- 日 時 平成21 年4 月22 日(水)19 : 00 〜
- 場 所 沖縄県医師会館 会議室3
出席者
広報担当理事:當銘 正彦(沖縄県医師会理事)
司 会:玉井 修(沖縄県医師会理事、広報委員)
発 言 者:小渡 敬(沖縄県医師会副会長)
石川 清司(国立病院機構沖縄病院長)
本村 和久(沖縄県立中部病院内科医長)
山里 将進(かじまやークリニック院長)
近藤 功行(沖縄キリスト教学院大学人文学部、
沖縄キリスト教学院大学大学院異文化
コミュニケーション学研究科教授)
玉城江梨子(琉球新報社社会部記者)
儀間多美子(沖縄タイムス社特別報道部記者)
沖縄県医師会理事 玉井 修
人の死が本人と家族 の側からいつの間にか 医療の側にシフトして まいりました。スパゲ ッティ症候群と呼ばれ、 心電図モニターで人を 看取る事に疑問を感じ た現場の医師、スタッフ、そして家族から今尊 厳ある死についての議論がわき起こっています。 死を迎えることはどう生きるかにも関わる大き な問題であるにも関わらず、トートーメーを誰 が引き継ぐかなど様々なナイーブな問題と複雑 に絡みながら、家族で死について語り合うこと はタブーとされている実態もあるようです。
しかし、人がやがて死んでしまうのは当たり 前のこと。その当たり前のことを当たり前に議 論できない事の方が普通ではないのではないで しょうか。今回は人はどの様に死んでいってい るのか、終末期における医療や介護にどの様な 問題が生じつつあるのか、あるべき終末期とは どの様なものなのか、沖縄県における終末期医 療の特徴とは何なのか等に関して座談会を開催 しました。このテーマを選ぶにあたり、非常に 悩みました。果たしてこのテーマで議論が可能 なのか?どの様なメンバーで座談会を開催しよ うか?
様々な不安の中で始まった座談会でしたが、 非常に有意義で、活発な座談会になったと自負 しております。しかし、決められた時間内では充分に議論できなかった部分もあります。今後 この様な意見交換の機会を持ちながら、あるべ き終末期医療のあり方に関して我々医師がどの 様に関わって行くべきかを考える一つの布石に なればと思います。座談会では医療人として終 末期医療に関わってきた多くの経験と、苦い思 い出、熱い想いを多くの医師会員にお話いただ きました。また、沖縄キリスト教学院大学近藤 教授には沖縄に根付く死生観と終末期医療のあ り方に関して詳しくお話いただきました。ま た、琉球新報の玉城さんやタイムスの儀間さん からは新聞記者としての立場を越えて、自分自 身が関わった人の死について非常に貴重なお話 をしていただきました。
○司会(玉井) 本日は、沖縄県医師会の座 談会、「DNAR と尊厳ある終末期医療につい て」にご参加いただきまして、大変ありがとう ございます。
まず当会、広報担当理事の當銘理事からご挨 拶をいただきたいと思います。先生、よろしく お願いします。
○當銘
皆さん、こんばんは。
本日は県医師会が主 催しました座談会 「DNAR と尊厳ある終 末期医療について」と いうタイトルで座談会 を企画しましたところ、 ご参加いただきましてありがとうございます。
非常に重いテーマで、いろんな意見が出ると 思うのですが、我々自身がこの議論に関しては 避けて通れない問題だと思いますので、ひとつ よろしくお願いします。
○司会(玉井) それでは、開会に先立ちま して当会副会長の小渡敬副会長よりご挨拶お願 いいたします。
○小渡
皆さん、こんばんは。 県医師会副会長の小渡 でございます。
人は生老病死と言う ように、人間が生まれ て、老いて、あるいは 病気をする、そして最 後は死ぬというのは、人間の運命であります。 この最期をどのように迎えるか。医療とは最期 の部分でどうあるべきか、それをどう対応する かは、重要なテーマであると思います。難しい テーマですが、今日はひとつよろしくお願いし ます。
○司会(玉井) どうもありがとうございま した。
どうも「死」というものについての扱い方と いうものに関しては、沖縄県は特にそうかもし れませんけれども、しっかり議論をしてこなか ったのかなというところがありました。
先ほど小渡先生からお話がありましたが、私 たち医療人はどうしても人の死に目にあうわけ でございますけれども、いろんな場面で医療人 は非常に苦悩して、また、救急隊員も苦悩して おります。このテーマを選ぶにあたって非常に 悩みに悩んだんですけれども、まずは座談会を させていただこうということにいたしました。今どのように死が迎えられているかということ に関して、石川先生、まずご発言いただけない でしょうか。
○石川
それでは、私どもは 緩和ケア病棟をもって おりますので、実務の 面からお話ししたいと 思います。
私ども国立病院機構 沖縄病院は、年間、肺 がんの患者さん、新患で約200 人、それから 120 床の神経難病病棟をもっておりますので累 計しまして年間約170 人程度の死亡がありま した。
緩和ケア病棟を開設しまして、緩和ケア病棟 だけで年間約100 人の患者さんが亡くなりま す。緩和ケア病棟ができましてから、院内の死 亡患者さんは年間250 〜 270 人ということで、 やはり「死」の問題は重要なテーマになってお ります。
沖縄病院の緩和ケア病棟は17 床ですが、院 内からの入院と院外からで約50 %、50 %とな っています。やはり緩和ケア病棟の特徴ですの で、モニター類は全くないという静かな雰囲気 になります。
緩和ケア病棟だけではなくて、沖縄病院では 一般病棟もがん専門病棟が三ヶ病棟ありますの で、DNAR に対しては書面でもって本人又は 家族から聞き取りをして書いてもらって、カル テの最初のページに貼ってあります。基礎疾患 の状況、患者さん、家族の希望、家族へはどの ような説明をしたかとか、カルテの第1 ページ に貼り付けられますので、主治医がいなくても 当直医でも対応できるようにしてあります。
