から吊るされたガラス細工のアート や、壁面の彫刻、壁にかけられた絵画の数々 が、(彫刻は並びたつ数個のビルの外側の壁面 にも飾られている)患者を迎える。高級ホテル のような造りで、しばしばここが病院であるこ とを忘れさせてくれる。

中央の案内係は目が合うと、笑顔を返す。看 護師の服の人は「Can I help you?」と声を掛 けてくれる。

左手の階段をおりくると、グランドピアノが 目に入る。広間を、普通のカジュアルな服装の アメリカ人らに混じって、目だけが開いている 黒装束に身を包むアラブ系の人たち、ロシアな まりの英語の人たち、韓国の言葉のグループ、 スーツに身を包む、白衣なしのニートな医師た ち(メイヨーの医師たちは白衣を着ない)とが 行き交う。

グランドピアノを弾く男性の近くに腰をおろ すと、「奥さん」だという女性が声をかけてき た。聞くと、患者さんで医師との約束の時間ま で間があるので、楽譜持参の夫がピアノを弾い ていると。ビル内の3 台のピアノは患者のため に置かれている。曲に合わせて、合唱する人た ちもおり、時折、プロなみの演奏かと思うほど の優れた演奏を耳にすることもあった。(午後6 時以降、クリニック終了後、人がひけると、日 本人研究者の女性医師らがほぼ毎日ピアノに合 わせてフルートやバイオリンで楽しむ姿がみら れた)。

「先生は約束の時間を10 分はたがえない」 と彼女はいう。「一度手術で若干失敗したが、 正直に話してくれて、本当に信頼している。こ こ以外いきたくない」と。ダブルキャンサーの 患者さんであった。患者食堂ではユダヤ人のラ ビの慣習の帽子をかぶったとなりの人が「日本 人か」と話しかける。昔、日本にいったことが あるという。透析の看護師をしているというアイオワの女性は夫の数日の循環器入院の付き添 いで受診したという。

クリニックでピアノを弾く患者さん

患者側からの評価は、医師の技量が卓越して いる、サービスがいい、医師が1 時間も患者の 話を聞いてくれる、医師の対応が親切かつ丁 寧、待ち時間がほとんどない等、いずれも、メ イヨーの医療水準とそのサービスの質について 肯定的意見が大半であった。

私のホテルには、サウジアラビア、ヨルダン 等中東、アラブ諸国、インド、シンガポール等 のアジア、あるいはお膝元のアメリカ国内か ら、受診目的の患者及び家族が滞在していた。 医療費についての質問をしてみると自国の保険 で、もしくは不足分は自費で補うと言う答えが 主であった。ある裕福なカリブ海のAntigo34 歳の男性は年1 回ここを受診、心電図、血液検 査、トレッドミル等の検査で、30 万円ほど支 払っている、決して高くない、と話していた。 故ヨルダン国王とその王妃が受診したことは、 つとに有名であり、移植病棟のあるEsenberg Building には、彼の贈呈した宝物が展示されて いる。(無保険者から、富裕層に至るまで、患 者層は幅広い。)初診も受け付けるが、診察、 採血、レントゲンくらいで、料金は自費で50 万円程度という。日本人の受診は稀とのこと。

院内のそこここには案内所があり、ボランテ ィアの人たちが奉仕している。80 代と思しき 女性の案内係は「肺が弱くて、ここの患者なの だけど、ときどきボランティアをするの」と語 っていた。また、お土産品売り場ではメノナイ ト(キリスト教の1 派に属する、服装でそれと わかる)の女性がボランティアで働いていた。 患者ケアの一環として、仏教、ユダヤ教、イス ラム教及びキリスト教聖職者が、また、世界各 国の各言語の通訳が多数おり、患者の精神面、 治療面において協力している。病棟では患者に 医師が説明する傍ら、通訳者が英語からアラビ ア語へ変換していく(あるときは英語からカン ボジア語へ)のを目にした。病院のシャトルバ スで同乗した女性は政情不安なソマリアを逃 れ、通訳として働いていた。日本人通訳も1 人 いた。臓器移植後、4 週間ほどは病院近くの宿 泊施設( Transplant House: メイヨーの施設 である)を提供する等、患者へのサービスは 徹底している。ビル内外を飾る彫刻、絵画等は 患者からのdonation である。患者が自由に使 用できるよう、コンピューターもふんだんに院 内に設置されている。

病院内ツアー: Mayo Legacy

クリニック内を見学、メイヨーの歴史を学ぶ。 10 人くらいの患者、家族が参加していた。メイ ヨークリニックは、1846 年ウイリアムメイヨー が2 人の息子とともに辺境の地で医療活動を開 始したのが、初めである。1883 年ロチェスター を破壊的な竜巻が襲い、多くの人々の命が失わ れたとき、メイヨー兄弟はフランシスコ会の修 道女たちに看護師として助けを求め、ともに働 いた。当面の危機を乗り越えた後、シスターマ ザーアルフレッドが病院を建てることを提案、 メイヨークリニックにセントメリー病院が加え られた。その歴史と、メイヨー兄弟の生い立ち 等を交え、メイヨーの目指す理念について説明 がある。Plummer Building(Plummer は甲状 腺の研究によりノーベル医学賞を受賞、メイヨ ー基金をつくったとされる)にはメイヨー兄弟 の数々の写真、使用した机、医療器具等が展示 されている。1901 年、Plummer によって、カ ルテや電話による相互強化のシステム等、現代 の合理的な病院システムが構築されたという。 創立当初から現在に至るまで、< Patients’ Needs Come First >という基本理念を貫いて きた。古い伝統と進取の気性、そうしてキリス ト教的基盤がメイヨーを支えている。

メイヨー兄弟の銅像