常任理事 真栄田 篤彦
新垣元先生(新垣元武先生ご子息)、真栄城優夫先生と和子夫人、金城國昭先生と喜久子夫人
この度、新垣元武先生が長年に亘り「精神衛 生及び学校保健活動の向上に貢献」したとして 日本医師会最高優功賞、真栄城優夫先生は「卒 後臨床研修事業の充実発展に努め、医師の育成 に貢献」したとして沖縄県功労者表彰、金城國 昭先生は長年に亘り「警察嘱託医活動を通して 警察活動に貢献」したとして瑞宝双光章をそれ ぞれ受章されたことから、去る12月3日(水)、 ザ・ナハテラスにおいて、標記祝賀会が開催さ れた。
当日は、来賓の伊波輝美沖縄県福祉保健部長 をはじめ、170 人余の会員及び関係者が祝賀会 に駆けつけ、三氏の受章を祝った。
先ず、主催者を代表して宮城会長から、先生 方の永年のご労苦に対する敬意と謝意が述べら れると共に、今後とも県民が希求する安心・安 全な医療の構築にお力添えを賜りたい旨の挨拶 がった。
続いて、中部地区医師会の安里哲好会長から 新垣元武先生のご業績、沖縄県公務員医師会の 大城清会長から真栄城優夫先生のご業績、那覇 市医師会の友寄英毅会長から金城國昭先生のご 業績が紹介された後、来賓祝辞として伊波輝美 沖縄県福祉保健部長より先生方の永年に亘る保 健・医療・福祉の向上に貢献されたご労苦に対 する労いの言葉が述べられた。
その後、記念品・花束贈呈が行われ、新垣先 生、真栄城先生、金城先生から来場者に対する お礼と挨拶が述べられ、新垣代議員会議長の音 頭による乾杯の後、懇親の場へと移った。
なお、当祝賀会においてご紹介された三氏の 業績内容と謝辞を以下のとおり掲載する。
中部地区の重鎮であ り、また我々の大先輩 である新垣元武先生の 日本医師会最高優功賞 受賞に際し、輝かしい 数々のご功績の中から 主なものを簡単にご紹 介申しあげます。
先生は、昭和39 年3 月に九州大学大学院をご 卒業後、琉球政府立琉球精神病院(現・国立療 養所琉球病院)に就職したのを手始めに、これ まで40 年余精神医療に従事してこられました。
米国の統治下にあった当時の沖縄の精神医療 は、深刻な医師不足、看護師不足、病床不足に より、精神障害者は放置され、受診する事もで きず街頭で徘徊している状態でした。
そのような状況下で、その治療の場の必要性 を痛切に受け止められ、琉球病院に勤める傍 ら、時間外に沖縄市越来において夜間診療を始 めると共に、昭和45 年に新垣病院を開設し、 以来地域のコザ保健所と協力しながら放置状態 にあった精神障害者の早期発見、早期治療の啓 発活動を献身的に実践されました。
一方ではチーム医療を目指し、看護師、作業 療法士、ケース・ワーカー、臨床心理士などの コメディカルスタッフを養成し、いち早く作業 療法、レクリエーション療法を取り入れ、デ イ・ケア施設、社会復帰施設を導入して、積極 的に精神医療の質的向上を図り、遅れていた本 県の精神保健福祉のレベル・アップにも大きく 貢献してこられました。
さらに、先生は、復帰後から、養護学校、小 学校の校医並びに予防接種担当医となり、以 来、30 年余に亘り、沖縄の次の時代を担う児 童・生徒の健康管理、健康教育に多大な貢献を されると共に、コザ保健所精神保健クリニック 嘱託医、県地方精神衛生審議会委員、県精神保 健福祉協会の委員等を歴任され、地域精神保健 の向上発展に大きく尽力されております。
また、長年医師会活動にも積極的に参加さ れ、昭和46 年4 月から2 ヶ年間、中部地区医 師会評議員、昭和47 年7 月からの約2 カ年間 においては沖縄県医師会理事、更に昭和63 年 4 月から4 ヵ年間に亘り沖縄県医師会医学会精 神科学会会長を歴任された他、平成2 年4 月か ら現在まで中部地区医師会監事として医師会活 動に多大な貢献を果たされております。
先生はこれまでに、特別養護老人ホーム「春 華園」、老人保健施設「信成苑」、精神障害者社 会復帰施設援護寮「ラポール」、福祉ホーム 「なごみ荘」等を開設し、老人保養施設の確保 と健康増進に尽力されると共に、精神医療施設 を整備され、精神障害者の社会復帰活動に大き く貢献されております。
以上のようなご功績が認められ、平成17 年 には、瑞宝小綬章を受章、この度は、日本医師 会最高優功賞の受賞の栄に浴されております。 新垣先生のこれまでのご労苦に対し、深甚なる 敬意と感謝の意を表すると共に、いつまでもご 健勝でご活躍されんことを祈念いたしまして、 簡単ではございますが業績紹介を終わります。 この度の受賞、誠におめでとうございます。
私は直接真栄城先生 のご薫陶を受けたこと はないことから、多少 躊躇しましたが、役得 と思いこの役をお引き 受けしました。
この度、ご高名な真 栄城優夫先生のご功績を紹介できることは、私 の望外の喜びであり、栄誉であります。このよ うな場を与えていただき、宮城会長にこの場を お借りして御礼申し上げます。