癌の内容は大学病院が近接してありますの で、肺がんだけではなくて、多彩な癌の患者さ んが入院しております。
平均在日数、大体緩和ケア病棟で15 日間、 最短で1 時間というケースもあり、最長では年 単位の入院もあります。
緩和ケア外来も開設しておりますが、平均し て年間約450 件の相談を受けます。電話相談が 年間約650 件、近隣の急性期病院から在院日数 短縮のために押し出される形での入院もありま す。また、家族がどうしても家庭では看れない ということで、家族の都合で入院させてしまう というところも問題が残ります。家族が全く見 舞いに来ないといったことも悩みの一つです。
後ほど問題になると思いますが、完全なまで に高齢化社会です。ですから80 歳、90 歳、最 高齢で102 歳という患者さんが入院されたんで すが、高齢化社会における緩和ケア、ターミナ ルケアは、今後最大のテーマになるのではない かと思います。
それと問題点は、やはり沖縄独特のもので病 名の告知がされていないことと、曖昧にされて いるというところだと思います。
そういったことで、私は呼吸器の外科医、肺 がんを扱ってきましたので、ある時期にとてつ もない行き詰まりを感じたことがありました。
そこで、「沖縄・生と死と老いを見つめる会」 という市民運動の事務局を担当しております。 毎月1 回「死」の問題がテーマになります。そ ういうことで、医療の面とか、それから一般市 民への啓蒙、その両面から進めていかないと、 なかなか解決できないのではないかと思った次 第です。緩和ケア病棟には限界があり、病床数 も限られておりますので、在宅での看取りとう まく連携していかないといけない。高齢化社会 ですので、老健施設で何とか最期を見てもらえ ないだろうか、そのあたりも大切な問題になる のではないかと考えております。連携が必要だ と思います。
○司会(玉井) 今の緩和ケア病棟との連携 というんでしょうか、どういうときに在宅がで きて、どういうときに逆に在宅ができないのか というところを現場でのお話を伺いたいのです が。山里先生いかがでしょうか。
○山里
そうですね。在宅で 死を看取るというのは、 沖縄県は非常に少ない と思います。日本全体 で在宅で療養を希望し ている方が6 割から7 割 いると思うんですけれ ども、実際、在宅で死を迎える方は1 割ぐらい じゃないでしょうか。ですから、ほとんどが一 般病棟とか、緩和ケア病棟とかで、あとはほか の施設でお亡くなりになる方が多くて、在宅で 私たちが実際に看取る数というのはまだまだ少 ないです。
今、連携のお話がありましたけれども、病院 と診療所の連携とか、それから緩和ケア病棟と の連携、いろんな連携があると思うんですけれ ども、まだまだ非常に不十分かなと感じます。 例えば公立の病院から癌のターミナルでお家へ 帰す場合、退院間近でカンファレンスしましょ うという形で引き受けるのですが、本当にこの 家族で見れるのかなというケースが結構あるん ですね。そういうことでちゃんとしないままに 退院をして、1 週間も経たないうちにすぐ悪く なって、もう施設にも入れないし、かといって 病院にもすぐ入れないとか、そういう中で実際 には大変苦労することがあるんですね。
私は在宅で看取りができるというのは、医療 技術的なことより家族の介護の問題が一番大き いんじゃないかなと思います。それから思いで すね、おじいちゃん、おばあちゃん、お母さ ん、お父さんをどんなことがあってもお家で最 期を迎えさせてあげたいという思いが強い家族 は、いろんな困難なことがあっても最期まで在 宅できちっとやるんですよ。家族の強い思いと いうのが一番ポイントじゃないかなと私は思っ ております。
もちろん、私たちは24 時間対応だとか、特 にガンの緩和ケアの場合には痛みのコントロー ルというのが非常に重要なポイントになってき ます。このほうの対応はそんなに大変でもない のかなという感じを受けます。
例えば、介護の問題では、介護保険の利用の しやすさというのはまだまだ問題があって、と てもターミナルを介護保険のサービスの、今の やり方で看取るのは非常に難しいのかなという 気がします。
○司会(玉井) 今の緩和病棟と在宅の矛盾 を吸収しているのが救急医療なのかもしれない んですが、本村先生、実際に救急医療の現場で 終末期医療にかかわって何らかの問題とかがあ りますか。
○本村
どこで看取るかとい うような議論がない中 で、急変、急に悪くな ったということで、救 急車を呼ばれて来られ ることが多いんですが、 そこで何らか事前の話 し合いをされているというのは非常に稀で、自 宅で看取ろうと決まっていても目の前で急変す るとご家族は慌てて救急車を呼ぶというような ケースもあって、最期を看取るというのは非常 に難しいなというふうに、救急の現場にいても 感じます。
1 つ事例を紹介させていただきたいと思いま す。高齢の男性の方で、心臓にご病気があると いうことだったんですが、何とか普通に日常生 活をされている方が急に家で倒れて救急搬送に なりました。心肺蘇生を行い何とか一命をとり とめ、退院のはこびになりました。退院すると きに所管の消防署に連絡をしまして、DNAR のご意向があるので、明らかに亡くなっている 場合には心肺蘇生処置はしないで、急変のとき は救急で来るという方向になっていると話をし ました。消防のほうとしては救命するための 119 番であって、心肺蘇生を行わないという方 針が決まっているのは非常に困るという当然の お話をいただきました。それで対応に非常に悩 んだという事例です。
