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今 沖縄で思い出すこと

熊代理恵

徳山クリニック 熊代 理恵

私は琉球大学卒業後、7 年半を横浜で、その 後7 年半を福島で医療に従事し、昨年の春沖縄 に戻ってきました。久しぶりの沖縄は色々な面 で様変わりしていて、まるで初めて住む土地の ようでした。

以前は苦手だった暑さも東北の寒さに比べれ ば苦にすることではなくなりました。日没が遅 く野外はいつまでも明るく、活動時間も大幅に 増え、気持も明るくしてくれるので、沖縄での 生活で嬉しく思うことの1 つです。今沖縄に落 ち着き、以前生活した横浜、福島などを思い出 すまま振り返ってみたいと思います。

現在の研修医制度が定着し慣らされてきまし たが、私の場合は、それ以前より存在した2 年 間のスーパーローテート研修医制度を行ってい る横浜市立大学に興味をひかれて、大学卒業 後、横浜で研修医として臨床の研修に励みまし た。大学附属病院は鎌倉時代に北条実時が和漢 の蔵書を集めて保存したことで有名な金沢文庫 からモノレールで10 分程の所にありました。 病院の病室からは八景島シーパラダイスと東京 湾が見られました。都会の病院では珍しい景観 の良さなのですが、多忙で帰れない日が数日続 き、疲労困憊した時には楽しげなシーパラダイ スや光輝く海面はまぶしすぎ、癒しを与えてく れる景観が入院中の患者さんにはむしろつらい のではないかと思うこともありました。

それでも研修自体は充実し、研修医は横浜市 大卒60 人、他大学卒60 人で、1、2 年目合わ せて240 人にもなりました。1 つの科を半年、 2 年間で4 科、3 ヶ月必須の救命センターを除 いて、全て自ら希望した科を研修するのです が、研修医同士のチームワークもよく、同じ研 修を経てこられた指導医も研修医を温かく教育 してくださいました。

ご周知のように、横浜は歴史的に独自文化を 発展してきた土地で、名所、海あり山ありなど で観光に事欠かない街でした。肌寒さが残る桜 のお花見、通勤電車の車窓から見える街並の紅 葉は四季の移り変わりを告げ、心の浄化を促 し、毎年の楽しみでした。

その後、福島に生活の場を移しましたが、子 供の頃より様々な国、土地に住み、多少ともカ ルチャーショックの免疫はあるものと思ってい ましたが、東北福島では驚きの連続でした。中 でも最初の年の雪が印象深く、朝起きると屋外 は白一色で車は雪に埋もれ、雪かきをして車の 通り道をつくるのに、全エネルギーを使い果た しました。加えて大雪の道路を運転する自信が なく、タクシーで出勤したときのことでした。 タクシーの運転手さんに「車持ってるでしょ う、雪の日は渋滞するから自分の車で移動しな いと大変だよ」と言われ、目から大きなうろこ が落ちました。温暖化のためか、年月が経過す るにつれてドカ雪の回数は徐々に減りました が、それでも東北の冬の雪かきは仕事前の苦痛 でした。

それに加え、冬至前には午後4 時には日没 し、屋外は暗闇となります。またお茶の時間に は「お菓子」と「漬物」がセットで出されるこ とも驚いたことの一つでした。

全国共通の悩みで、医師不足も著しく、東 京、首都圏からの通勤範囲内で、私が勤務する 病院でも首都圏からの派遣医師が多くいまし た。新幹線のお陰で東京、仙台に短時間に行き 来ができ、何かと好都合でしたが、地元の文 化、産業などは疲弊していました。

沖縄に戻り、1 年数か月になりますが、まだ 目標が定まっていません。沖縄での医療を見極 め、地域医療に貢献したいと考えています。