この度の真栄城優夫先生沖縄県功労章受章に 際し、輝かしい数々のご功績の中から主なもの を簡単にご紹介申しあげます。
昭和40 年当時、米国民政府は「沖縄の医療水準を向上させるため、中部病院を整備し、医 学実地修練を行う」と宣言し、昭和41 年から 5 か年計画の予算を計上しました。
沖縄の祖国復帰を間近に控え、調査団を派遣 して中部病院を卒後研修の教育病院とすること を提言し、ハワイ大学から15 人にも及ぶ教育 スタッフを送り込み、アメリカ式のインター ン・レジデント制の教育が開始されております。
このハワイプログラム唯一の日本人スタッフ として参加を求められたのが当時アメリカでの 外科トレーニングを終えて帰国したばかりの真 栄城先生でありました。
先生は、ハワイ大学教授として、中部病院に おける卒後研修プログラムの推進役となり、こ の教育システムは全国に知られるようになり、 多くの研修医が全国から中部病院の卒後研修に 応募するようになっております。
こうした実績により、平成6 年から平成11 年 迄の間、厚生省医療関係者審議会の国家試験改 善委員会の専門委員、医師臨床部会小委員会専 門委員、文部省・厚生省合同医師卒後研修に関 する協議会の専門委員として各種審議に参加さ れ、平成16 年から制定された医師の卒後臨床研 修(初期研修)の必修化に導いておられます。
先生は平成8 年の退職後も、現在にいたるま でハワイ大学プログラムディレクターとしてご 活躍中であり、わが国の医学教育界の重鎮とし てその地位は確固たるものがあります。
また、中部病院の功績ですが、救急受診し希 望する全ての患者を365 日、24 時間受け入れ、 初期医療から3 次医療まで全てを引き受ける病院 は、当時の日本では極めて希でありました。全県 をカバーする沖縄県の最終病院として県民の信 頼を勝ち得ると共に、多岐の症例を有する教育 病院として全国に知られ、「救急の中部病院、救 急の真栄城」の評価を決定的にしております。
まさしくたらい回しの無い、沖縄救急医療の 原点であります。
もちろん先生は臨床面においても、目覚まし いご活躍をされており、昭和47 年に沖縄県で 初めて開心手術に成功される等、高度外科臨床 の実績を積み上げ、本県の立ち遅れた外科医療 の発展に大きく貢献されております。
また、琉球大学医学部の学生を受け入れて4 週間臨床研修を行い、急性疾患、救急症例、集 中治療等豊富な症例に触れる貴重な機会を提供 しており、学生の教育にも熱意をもって取り組 み琉球大学医学部の発展に大きく貢献されてお ります。
先生は非常にお忙しい身でありながら、医師 会活動にもご協力賜り、代議員、地域医療委員 会委員、外科会会長等を務められ、県医師会の 事業推進にご尽力いただきました。
以上のようなご功績が認められ、平成17 年 には、瑞宝小綬章を受章され、この度は、沖縄 県功労章受章の栄に浴されております。
真栄城先生のこれまでのご労苦に対し、改め て深甚なる敬意と感謝の意を表すると共に、い つまでもご健勝でご活躍されんことを祈念いた しまして、簡単ではございますが業績紹介を終 わります。この度の受章、誠におめでとうござ います。
新垣元武先生、真栄 城優夫先生、金城國昭 先生、今回の受章おめ でとうございます。
私から金城國昭先生 の瑞宝双光章受章に際 し、先生のこれまでの 業績を紹介いたします。
金城先生は、石川高校を卒業後、沖縄外語学 校を経て、第2 期契約留学生として金沢大学医 学部に入学しました。昭和31 年同大学卒業、1 年のインターンの後、琉球政府の許可を得て、 大学院法医学講座で研修を受け、これがその後 の警察嘱託医活動の源となっています。
沖縄に帰りまして、昭和36 年から4 年間、 琉球政府警察局法医担当官となり、その後沖縄 赤十字病院勤務、金城産婦人科開業、老健施設勤務の全期間を通して、警察の嘱託医、協力医 の活動を続けてこられました。その期間は47 年間、やがて半世紀に及びます。金城先生の粘 り強さに心から敬意を表します。
昭和38 年8 月17 日、死者・行方不明者合わ せて124 名の犠牲者を出した「みどり丸遭難事 故」という痛ましい事故が起きました。この時 金城先生は検案医師の確保のために奔走し、数 ヶ月に亘って、犠牲者の収容や検案作業に従事 されました。この時の活動に対して、琉球政府 主席から特別表彰を受けてます。金城先生が行 った、死体解剖や死体検案の業務はこれまでに 1,400 件に及んでいます。
平成19 年には、長年の警察嘱託医活動に対 して、警察庁長官から「警察協力賞」を受賞し ていますが、この賞は九州圏内で4 〜 5 年に1 人が受賞する貴重な賞であります。
