医療法人へいあん 平安病院
波平 智雄
平安 明
【要 旨】
高次脳機能障害には学術的定義と行政的定義があり、後者は障害者手帳や障害年 金の対象となる。行政的定義の主な症状として、遂行機能障害、記憶障害、注意障 害、社会的行動障害がある。診断は頭部MRI、CT、脳波、心理検査、生活歴から 行い、これをふまえて薬物療法、認知リハビリテーション、社会復帰支援を中核に 治療を行う。現状の問題点として、初期治療施設、リハビリ施設と精神科の連携、 粗暴、固執傾向のつよい患者の対応、理学、作業、言語療法士との連携、書類業務 の煩雑さ、障害認知の浸透が不十分である事をあげた。
高次脳機能障害とは、物理的、生理的脳損傷 を原因とする認知機能障害を指す。学術的定義 と行政的定義は異なり、後者は公的補助の対象 となる。
学術的定義は1)失語症、失行症、失認症、 認知症、2)記憶障害、注意障害、遂行機能障 害、社会的行動障害の二群を含み、原因疾患は 問わない。行政的定義に1)は含まれず、2) のみが高次脳機能障害とされ、基礎疾患のうち 脳損傷の発症起点が確認され、それ以前の認知 神経症状や先天性疾患、周産期における脳損 傷、発達障害、進行性疾患は除くとされてい る。具体的には、先天疾患(精神発達遅滞、自 閉症、学習障害など)、認知症(アルツハイマ ー病、脳血管性認知症、アルコール性認知症な ど)は行政的定義に含まれない。定義に含まれ ないこれらの疾患群は、自立支援法、精神保健 福祉、介護保険等の事業で対応していくことに なる。
従来、高次脳機能障害患者は障害者手帳や年 金交付の対象ではなかった。脳外科、神経内 科、精神科、リハビリ科の狭間にある疾患群で あり、適切な治療経路にのらなかった不幸な患 者が多数存在する。こうした経緯から交通事故 による脳外傷の患者を中心に運動が盛り上が り、平成12 年より各地でモデル事業が展開さ れるようになった2)。さらに平成15 年度より行 政的定義が作成されるに至り、精神障害者手帳 と障害年金の申請が高次脳機能障害の病名で可 能となったのである。
しかしその後も高次脳機能障害の概念は医療 界へ浸透しておらず、関係者間でも定義を理解 するのが困難との声が多かった。そこで全国の 自治体で拠点施設が指定され、普及事業として 予算が計上されるに至った。沖縄県では平成 19 年度より、医療法人へいあん平安病院と医 療法人タピック沖縄リハビリーテーション病院 が拠点病院として指定を受けた。講演会や教育 事業を催し医療関係者、患者、家族会等を対象 に障害の理解と普及に努めている。
高次脳機能障害は頭部MRI、CT 等で損傷部位を確認し、心理検査による認知機能障害の評 価を行い判定される。
@症状
手帳や年金の対象となる行政的定義の症状に ついて簡単に解説したい。遂行機能は柔軟性、 注意維持、流暢性、将来の計画性に分けられ る。これらはいわば「脳の司令塔」の役割であ る。記憶障害とは「覚えることができない」、 「過去の記憶を想い出せない」ことで短期記憶、 長期記憶等に分類される。注意障害は、集中し て物事に取り組めない、同時に複数の事に気が 払えない、等の症状として表現される。社会的 行動障害は上記の認知障害の結果として、対人 関係のトラブルや環境面での不適応として表出 する。以上に加えて、高次脳機能障害患者には 不安、抑うつ、睡眠障害、固執等の精神症状が 合併することがある。
A診断の手順
著者の場合、画像、病歴により基礎疾患の特 定を行い、患者の診察から欠損部位と認知障害 のおおよその関係を特定し心理検査の結果をふ まえ診断している。診断に際しては、脳外科 学、神経内科学、リハビリテーション医学、神 経画像学、精神医学の知識が求められる。注意 すべきは、形態的欠損と認知機能障害の整合性 である。すなわち、脳の局在論に従い特定部位 の欠損に伴って症状が出現するとは限らないの である。これには逆の現象もみられる。つまり 表出症状にもかかわらず形態的には正常という 場合である。脳血流検査であるSPECT や白質 の変性をみる拡散テンソルMRI 等が補助的に 役立つ場合はあるが、通常これらの機器を設置 している施設は限られており、医療コストの上 からも利用する機会は少ない。したがって症状 の理解には形態検査、生理検査に加えて、心理 検査の解釈が重要である。なかでもこうした分 野は神経心理学と呼ばれ、古くは19 世紀の失 語症の研究に始まり、機能性MRI の出現とと もに現在では多くの知見が蓄積されている。
脳波検査はてんかんや意識障害の検出に有効 で、脳の生理機能を理解する上で頻用される。
B心理検査
