沖縄県立南部医療センター・こども医療センター
當銘 正彦
私の大学時代の同期生(千葉大学‘75 年卒) に、斯くも文芸的な領域で憧憬の深い者が居る ことに先ずは驚いた。著者の森崎君とは学生時 代にまともな会話を交わした記憶は無く、大学 卒業以来も全く会ったことはないが、細い目に 黒縁の眼鏡をかけた物静かな風貌だけは今でも しっかりと記憶している。
略歴をみると糖尿病や脂質代謝、動脈硬化等 を専門とする内科医の道を歩んだようである が、数多の著書を見てみると、どうも医学的な 専門著作よりも文芸的な著作が多いようであ る。平成11 年から大学勤務を止めて診療所勤 務になっていることが、文芸的な分野にまで文 筆活動を可能にしているのだろうか。
本書は先ず、脳の生物学的進化と心の関係か ら解きほぐす。脳として、最も原始的な機能を 司るのは原始は虫類脳(血圧、循環、呼吸、反 射などを調節)であり、次いでほ乳類に進化し て出現したのが大脳辺縁系(旧ほ乳類脳;感 情・情動などを司る)で、更にほ乳類が進化し て行く中で最後に現れたのが新ほ乳類脳(大脳 新皮質;知性を司る)であるが、この大脳新皮 質こそは霊長類で、中でもヒトで特徴的に発達 した脳である。
進化した動物の心が「辺縁系」と「新皮質」 に宿っていることは確実であると考えるが、 「辺縁系」は「は虫類脳」を取り巻いて存在し、 遺伝的制約の強い「は虫類脳」の働きを柔軟に 制御し、感情・情動の座として機能しつつ、個 体保持および種族保存のための複雑な行動を更 に正確なものにする。一方「新皮質」は、遺伝 に規定されている行動プログラムを超えて比較 的自由な働きができる。即ち、外部環境因子を 「非情動的」に分析・抽象化し、高度の創造活 動を行う。この「辺縁系」と「新皮質」との相 互連絡は高等動物ほど発達し、情動行動が更に 複雑になって来る仕組みである。
さて本書の主題である小林秀雄の脳であるが、 徹底した「辺縁系」優位の思考法が小林の特長 であると著者は力説する。小林と云えば、幅広 い知識と深い洞察力を駆使して、難解ではある が味わい深い評論を量産し、マイナーと云われ た文芸評論を一躍、脚光を浴びる文壇の一つの ジャンルとして確立した泰斗である。国語の試 験問題としても小林の文章は汎用されており、 文芸には興味のない者でも、小林の文章には 度々遭遇している筈である。日本の文壇におけ る小林の扱いは毀誉褒貶と様々ではあるが、そ の影響力と存在感は巨星のごとくであり、私自 身はかじり読み程度であるが、どうしても避け て通れない作家の一人として強く意識して来た。
本論に戻るが、著者によると小林は、方法論 的に学者の一般的な手法である「論理」を多用 するのではなく、「直感に信を置いた」という。 小林は論理や理屈で分かるものや科学で分析さ れるものをつまらないと感じるからこそ直感を 重用した。小林にとって、直感=「辺縁系」で とらえる価値あるものは、「新皮質」ではとら えがたいにも関わらず、それが全体像として、 「一幅の絵」として「鮮明」に表れてくるもの であった。小林の記述に垣間見る「人間の性質 のうちにある、言うに言われぬ或る恒常的なも の」、「これを感得する時は驚くほど簡明だが、 これを説明しようと思えば、忽ち無闇な迷宮と 変ずる」、或いは「歴史や社会の動きの裡に全 体的に解消して了う事のできない人間の本質なり価値」等々から、著者は小林の認識論は「直 感」を基底とする「辺縁系的」なものであると 確信する。
そして、小林にとってドストエフスキーを批 評することは宿命であった、と。何故なら、 「新皮質的なもの」よりも「辺縁系的なもの」 を根幹において批評を展開する小林にとって、 「新皮質的なもの」の背後に濃厚な「辺縁系的 なもの」を真理として小説を描くドストエフス キーは、必然的に小林のライフワークの対象と なってくる。
この様な基本的な認識を基に、著者は「罪と 罰」という作品を通して、小林のドスエフスキ ー論を解説し、巨頭と言われる二人の脳内の医 学的な散策を試みている。
魂を揺さぶる偉大な芸術とは、脳生理学的 に解釈すると「新皮質」の機能は脇役であり、 生命維持の根源に近い「辺縁系」の発露とし て表現されるものかと、この本を読んで一人合 点した想いである。ともあれ、医師の視点を介 して考察した本書は、小林秀雄、ドストエフス キーの世界を回想する興味深い一冊に仕上が っている。
近代文芸社