沖縄県医師会 > 沖縄県医師会の活動 > 医師会報 > 8月号

稲冨洋明先生旭日小綬章受章祝賀会

常任理事 安里 哲好

稲冨洋明先生と民子夫人

稲冨洋明先生と民子夫人

前沖縄県医師会長の稲冨洋明先生の栄えある 旭日小綬章受章を心よりお祝い申し上げます。 稲冨先生の受章を称えた祝賀会が、平成21 年 6 月3 日ザ・ナハテラスにて行われ、会場溢れ んばかりの多くの方々が出席され、受章を祝い 喜びを共にされました。

宮城会長

始めに主催者を代表 して宮城会長より、稲 冨先生が南部地区医師 会役員24 年、県医師会 役員26 年の長きに亘り 医師会の重鎮として強 力なリーダーシップの もと、会の発展並びに県民の医療・保健・福祉 の向上に尽力されたことに対する労いの言葉が 述べられると共に、混迷する医療界を立て直 し、安心・安全な医療を提供するため、引き続 きのご指導、ご助言を賜りたい旨の挨拶があり ました。

続いて、名嘉南部地区医師会長より稲冨先生 のご功績が紹介された後、来賓を代表して奥村 啓子県福祉保健部長(代:宮里達也保健衛生 統括監)より、先生の長年の医師会活動並びに 30 有余年に亘る地域保健医療活動に対する労 いの言葉が述べられました。

その後、記念品・花束贈呈が行われ、稲冨 洋明先生よりお礼のご挨拶が述べられ、新垣善 一議長の音頭による乾杯の後、懇親へ移りま した。

なお、稲冨先生の業績内容と謝辞を以下のと おり掲載します。

稲冨洋明先生功績紹介
名嘉南部地区医師会長
名嘉南部地区医師会長

この度の稲冨洋明先 生旭日小綬章受章に際 し、輝かしい数々のご 功績の中から主なもの を簡単にご紹介させて いただきます。

先生は、昭和55 年に 沖縄県医師会理事就任を皮切りに理事8 年、副 会長14 年、会長4 年、合計26 年間にわたり、 沖縄県医師会の牽引者として会務運営、事業推 進に尽力されました。

平成14 年の会長就任に際し、「信頼される医 師会」づくりを提唱し、様々な形で実践してこ られました。

先ず、県民から信頼を得る為には、対外広報 活動が必要不可欠であるとし、「県民公開講座」 の開催、沖縄県老人クラブ連合会や婦人会連合 会等の各種団体の代表者で構成する「医療に関 する県民との懇談会」の実施、「マスコミとの 懇談会」の定期開催等に努め、県民への適切な 情報発信と県民との直接対話を強力に推進され ました。

一方、会内では、「医の倫理向上」「自浄作用 の活性化」「医療安全対策」等に力点を置き、 県内外からそれぞれの専門家を講師に招聘して 講演会を開催すると共に、中央から収集した情 報を会員に提供し、会員自らが「安心で安全な 医療の確保」に取り組むよう促進し、信頼の醸 成に努められました。

また、本県は、従来から日本の南玄関として 東南アジアとの交流の拠点を目指し種々活動を 行っておりますが、稲冨先生は、医師会も、学 術団体としてその一翼を担い国際交流の発展に 寄与すべきとの信念の元、隣国で歴史的にも結 び付きの深い台湾の台中市医師公会に姉妹会締 結の申し出を行い、台中市医師公会のご理解を 得て姉妹会締結を実現させております。特に平 成1 5 年にアジアを中心に猛威をふるった SARS 発生時にはマスクを届けると共に、担当 理事を現地に派遣し情報収集に当たらせる等、 本県のSARS 対策に大きく貢献しております。

このように、沖縄県医師会長という極めて多 忙の中で、沖縄県医療審議会委員、健康おきな わ2010 推進会議委員等、県をはじめ関係諸団 体の委員会委員等を歴任され、その数は四十数 種に及び、医師会のオピニオンリーダーとして 各方面で活躍されました。特に、沖縄県医療審 議会においては会長として、県下の医療提供体 制の確保に尽力されております。