心理検査には様々なものがある。特に高次脳 機能障害の診断においては神経心理検査が重要 である。目的と病態によって、初診時、検査の 種類を指示する。主なものをあげると、 WAIS-V(ウエクスラー知能検査:知能指 数)、KWCST(慶應ウィスコンシンカード検 査:遂行機能検査)、BADS(遂行機能検査)、 WMS(ウエクスラー記憶検査)、クレペリン連 続加算テスト(作業能力、集中力)がある。
C生活歴の重要性
高次脳機能障害の症状は検査だけではわかり にくいものがある。また検査ではほとんど問題が ないのに、生活に支障をきたす場合もある。例 えば、易怒性、固執、無感情、反社会性などの 症状は心理検査では表現されにくい。これらは 本人よりも家族からの情報が役立つ場合が多い。
高次脳機能障害の治療は、主に薬物療法、認 知リハビリ、社会復帰支援にわけられる。
@薬物療法
薬物は主に付随する精神症状、すなわち、不 眠、不安、抑うつ、粗暴性、固執等に使用され る。以下は著者の経験上の分類および方針であ ることをお断りして説明したい。
覚醒、賦活系薬剤として、メチルフェニデー ト、アマンタジン等がある。これらは注意力や 覚醒レベルの改善に使用される。鎮静、抑制系 薬剤として、リスペリドン、ハロペリドール等 がある。通常は統合失調症、躁うつ病などの精 神疾患に使用されるものである。衝動統制がわ るく、固執や粗暴行為のみられる事例に使用さ れる。抑うつ系の薬剤として、ミルナシプラ ン、トラゾドン等がある。抑うつの出現には、 脳の器質的障害によるもの、現実場面の不適応 により誘発されたもの、双方が原因と考えられ るものにわけている。自律神経調節薬として、 ブロマゼパム、ロラゼパム等がある。これらは 主に動悸や現実不安等、いわゆる神経症症状に 対して使用される。速効性があるため、依存になりやすく、抑制障害のつよい患者に対しては 控えるようにしている。睡眠薬として、ゾピク ロン、ニトラゼパム等がある。睡眠障害の改善 は日中の注意力を改善し作業能力を向上させる ため特に重要であると考えている。長時間作用 型の睡眠薬は翌日の持ち越し効果があり日中の 覚醒レベルに影響を与えるので好ましくない。 気分安定薬としてリチウム、カルバマゼピン、 バルプロ酸等がある。これらは易怒性、感情失 禁など、いわば感情のムラに対して使用され る。精神症状ではないが、見逃されやすい症状 に排尿障害がある。尿崩症や末梢神経障害を除 外して後も症状が続く事があり、中枢性の排尿 障害を検討する必要がある。薬剤としてはジア ゼパム、クロナゼパム等のマイナートランキラ イザーに反応する事がある。
脳損傷患者は一般的にてんかんを合併しやす い。原則的には部分てんかんが主体であるが、 発作型は多様である。注意すべきは、身体化を 伴わないてんかんを見逃さないことである。例 えば前頭葉てんかんには「突然理由もなく怒り 出す」怒り発作があり、側頭葉てんかんにはあ たかも覚醒して行動しているような精神運動発 作がある。治療薬としてカルバマゼピンやバル プロ酸等が使用される。
A認知リハビリテーション
当院の認知リハビリテーションには、認知処 理能力と記憶機能に焦点を当てたものがある。 前者は1)数唱え(1 〜 100/100 〜 1)、2)計 算、3)数飛ばしの課題があり、後者には間隔 伸長訓練がある。
ひとつの課題にもいくつかの方法がある。 数唱え(1 〜 100/100 〜 1)を例にとれば、口 頭、書記、タイミング(治療者の指を振るタイ ミングに合わせる)のパターンがあり、閉眼で 施行するか開眼かでも目的が異なる。課題の選 択はプレ試行で決定する。例題として1 〜 100 を順に数えてもらう。標準的な速度の指標は 40 〜 50 秒であり、保続、数飛ばし、課題回避 等のエラーを観察し判断する。
認知機能は階層性を持っていると言われ(図1)、基礎となる部分の障害がすべての機能に影 響を及ぼすとされている。そのためリハビリテ ーションは1)心的エネルギーの低下、2)抑制 困難、3)発動性低下、4)情報処理速度低下、 5)効率性低下に焦点を当てる。これらの機能 は再建可能と考えられており、その他の記憶、 遂行機能、社会行動などは学習を基礎とする代 償が有効だとされている。また改善の指標とさ れる病識や障害の自覚、受容の獲得はモニタリ ング、気づき、心的エネルギーの向上に力点が 置かれている4)。
図1
B社会復帰支援
社会復帰支援は主に保健福祉士(ケースワー カー)の業務である。高次脳機能障害の年齢層 は小児から老年期まで幅広い。とくに社会復帰 を目的とした患者の場合、職場や地域との連携 が大切である。手帳や障害年金の説明は言うま でもなく、不適応からくる平素の悩み、家族関 係の調節等、業務は幅広い。