結局は、石川先生のお話にもありましたけど、診療に関する希望書、事前指定書という形 をつくりました。これを病院と患者さんの家 族、あとは消防とでやりとりをすることで、急 変で息があるような状態であれば、心肺蘇生の 処置はしないまでも何らかの形で病院に運ぶと いう取り決め、明らかに亡くなっている場合に は、心肺蘇生をせずに病院に運ぶことという話 で、退院することになりました。結局、その患 者は退院してから数日で息をひきとられまし た。このときに何かあればすぐ病院の主治医に 連絡することだったんですけれども、ご家族が 気を遣われたのか、そのときは警察に連絡をさ れて、警察対応になりました。
結局、病院の主治医が死亡診断書を書くこと はなく、ご家族と警察で最期の方針を決めたと いうケースです。
私の非常に中途半端な介入で、いろんな部署 に迷惑をかけてしまいました。患者さんがご自 宅で亡くなるというところはよかったんです が、最後の結果としては、死亡診断書もかけず 非常に申しわけないと反省しています。救急の 現場で、どう死を迎えるのかという問題は非常 に難しいなと思います。
○司会(玉井) 近藤先生、与論島では在宅 で亡くなる方が8 割ぐらいいらっしゃるという 話を先生の本で知りましたけど、どうしてでし ょうか。
○近藤
まず、沖縄と与論と いう中でみていくと、 結論から言えば、「決定 的に与論は自宅」なん ですけど、沖縄は当た り前に自宅で亡くなら れていない背景がある んです。その中で地域の死生観はかなり残って いて、その中で『日本病理剖検損報』なんか は、1990 年代に私が分析していると、全国の 医学部、医師研修指定病院なんかで病理解剖率 が一番低いのは、当時、琉球大学医学部と沖縄 県立中部病院でした。実は先ほど玉井先生がお っしゃいましたように、与論島は自宅死亡が8 割の島なんですね。その背景には、その土地の もっている人々の考える死生観というのが根強 く反映していて、かなり今変動がありますけれ ど、例えば南西諸島にずっと根付いていた洗骨 の儀式、それはもう与論島においては非常に大 事な儀式として捉えていて、年に2 回与論島で は行う日程が決まっていますけど、そのときは 全家族、あるいは親戚、あるいはそれに関連す る人たちが島内外から集まってきて、再会でき る喜びというか、非常に高いんですね。そうい う地域が与論島の地域ですので、そういった 人々のもっている死生観では墓にも神様がい て、家の中にも神様がいるというようなかたち で非常にそれは大きい自宅死亡を形成する背景 につながっていると思います。
その中で、山里先生がお話になった医療技術 的なものよりも、家族の看取りの方が大事にな ってくるという話が、これは結構、与論でもあ てはまりまして、実は与論島は8 割が自宅で亡 くなる島、それ以外は8 割が病院死亡で、 DOA 症例とか一部の事故とかそういったもの を除いたらもうすべてが在宅死ということがあ ります。一昨年、若干特異的な事例が出てき て、家族が問題となるケースでして、85 歳、 84 歳の夫婦が島を出て行くことになったんで すが、85 年間、84 年間暮らしたお年寄りがそ の島を出る理由は、その夫婦には5 人子供がい るんですけど、みんな東京、大阪、徳之島、鹿 児島市内にいて島に1 人もいない事例でした。 最終的に与論島で亡くなるんではなくて、鹿児 島の長男の家でということになりまして、まさ しく家族というのが問題となった事例でした。 玉井先生がおっしゃいましたけど、特に介護も 保険医療も全然問題なくて、そこで問題になっ たのは世話をする家族でした。だから、与論の 8 割の法則にはここでは家族がいないとあては まらない。石川先生と山里先生のお話を聞きな がら、自分的にもキーワードになることが結構 ありますので、聞きながらメモしています。そ んなことを感じた次第です。
○司会(玉井) 皆様、何かご意見のある方 いらっしゃいますか。
○小渡 さきほどの本村先生のお話はある意 味でよくわかります。家庭医ないし主治医がい ない場合、自宅で亡くなると警察に届けざるを 得ません。そして死亡検案書を書いてもらわな いと火葬することが出来ない仕組みになってい ます。実際に私も警察医をした事がありますが、 主治医がいないために死亡検案書を発行せざる を得ないケースを幾つか経験しました。本来な ら、主治医がいれば自宅で亡くなっても死亡診 断書を書いてもらえたケースだと思います。
また山里先生が話されたように、現在、在宅 で死を迎える人は約1 割位で、殆どが病院で亡 くなっています。現在年間約100 万人の人が亡 くなっています。約10 年前は70 万人位でした が、これがどんどん増え、今後10 年もすると 高齢社会がさらにすすみ、亡くなる人は年間 140 万人位に増えると言われています。そうな ると、病院での対応は困難になると考えられま す。そのため、国は在宅医療を推進し、在宅で も死が迎えられるようにしたいと考えていると 思われます。今回の介護報酬の改定でも、老健 施設や特老での看取りに点数をつけ、施設でも 終末期を迎えることができやすいようにしたと 考えることもできます。
さらに病院での終末期の問題としては、言葉 で看取りというのはきれいだけれども、言葉を 変えると医療を中断する事です。それは、医の 倫理に絡むことであり、たとえ家族あるいは本 人の同意を得られたとしても、法的な根拠がな ければ実施するのは困難であります。日本医師 会では、この点については様々な議論がなされ ており、ガイドラインも出されているようです が、法制化については日弁連は反対しており、 現状では法制化する目途はないようです。
○司会(玉井) 何かご意見のある方がいら っしゃいますか。