また、九州医師会連合会では、平成17 年度 に連合会長に就任され、九州医師会総会・医学 会、九州ブロック学校保健・学校医大会をはじ めとする諸行事を成功裏におさめると共に、日 本医師会においては理事2 年、代議員10 年、 病院委員会2 年を歴任され、日本医師会の事業 推進にも大きく貢献されております。

さらに、本会の長年の懸案事項でありました 会館建設について、県有地との等価交換作業を 速やかに進捗させるよう直接沖縄県知事に働き かける等、先頭に立って会館建設に向けて尽力 されており、おかげを持ちまして、昨年秋に無 事竣工しております。

また、南部地区医師会においては、昭和51 年4 月に現在の理事に相当する幹事就任を皮切 りに幹事8 年、理事6 年、副会長を10 年務め られ、南部地域の医療・保健・福祉の向上、発 展に多大な貢献を果たされました。特に、昭和 59 年4 月、副会長に就任すると同時に会長を 強力に補佐し、同会法人化に向け会員相互の団 結を図り、昭和59 年9 月の社団法人の認可取 得実現に大きく貢献されました。また、会員の 念願であった南部地区医師会館並びに附帯施設 の老人保健施設建設への取組みに精力を注が れ、特に、会館建設委員長として附帯施設の選 定から、視察団を結成し熊本県の水俣市葦北郡 医師会立の老人保健施設はじめ県内5 ヶ所を視 察するなど、地域住民の保健・医療・福祉の向 上を狙いとする医師会活動の拠点づくりに大き く貢献されました。

以上のような数々のご功績が認められ、この度旭日小綬章を受章されました。現在は沖縄県 医師会顧問として、医師会発展のためにご尽力 いただいておりますが、稲冨先生におかれまし ては、今後もますますご健勝でご活躍されんこ とを祈念申しあげまして、簡単ではございます が業績紹介を終わります。

この度のご受章、誠におめでとうございます。

稲冨洋明先生謝辞

本日は公私共に大変お忙しい中を、このよう に大勢の皆様にお集まりいただきました事に心 から感謝申し上げます。

この度はからずも春の叙勲受章者として旭日 小綬章を拝受いたしました。身に余る光栄でご ざいます。

先ほど来、ご祝辞を賜りました奥村啓子県福 祉保健部長ご名代の宮里達也保健衛生統括監、 宮城県医師会長には、身に余るお祝いのお言葉 をいただき、ありがとうございました。

また、名嘉南部地区医師会長からは過分なご 紹介を賜りまして、身のすくむ思いでございま す。去る5 月14 日に厚労省において舛添大臣 より直接勲記・勲章の伝達がされることになっ ていましたが、新型インフルエンザの問題が浮 上したため、急遽場所がホテル・ニューオータ ニに変更になり、渡辺副大臣による伝達となり ました。

その後、昼食の弁当を食べ厚労省のチャータ ーしたバスに分乗し皇居に向かったのですが、 時間の調整のため皇居前広場で約1 時間バスか ら降りて散策することになりました。

モーニングに勲章をつけたオジさんと着物に リボンをつけたオバさん達がうろうろしている 姿を想像してみて下さい。

ある外人観光客から、その勲章はどこで売っ ているのかと聞かれるハプニングもありました。

再びバスに乗って、坂下門を通って皇居に入 りましたがそこで30 分待って、ようやく黄色 い絨毯が敷かれた木の香りがただよう階段を上 ると、そこが豊明殿でした。広さ約280 坪で天 井の高さ6m、32 個のシャンデリアが輝き、赤 い絨毯が敷き詰められ、雲の模様が描かれた 11 面のつづら織のある豊明殿へ陛下がお出ま しになり有難いお言葉を頂戴し、感慨無量でご ざいました。