○例1
@病歴:40 歳男性。20 歳時、交通事故にて脳 挫傷。脳外科にて治療後、次第に医療機関の受 診が滞るようになり、自閉的生活を送っていた。
A画像1
B心理検査:ウエクスラー知能検査では、全 IQ90(ほぼ正常)であったが、ウィスコンシン カード検査にて、軽度遂行機能障害がみられた。 C治療:意識消失発作があったが、長年放置さ れておりカルバマゼピンを投与したところ、発作がほぼ消失した。認知リハビリテーションで 注意力や覚醒水準が改善し、就労に向けている。
D考察:長期間未治療の前頭葉てんかんを合併 しており、社会適応力が低下していた。早期の 治療介入が望ましい事例であった。
画像1(頭部MRI、FLARE 画像、両側前頭葉に挫傷後の白質 変化がみられる。)
○例2
@病歴42 歳男性。35 歳時、飲酒し転倒後脳挫 傷、脳外科にて治療後、二つの精神病院デイケ アで粗暴行為をはたらき治療中断、当院受診と なる。
A画像2
画像2(頭部MRI、FLARE 画像、両側前頭葉に欠損部位がみ られる。)
B心理検査
ウエクスラー知能検査では、全IQ60(中程度 障害)であり、ウィスコンシンカード検査にて著 明な遂行機能障害がみられた。衝動性、脱抑制行 為などあり、反社会性の人格変化を伴っていた。 C治療:ハロペリドールとカルバマゼピンを使 用し、衝動性の改善をみて生活訓練施設へ入所 した。
D考察:薬物療法により粗暴行為の改善をみ た。正常知能の水準ではないものの、単純作業 から導入し生活向上がみられた。
著者は現在、精神科病院に勤務している。高 次脳機能障害の拠点病院は通常回復期リハビリ 施設であるため、その点全国でもめずらしい。 精神科病院へ入院依頼のある事例は、興奮、粗 暴などの症状があり一般病棟での対応が困難な 患者が多い。基礎疾患は様々であり、これら疾 患と抗精神薬との相性を考察しながら対応して いく必要がある。こだわりのつよい患者、感情 コントロールが困難な患者、反社会性人格に至 った患者は日常生活で問題をおこしやすい。治 療者側の特別意図のない言葉や態度に反応し攻 撃性をあらわにすることがある。場合によって は信頼関係が崩れ、治療から外れてしまうこと もある。検査上の知能が全人格的知能とイコー ルでないことは当然のようで、一般的にはわか りにくい。著者は抗精神薬を使用することであ る程度は解決できると考えている。
高次脳機能障害の手帳や年金の申請は、精神 科の業務である。しかし脳外傷、出血等の初期 対応は主として脳外科、神経内科であり、急性 期治療から回復して後も、患者は通常回復期リ ハビリ施設へ入院し、リハビリテーション科の 担当となる。以上の経緯から高次脳機能障害の 認定を受けるにあたり、患者から手続き面での 煩雑さを指摘する声もある。いずれにせよ、初 期治療施設やリハビリ施設は精神科との連携が 必須となる。これはケースワークの業務として 重要な範疇に入る。
高次脳機能障害の治療においては身体機能に も着目する必要がある。作業能力の向上は覚醒 水準を改善に導き、その結果社会性獲得を促す 効果がある。理学および作業療法士と連携し情 報を交換する事が大切である。
書類業務の煩雑さは高次脳機能障害に関わる 医師に共通しているようである3)。障害者手帳 にはじまり、年金診断書の作成、傷病手当の記 載、生命保険や損害保険診断書の作成、保険会 社との面接、など治療以外の業務に膨大な時間 が割かれる。総合病院の場合、これは病棟クラ ークの補助業務として診療報酬が加算される が、精神科病院、リハビリ病院、個人開業医に はない。そうした施設における精神科医は日夜 業務の合間をぬって診断書と格闘する羽目にな る。今後は診療報酬の加算を期待する。
高次脳機能障害は長期の治療が必要であり、 地域連携や多業種の支援が欠かせない1)。今後 も障害普及に勤めていきたい。
文献
1)片桐伯真:高次脳機能障害者に対する地域支援の取り
組み,聖隷三方原病院雑誌,12 巻1 号,1-5,2008
2)大橋正洋:高次脳機能障害支援モデル事業・モデル事
業後の高次脳機能障害への取り組み,高次脳機能研
究,26 巻3 号,274-282,2006
3)先崎章:精神科における専門外来の試み・新たな展開
とその今日的意義,精神科治療学,23 巻9 号,1103-
1108,2008
4)渡邉修:認知リハビリテーションの現在と将来・前頭
葉障害のリハビリテーション,認知神経科学,11 巻1
号,78-86,2009
問題:高次脳機能障害の行政的定義に含まれな いのはどれか
先天性心疾患外科治療の進歩
問題:先天性心疾患に関する記載の中で正しい ものを選択してください。
正解 1)