○石川 最近、地域の特性を考慮した緩和ケ ア病棟の運営についての調査をしたことがあり ます。近藤先生のお話を伺いましても、沖縄の 県民性というのは与論島とそんなに変わってい ないなという感じがします。それは実現可能か どうかは別にして、最期をどこで迎えたいかとい うことに対しては、やはり自宅でというのが沖縄 県では7 割を占めます。高い傾向にあります。
それから全国の動向は、最期の期間をどうい ったことで過ごしたいかという質問に対して は、全国的には「趣味や好きなことをして過ご したい」というのがトップなんですよ。沖縄県 はそれは2 番目です。まず1 番目が「家族と過 ごす時間を増やしたい」が1 位で、全国と1 位、 2 位が逆になります。やっぱり地域性はあるん ですね。沖縄の県民性、与論もほぼ同じような 県民性じゃないかというように思います。
○司会(玉井) 県民性は似ていると思うん ですけど、ただ、それを担う家族力があるかど うかというのは難しいんじゃないかと思います。
山里先生。
○山里 さっきも言いましたけれども、家族 の介護力とか思いというものに大変問題がある んじゃないかなと思います。全国の所得の水準 からみても、沖縄は圧倒的に低いですよね。例 えば在宅で、その患者さんは、自分は家族に看 取られて死を迎えたいと思っているんですね。 現実には、家庭が共稼ぎが当たり前で、とても 家ではみれませんよというのが現実ですね。ひ ところは在宅医療というと、自宅に赴いていた 場合が多かったんですが、先ほど先生がおっし ゃったように、本来の在宅ではないところにシ フトしているんですね。今はだんだん、高齢者 共同住宅とか、託老所とか、民間有料老人ホー ムとか、そういうところに入って、そこで訪問 診療を受ける方のほうが比重が高くなっている わけです。今後、少子高齢化が進みますが、そ ういう傾向はますます強まっていくのではない かなと思います。
ですから女性も働いて経済を支えるのが当た り前という時代であれば、その時代にふさわし い看取りの場というのを国はもっと考えないと いけないのではないかなと思います。
そうしないと高齢者共同住宅の場合も、ピンからキリまでで、こういうところで死を迎える のが、人間の尊厳ということを考えた場合に、 みじめな思いをするのではないかなというよう な施設もあります。
また、医療や介護の知識もない人たちがケア しているところにターミナルの方が入っても、 ちゃんとした死を迎えることはできないんじゃ ないかなと。
先程、主治医がいない場合のケースのお話が 出ていましたけれども、私が主治医で高齢者共 同住宅で見ていた患者さんが急に具合が悪くな ったときに、その介護をしている人は何かあっ たら夜中でもいいから必ず私に電話をしてくれ ないと、亡くなった場合大変困ることになるよ と。多分、警察の厄介になって、それは家族と して一番望まないことだから必ず連絡してくだ さいねと言ってあるんです。しかし、介護者が 替わるわけです。そうすると私が言った人が、 たまたまそのときいなくて全くそういうことを 考えていない方が、夜、当番になって、そのと きに急変し、気が動転して、すぐ救急車を呼び ます。おまけに私に連絡もなしでやったもので すから、結局は病院で診断書を書いてもらえず に警察のほうで検案書を書いてもらったケース があったんですが、そうすると家族からの信頼 も非常に失うわけです。ちゃんとみてくれるつ もりで主治医はお願いしたのに、一番大事なと きにちゃんと対応してくれなかったということ で、私も大変つらい思いをした事がありました。 そういうときにやはり託老所等の施設が、本当 に対応できるような状況にないんですよ。こう いうところが看取りの場として、きちんと対応 できるんだろうかと非常に疑問に思います。
○司会(玉井) 託老所の問題なんかも痛切 ですよね。
○近藤 今、看取りの場というのが出て、沖 縄における看取りの場を考える時に、離島でい かに終末期が自宅で迎えられるかというのを考 えないといけないと思うんですけど、これは実 は不可能に近い話だと、今現在も含めてかなり 厳しい話だと思うんです。要するに、沖縄のほ とんどの離島診療所はほぼ無床なので、1 床で も2 床でもいいから、ベッド数があれば島にい る人は、おそらく、家で亡くなられる第一歩が 踏めるんでしょうけど、その一歩が踏めないの が今の沖縄の現状であれば、離島の有床化がで きるのかなというのがあって、1 床でも2 床で もいいから「有床診療所」ができれば家に連れ 帰る終末行動が発生しても、それがゼロである 限りはおそらく家で亡くなることはかなり厳し い。粟国島なんかですと、とりわけ、与論島に 似た死生観を持っていて、本当は家に連れ帰り たいんだけど連れ帰れない。つまり、離島診療 所が有床であれば連れ帰るんでしょうけど、離 島が抱える問題を考えた時には、沖縄ではそん なのが出てくるんじゃないかなと思います。
与論島の人の事例で、沖縄の病院に入院して いて、末期状態の場合、もうちょっと昔の話に なりますけど、ある時期、「今なら帰れますよ」 と婦長さんなりがいうのは、近くに帰れるので はなくて与論島に帰れますよのサインで、それ が出れば、これを逃したら帰るチャンスがな い。要するに、沖縄で離島を考えた時に、与論 島の様に連れ帰りができるようなベッドが何か どこかあれば、もうちょっと変わってくるかな というか、そんな気がします。
○司会(玉井) 離島は結局病気をしたら本 島に出てくることが多いですよね。そのへん何 かご意見のある方。