今回の受章は保健衛生功労ということであり ます。

主たる功績内容は医師会活動で南部地区医師 会24 年、県医師会26 年の間務めさせて頂いたということと、そして役職に付随して回る各種 委員会に委員として参加させていただいたこ と、昭和49 年4 月に県内で最初の医療法人と して糸満晴明病院を開設以来36 年間精神科医 療に従事し、県内の精神医療保健の向上に寄与 したこと等であります。

また、2 期4 年間でございますが県医師会長 として、「開かれた医師会」から「信頼される 医師会」を目指して、役職員が一丸となって取 り組んだこと、国際交流の一環として台湾台中 市医師公会と姉妹関係を結んで相互交流を促進 したこと等、諸先輩方の温かいご指導ご鞭撻と 役職員が一丸となったご協力、ならびに多くの 会員の先生方のご支援のおかげだと心から感謝 申し上げます。

5 年前の今頃は、変形性膝関節症のため、杖 なしでは歩けない状態でした。健康食品等には 大変お世話になりました。

お世話にはなりましたが、全然効果がありま せんでしたので結局手術により人工関節を埋め 込みまして今では自由自在に動けるようになり ました。ただ走ることと、正座する事、高い所 からとび降りる事は禁止されています。

また、ストレスを発散させるための方策とし て前回の祝賀会の時には「心に太陽を抱き、唇 には歌を」という気持ちで頑張りたいと申しま したが、ここである会員からクレームがつきま して、“一つ足りないよ。「腕にクラブを」を追 加すべきだ”と云われましたが、私には腕に自 信がありません。あくまで「心に太陽を、唇に 歌を」という気持ちで頑張っていきたいと思っ ていますので、皆様のこれまで以上のご指導ご 鞭撻のほどよろしくお願い申しあげます。

最後になりましたが、ご参集の皆様の今後ま すますのご健勝とご多幸を祈念し、感謝の言葉 とさせていただきます。

本日はありがとうございました。




印象記

安里哲好

常任理事 安里 哲好

小生は稲冨洋明先生と平成12 年度から6 年間沖縄県医師会活動をご一緒させていただきまし た。稲冨先生は、平成14 年度からは県医師会長を務めると共に、平成17 年度には九州医師会連 合会長、平成14 年から平成16 年までは日本医師会理事等の重責を担ってこられ、その間、台中 市医師公会との交流の礎も築かれました。両膝関節痛そして足関節を痛めた中で、よくも九州を 中心に、全国そして国外を行脚できたものだと敬服しています。沖縄県医師会を守り発展させ、 東アジアの医療における交流の端緒を育成して行くと言う強い気持ちが心の底にあっての事と思 います。県外や台中市にご一緒した際に、タクシーに乗る時、君から先に乗りなさいと言われ、 最初は戸惑いましたが、膝を強く使う横移動には難渋していたのでしょう、その後は、失礼しま すと述べ、先に乗車したのを思い出します。また、台中市医師公会との交流のための最初の下調 べの際、ご一緒させていただいた折、台中市・台北市の文化や歴史的建物そして色々な食べ物 (路上レストラン、お寺の参道の珍味・美味、円山ホテルの高級料理)等を味わい、そして、顔形 はそれ程違わないのにまったく理解できない言葉を話す台湾の方々に戸惑を感じていましたが、 稲冨先生が通訳兼道案内をしていただきました。これ程地理的にも歴史的にも身近な台湾を、初 めて訪れて、そして異国の地を見聞させてもらい、他の国の方々と交流する機会を経験させてい ただき、視野が広がりました。おかげ様で、その後チャイナ・エアラインを利用し10 回ほど外国 を旅しています。

県医師会長としての激務を終え、一医師として、安寧の日々をお過ごしになり、最近の稲冨先 生は肌つやも良く、膝の痛みもほとんど無いと聞いています。「心に太陽を、唇に歌を」と言う気 持ちで頑張られるとのことですので、また時に触れて我々をご指導いただくと共に、今後益々、 ご健勝であられんことを心から念願いたします。