○小渡 近藤先生の今のお話は理解できます が、ちょっと逆なんです。離島の方は在宅で看 取りができるんですね。というのは、家族も本 人もその覚悟ができているわけです。要するに 医療が診療所しかないから、在宅で亡くなって いくという覚悟がもうできているんですよ。本 島の場合は、そのような覚悟はなくて、みんな 救急車で病院に運ばれてCPR が始まるわけで す。そして延命処置になってしまう。その後、 終末期医療をどうしようかという問題が起こっ てくるのではないかと思います。むしろ離島の ほうが自然なのかもしれません。
○司会(玉井) 本村先生、何か現場で。
○本村 離島診療所2 つの島で勤務して、あ と、離島診療所の応援業務であっちこっちまわ った感想なんですけれども、医学の発展とかに 従って老いるということが医療の世界に入って くる。今までは老いていても家族の介護力があ って見ていたものが、徐々にどんどん、どんど ん医療にシフトしていって、結局、高齢化から 亡くなる前までのプロセスが、だんだん医療サ イドじゃないとわからない。家族のほうでは理 解できないという状況ができているんじゃない かなと。それは離島に限らずそうじゃないかな と思います。
私は、離島に赴任する前のイメージは、当 然、島で看取るんだろうというふうに思ってい たんですけど、実際に看取るケースは年に数人 でした。それもご家族の介護力があるとか、ご 家族で看護師さんがいるとか、限られた状況で 看取るケースが多いと思います。
あと、粟国の例でいくと、粟国はもともとの 文化と、特別養護老人ホームが受け入れる器が あって、何とか島で看取る率は比較的高いと思 うんですけど。そういった施設がない離島で は、先ほど小渡先生がおっしゃったように、急 に悪くなったらもう送るしかないし、突然悪く なればどこかの施設に、島から出て行くという 現状があると思います。
結局、少ないマンパワーの中で離島診療所と 行政とうまく知恵を出し合って、その家族が持 っていた介護力の落ちたところを何とかサポー トするという形になると思います。
結局、行政にしても国の方針にしても、私は 死ぬということは産まれることと並んで最大の 人生のイベントと考えていますので、そこには 当然コストがかかると思います。死んでしまう 人にそんなにお金かけてと、高齢者にお金かけ てという発想ではなくて、これだけ社会は変わ っているんだから、考え方を変えてそこに必要 な資源の投入が必要なんじゃないかと考えてい ます。
○司会(玉井) ありがとうございます。
何かご意見のある方、いらっしゃいますか。どうぞ當銘先生。
○當銘 ちょっとこれまでの論点とは角度が 違ってくるのかもしれませんが、病院で8 割、 9 割の人が死ぬようになったのは、これは戦後 なんですね。統計表を見たことがあるんです が、終戦後しばらくはまだ在宅で死ぬ人が多く て、おそらく病院で死ぬようになったのは62 年、皆保険制度ができてからだと思います。昔 は病院に連れて行くと金がかかるので連れて行 けなかったけど、皆保険制度で医療費の国民負 担が減ってくると、家で看るよりは病院で亡く なったほうがいいというふうな考え方にシフト してきた。現実に僕自身がもう40 年、50 年前 の経験ですが、うちのお爺ちゃん、お婆ちゃん は自宅で家族が見守る中で亡くなっていったも のですが、今ではそういう光景はもう殆ど見る ことはありません。
ところが一方では、1 つは日本人の死生観と も関連すると思うんですが、特に医者の中には 死は敗北だという考え方があるんですね。です から、患者を死なせないような形で一生懸命薬 を入れ、管を入れ、人工呼吸器につなげ生かそ うとする努力をして、パンパンに水ぶくれの状 態にまでして死亡するという状況がずーっと続 いて来ました。それに対する反省点は、1990 年代に入ってからだと思いますが、昔は「DNR」 といったんですけど、今は「DNAR」というん ですね。DNAR という考え方が出てきて、旧那 覇病院でも95 年ぐらいだったと思いますが、 僕自身がDNAR のシートを自分でつくった記 憶があります。そういうふうなやり過ぎの医療 に対する批判とともに、やはり患者の死を迎え るにあたっての尊厳、そういう考え方が次第に 出てきて、もっと医療のあり方を考えるべきじ ゃないかということと、またそれを裏返しにし て受けたかたちで厚生労働省は病院で死亡する ことは医療経済的にも非常に損失が大きいこと により、在宅での死という方針を打ち出して来 ました。法的にも尊厳死の取扱いは揉めていま すよね。小渡先生がおっしゃったように、どっ ちの言い分もあって、法的な問題も揉めているし、医療環境もなかなかうまく整備されていな いという状況の中で、今、この問題は議論され ている訳で、非常に複雑な問題点をいっぱい抱 えているというふうに感じています。
○司会(玉井) 當銘先生、ありがとうござ います。
○小渡 今の當銘先生のお話にちょっと補足 しますと、尊厳死とか終末期医療をどうすれば よいか、という問題が起こったのは、医療技術 が高度になったことも関連していると思いま す。従来なら亡くなっていたケースでも、助け ることができるようになった。しかし、良くな るのではなく単に延命するだけのケースが増え たからだと思います。最近では、高齢者等に対 して単に延命だけの救急蘇生は少なくなったと 思いますが、認知症などの場合、病状が悪化し 食事を摂らなくなると施設から病院に搬送し、 胃瘻を設置してさらに延命を図ることが行われ ているが、これもその技術がある以上、家族に 頼まれるとやらざるを得ない。しかし、これが 正しい行為かどうか悩ましいことです。
○司会(玉井) 山里先生どうぞ。
○山里 どういう最期を迎えるかというの は、本来はその人が自己決定権を持っていて、 まだ認知症のない段階で、仮に死を迎えるとき にどういうことを望みますか。例えば胃瘻の問 題をとってみても、胃瘻をつくってでも生きた いという人もいれば、胃瘻つくってまで生きた くないよねと、いろんな人がいるんですね。で すからやっぱりその人の決定権というのが一番 大事なことじゃないかなと思うんですね。我々 はそれを多分判断できないですよ。胃瘻をつく ったほうがいいのかどうかは決めるのは、やっ ぱり本人。それから、本人が認知症であれば家 族に。DNAR と同じように、どこまでの医療を 望むんですかという事をある程度前もって聞い て、その人の意に沿った医療を我々はやれば、 あまり問題はないんでしょうけれども、今、そ れがないものですから、結局は挿管してみた り、胃瘻をつくってみたりするわけですね。で すから大事なことは、そういうことの意思確認 をやっておくことじゃないかなと思います。
○司会(玉井) 一般の家庭では死の問題は 議論しないんですよね。それとやはり死が本人 の問題じゃなくて、医療側の問題に今なりつつ ある。家族の中で死というものを議論するよう な素地というか、そういうものは沖縄にあるのか ないのか、何かそのあたりで意見はないですか。
○當銘 石川先生からのお話にもあったんで すが、「死について家族で話し合ったことがあ るか」というのは、アンケート調査でも非常に 少なかったですね。そういう習慣がまだ定着し ていませんが、今、山里先生がおっしゃったよ うに、自分の死に様を自分で決定するというこ とは非常に大切なことだと。こういうふうに冷 静に話し合うと、みんなそうだと思うんですけ ど、後期高齢者の保険を開始したときに、真っ 先に潰されたのがこの終末期をどう迎えるかと いう政府案でした。あっという間に潰された訳 ですが、終末期医療をどうするのか国民の考え 方とは非常にギャップがあるという厳しい現実 も知らないといけない気がします。
○石川 本村先生が指摘されたように、「治 療事前指定書」自体が意味をもつのではなく て、それについて家族で話し合うという事、日 頃から家族とよく話し合ってみるということが 大事だという事です。本人だけがそう思って、 それを書いたとしても、まわりがそれを受け入 れてくれないと大変難しいところがあると思い ます。
○本村 市民向けに事前提示を含めた倫理の 話をした事がありました。お話をしてみると、 医師よりも患者さんの方がよく知っていると思 う事がありました。「エンディングノート」と いう、事前にこういうこと、葬儀はこうやって ほしいとかですね。
死に関して医療者が抱えすぎてしまっている。 当然、抱えてしまうと、実際の現場はあまりに も忙しくて、実際に市民にどう語りかけるとい う時間もないという状況があると思います。
事前提示に関する法律の問題は非常に難しい と思うんですが、こういうカンファレンスに法律家の方も招いてやることも必要かと思います。
山里先生がおっしゃった自己決定に関してで すが、法律で答えがない中でもご本人がこう言 って、こんなことをやっていたという意向が文 書で残っていれば医療を差し控えるとか、行わ ないという決定に関しても法的に問題になる可 能性は少ないのではないかというようなご意見 を法律家の方よりいただいたことがありました。
○儀間
いろんなキーワード があって、どこから私 の感じていることを伝 えればいいのかと思っ ているんですが、死生 観についてちょっと取 材したことがあって、 「終わりの形」という連載をしたことがあるん ですね。まさに沖縄の人の死生観。その中で、 今、本村先生がおっしゃったいわゆる遺言と か、自分の終わりをどう迎えたいかということ について取材をしたのですが、その言葉を出す こと自体、家族の中でタブーで、自分が死んで 後に例えば形見分けだったり、遺産をどうする とか、それをだれに託していくかということ自 体を自分は考えたくても、その家族が「なんで こんな話をするの」とか、兄弟姉妹がこんな話 をするなといって、なかなか受け入れられない という声がありました。死という話をすると、 その後の例えばお墓であったり、トートーメー だったり、そういう問題にもなっていくもので す。それだと今度は長男は長男としての悩みと か、未婚女性は未婚女性の悩みですとか、沖縄 の死生観、根強い文化の部分まで見えてきて、 ある意味興味深いというのもありました。なか なか死を動物的な死としてだけでとらえられな い文化的な背景というのはすごく大きいんじゃ ないかなと。もちろん日本にもあると思うんで すが、沖縄はそれも大きいのかな。お墓を持ち たくなくて自然葬にしたいんだけども、長男だ からそれは言えないんだとか、1 人で遺言を書 いているんだけども、それをだれかにまだ見せ ることができないとか、そういったところも含 めてもっと本村先生がおっしゃったように、人 生最大のイベントでもあるんですね。人間必ず 死ぬけれど、死ぬまでは生きているんですね。 どう生きるかという部分とすごくリンクしてい る問題だと思うんです。取材した男性がおっし ゃっていたんですが、自分の最期を自分で決め ていくということは決めてしまうとそれに向か って一生懸命生きればいいだけだから、タブー でも何でもないんだということをおっしゃって いて、まさにそのとおりだなと思ったのを覚え ています。
今、先生方のお話を聞いて看取りという部分 でガンの看取り、ホスピスという部分と、高齢 者の介護、いわゆる高齢者の看取りがあると思 います。私ごとではあるんですが、先日、98 歳 のじいちゃんが亡くなって、家で日曜日に孫が 集まっている中で気がついたら2 時間前までは 息をしていたのに、その後、見に行ったら息が 止まっていたというぐらいの大往生でした。そ れまで頭もある程度はっきりしていて、顔を見 たら笑えるぐらいの中での終わり方だったんで すが、その後、みんなで集まって着替えをさせ て、身体も拭いてあげて。近寄ってきて孫たち にも挨拶をさせて、じいちゃん亡くなったよと いうことでお別れしたんですね。
今、先生方がおっしゃるように、病院で亡く なる高齢者が多い中で、それは幸せな終わり方 だったんだなと。すごくいい終わり方だったん だなと考えると、改めてそういう死でありたい なと感じました。一方で山里先生がおっしゃる ように、家族の介護力というのがそこには不可 欠で、大きいお家だったからそれはよかったん ですが、人間1 人で亡くなっていった場合であ っても、そういう悲しい終わり方をさせないた めの社会的な資源をつくっていって、在宅か病 院かということだけではなくて、老健だろうが、 グループホームだろうが、どこにいても穏やか な死が迎えられるような社会があればすごく安 心して生きられるなと思いました。以上です。
○司会(玉井) 貴重なご意見、ありがとうございます。何かご意見ある方、いらっしゃい ますか。玉城さん。
○玉城
取材経験というより も、私は急性期病院で2 年前に母を亡くしたの で、家族の立場、患者 の側の視点になります が、病院の先生に呼ば れて「人工呼吸器はど うしますか」と聞かれた時に混乱してしまっ て、何がなんだかわからなくて、判断がまずで きませんでした。救急車で運ばれて、それから 小康状態になったりして時間はあったんですけ れども。やっぱり今考えてみると、うちの家族 の中で終末期に対する議論は全くされていなか った。これがやっぱり母の死に関していまだに 後悔していることなんですね。
介護力という話で、うちの母も人工呼吸器を つける前には「家で死にたい」という話をして いて、具体的に「じゃぁ、うちの家でそれがで きるか」といったときに、父も働いていて、私 も働いていて、在宅をするにはだれかが仕事を 休んだり、辞めなければいけなかった。介護休 を使おうかなと思ったんですが、いろいろ迷い があり使わなかった。母の家で死にたいという のは、家のような落ち着くような雰囲気だった のかなと、そうなるとやっぱり在宅は理想です が、当然人工呼吸器もつけていますから、家で やるのは難しかった。ゆっくりいろんな話もし ながら、終末期を過ごすことが出来る病院がな かったので、そういう場所があったほうがいい なというのは、今、医療現場を取材していても 感じています。
○司会(玉井) ありがとうございました。 貴重なご意見だと思います。近藤先生、何か。
○近藤 さっきの小渡先生の「覚悟はできて いる」という話になると思うんですけど、あ と、當銘先生も言われたように、1990 年代は おそらくスパゲティ症候群をなくそうというこ とで管を外したときに、その時代で与論の人は おそらく言葉変えれば「いさぎよし」というの で、覚悟はできているのに近い話になってい て、与論の人はいさぎよかったんでしょうけれ ども、今までは[在宅介護+ 自宅死亡]だったわ けです。それが急に、1990 年代から2000 年に かけて、まだ[在宅介護+ 自宅死亡]だったのが、 [病院ケア+ 自宅死亡]に変わって、今現在の流 れは[病院ケア+ 病院死亡]ですから、今現在、 与論が最後、ひょっとしたら[病院ケア+ 病院死 亡]に向かうのかどうかは、今後見続けなければ いけないんですけど、おそらく今のところはそ ういうことはないんですけど、その中で与論で さえ、このまま介護保険前後からもうだんだん 変わってきて、町立の有床診療所1 ヶ所が80 床の全国展開の民間病院になった頃からこの町 立診療所が救急の機能もこの総合病院に明け渡 しましたから、その頃からだいぶ違ってきたと 思いますけれど、そういう現状が沖縄でもおそ らく先にあてはまっていて、[在宅ケア+ 在宅死 亡]だった時代はおそらく、そんなに遠くはない はずなのに、それが私たちは知らない時代にな ってしまって、でも与論の人はまだそれが繰り 返されている。その辺が、学問的に見れば大事 なのかなという気はします。
○司会(玉井) 家族が看取るというんで しょうか。そういうことの意義をどうお考え ですか。
○山里 そうですね。それは本音で自分の死 に場所をどこがいいかと聞いたときに、やっぱ りほとんどの方は家族に看取られて、長く暮ら した自分の家でできたら死を迎えたいというの が、本音じゃないかな。ですから、そういう点 では本当に自分の望みをかなえてあげるという のが在宅での看取りじゃないかなと思うんで す。それは理想なんだけど、現実は、実際はそ うなっていないんですね。家庭の介護力が年々 年々低下していきますしね。そうすると自分が 長く生きるとか、在宅で死を迎えるというの が、家族にとって非常に負担になる。労力の問 題や経済的なことを含めて、自分が迷惑をかけ ているという意識がかなり強いんじゃないかと思うんですよ。そうすると本音は在宅で看取ら れたいけれども、現実はやっぱりしょうがない けれども、病院で亡くなったほうがいいのかな みたいなのが、現実的な対応じゃないかなと。
ですから、私も在宅が絶対いいとは思ってい ないんですけどね。在宅に近いような雰囲気と か場所とか、家族が会いに来て、そういう条件 があれば別に必ずしもお家じゃなくていいと思 うんですね。だからそういう点では選択の幅を もっと広げて選べるようにしてほしいなと思う んです。家庭に本当に介護力がなければ施設で もいいんだけど、その施設で死を迎えるときに 家に近いような施設があればいいんじゃないか なと。そういう点ではホスピスなんか一番いい かもしれませんけれども、でもホスピスを増や そうという話は、国はそんなにないんですね。 老健だって、もうこれ以上つくらせないという し、特養なんかも増やせないというでしょう。 そうすると、あと、いわゆる民間活力で、自前 で老人ホーム的なところを選びなさいという、 そういうところというのは本当に経営的にも余 裕がないんですよね。だからもう少し国民のニ ーズに沿った形で、もっとそういう問題を国の ほうも考えてもらわないと、大変な状況になる んじゃないかなと思います。
○司会(玉井) ちょっと先ほどの話で思っ たんですけど、人が亡くなるというのを看取る 家族、人が死んでいくというのを生きている人 たちが看取る、見送ってあげる。それが家族の 絆であったり、命の尊さであったり、そういう ものを気付かされる1 つの場、また、教育の場 にもなるのかもしれないなという気もします。 それがなくなって病院で死がある。既成的な死 がそこにあるとなると、どうも生きるというこ とに対しての感覚も希薄になってくるのかなと いう気もしますけれど、何かご意見のある方。
○當銘 僕もよく知らないので教えてほしい のですが、ホスピスを国が増やそうという政策 はとられていないのでしょうか。国は「がん基 本法」をつくって、ターミナルケアなんかもし っかりやりなさいというようなことを打ち出し ていますよね。僕はホスピスに関しても充実さ せる方向で国は指導しているのかなというふう に思っているのですが、そうでもないんでしょ うか。そのへんのところ、石川先生、如何でし ょうか。
○石川 基本的な考え方で、緩和ケア病棟、 ホスピスの運営自体が非常に難しいんですね。 例えば抗がん剤でしたら高価な薬を飲んでいて は緩和ケア病棟では過ごせない。一般の病棟へ いかないといけない。例えば放射線治療で痛み をとってあげたい。しかし、緩和ケア病棟でや るわけにいかない、診療報酬はつかない。
それから、日本の緩和ケアの対象疾患は、エ イズと癌ですよね。イギリスでは癌に限らな い、一般の疾患でも構わない。高齢化社会を迎 えるなら、必ずしも癌に限る必要はないと思い ます。そういった面で限界があります。
高齢者の方の入院が多くなります。ちょっと 手を抜くと、脱水になり脳梗塞を起こしてしま う。QOL を維持しながら診ていかないといけな いものですから、経営上厳しい現実となります。
○司会(玉井) 何かご意見のある方、よろ しいでしょうか。
○山里 今、ホスピスを増やす考えがないと いうのは、やっぱり国は医療費の抑制を毎年 2,200 億円やるという方針を基本的に変えてい ませんよね。これは何年も続いていて、そうい う中で日本の医療というのは、崩壊の危機に瀕 していると言われているのが現実で、給付金か ら何からいわれるんでも。そうするとターミナ ルケアのこの問題も、やっぱりきちっとしたこ とをやって、ちゃんと経営的にもやっていける 条件をつくらないと、多分やりたくてもやれな いと思うんですね。ですから、国が医療費を今 後も押え込んでいくという路線を続ける限り は、私はこれは無理だと思います。ですから高 齢化の社会にふさわしい、高齢者が尊厳をもっ て死を迎えられるようなことをやるためには、 それだけコストがかかりますから、やっぱりそ こはしっかりちゃんと医療にも福祉にも国のお 金を出しますよというふうに舵取りを変えない限り非常に難しいんじゃないかなと思っている んです。医療費の面から。
○司会(玉井) 難しい問題ですが、何かご 意見のある方は。
○石川 近藤先生、「死」というものは必ず しも医学的な側面からだけではなくて、文化と して「尊厳ある死」、「尊厳ある生」を議論する ということは必要であり、一つの死の文化とし て取り組んでいかないといけないんじゃないか という感じがするんですが…。
○近藤 そんな中で沖縄の人たちの死生観と か、奄美の人たちの死生観とか結構似ています よね。1990 年代の与論の人たちが終末を家で 看取るということを裏付けていた、昭和50 年 から10 年間ぐらいの沖縄とか奄美の中でまだ まだ何か発見できるものがまだあるはずなの で、その辺は先生がおっしゃったような沖縄の 文化とか大事なものは、沖縄でしか見られな い、あるいは与論で在宅死がかなうとすれば、 沖縄でかなうことが何かが多分必要で、それが 与論で失われないのを前提として、沖縄でも何 か沖縄らしさというのか、そういうものをどこ かで見つけられたらいいんじゃないかなと思い ます。
○本村 あとは教育する方法があるかという ことがすごく大きなテーマだと思うんですけど。
○近藤 そういう中で小学校から教育の場で 生かせるような、小学校、中学校、高校とか、 連動していかなければおそらく意味がないの で、今回のような発信できるものが小学校あた りから受け入れられて、小学校、中学校、高等 学校に続いて、あと大学とかは簡単ですから (社会人含めてできますから)、小・中・高等学 校あたりからの看取り教育、介護のことも含め て、生と死の問題を扱えるような教育が沖縄で 根付けば、先生が研究会をやられているものを 義務教育の中でいかせる、そういうのがあれ ば、今後どんどんさせていけば有難いかなと。
○司会(玉井) 今の教育とか、市民や県民 のレベルで生きるということと同じぐらいに死 ということをタブー視しないで議論ができるよ うな、家族の中でそういうことが普通に話がで きるようなものがあるといいのかもしれませ ん。時間がもう迫ってまいりました。小渡先 生、最後に。
○小渡 尊厳死や終末期医療については、医 療はどうあるべきかということに関連してお り、また、これまでにも多くの議論が行われて きております。日医では、尊厳死や終末期医療 について、1 人の医師で判断するのではなく、 医療ケアチームをつくって、その中で家族も含 めて議論し、それを決定すればいいんじゃない かという案を出したこともあるようですが、そ れに伴って法的整備もすべきであると考えてい るようです。
今日は終末期医療という大変難しい問題につ いて、議論して頂きまして誠にありがとうござ いました。