金城先生は、その他にも数々の表彰を受けて おられますが、本日は省略いたします。
沖縄県内には現在40 名の警察嘱託医がいま すが、金城先生はこれまで警察嘱託医会の理事 として、又、現在は会長として警察嘱託医業務 の向上のために活躍しています。
沖縄県の警察嘱託医活動は金城國昭先生をおい て他では語れないといっても過言ではありません。
金城國昭先生のこれまでのご苦労に対し、心 から敬意と感謝を表しますと共に、これからも ご健勝でご活躍されますよう祈念いたします。
本日はまことにおめでとうございます。
新垣元武先生の日本 医師会最高優功賞受賞、 真栄城優夫先生の沖縄 県功労章受章、金城國 昭先生の瑞宝双光章受 章の祝賀会が開催され るにあたり、ごあいさ つを申し上げます。
新垣先生、真栄城先生、金城先生この度の栄 えある受章、誠におめでとうございます。心よ りお祝いを申しあげます。
新垣先生におかれましては、昭和39 年に琉 球政府立琉球精神病院に勤務後、今日に至るま で沖縄県の精神医療の拡充に取り組まれたほ か、学校医、予防接種担当医を長年にわたり担 当されるなど地域の社会福祉の向上と児童生徒 の健全育成に大きく貢献されました。
真栄城先生におかれましては、昭和43 年か ら今日に至るまで、沖縄県立中部病院の指導医 として、総合診療方式の卒後臨床研修プログラ ムや屋根瓦方式の指導体制の確立に取り組まれ たほか、沖縄県の救急医療体制の充実に大きく 貢献されました。
金城先生におかれましては、昭和36 年に琉 球政府警察局法医学担当医官として勤務された ほか、退職後も今日に至るまでの約47 年間、 警察協力医師、警察嘱託医師として死体検案や 生体検査等に従事する等、沖縄県の警察活動に 大きく貢献されました。
新垣先生、真栄城先生、金城先生の保健、医 療、福祉の向上に対する多大な貢献に対し心か ら感謝申し上げます。
さて、多くの離島を抱える本県にとって、離 島医療体制の整備や医師の確保は重要な課題と なっており、その解決に向けて県医師会と連 携、協力し、総合的な保健医療体制の確立に取 り組んでいるところであります。
沖縄県医師会の先生方には、なお一層のご支 援、ご協力をお願い申し上げます。
結びに、新垣先生、真栄城先生、金城先生に おかれましては、今後ますますのご健勝とご活 躍を祈念いたしまして、お祝いの言葉とします。
新垣元武の長男の新 垣元と申します。
本日は、皆様方にど うしてもということで 挨拶を預かって参りま したので、代読させて いただきます。
平成20 年11 月1 日、第61 回日本医師会設立 医学大会において日本医師会最高優功賞を受賞 する誉れに浴しましたことは誠に光栄であり、 これまで私を支えてくださいました方々には深 く感謝いたしております。また、ご推薦くださ いました県医師会並びに中部地区医師会の皆様 には厚く御礼申し上げます。本日(12 月3 日)、 県医師会主催で祝賀会を開いていただくことを 予てからお知らせいただき、皆様に是非お礼を 申し上げたいと心待ちにしていたのですが、数 日前不覚にも家の中で転び第三腰椎を圧迫骨折 してしまい、当分安静しなければならず出席す ることが出来ず、誠に残念であります。
ただ、本日は真栄城優夫先生、金城國昭先生 とご一緒の祝賀会であったということで、胸を なでおろしております。
さて、私が九州大学医学部大学院を修了し沖 縄に帰省した昭和39 年当時を振り返りますと、 沖縄全体の精神科医師は10 人にも満たない数 でした。当時の琉球政府が精神障害者の医療費 は全額無料にしたにもかかわらず、書類審査す る医者がいないことから2 〜 3 年許可が下りな いということがありました。
そのため、患者さんは那覇にある民間の精神 科には通えず、金武にある琉球政府立の琉球精 神病院まで半日かけて通院する方が大勢いまし た。沖縄に戻るとすぐに琉球精神病院に勤務し ましたが終日病院での診療に専念できるわけで はなく、週に1、2 度は保健所に出張し、派遣 医と共に書類審査をしたり、保健所になかなか 来所できない患者の家を保健婦と共に訪問して おりました。沖縄県民の生活に余裕は無く、精 神医学の知識も全く普及していませんでしたの で、精神障害者の処遇は悲惨なものでありまし た。私宅監置(屋敷や畑に牢屋を作り長期間に わたり閉じこめておくこと)や、家族が世話を することを放棄してしまい、浮浪者として町を 徘徊する人が大勢おり、この方々を入院させ医 療に結びつけることもしておりました。その後 コザにおいて新垣病院を開設した後も琉球精神 病院勤務当時と同様に保健所や中部福祉事務所 などの仕事に加え、児童相談所も定期的に行く ようになりました。その当時、ご存じのように 精神科以外の医者も大変不足しておりましたの で、精神科医でありながら幾つかの校医もして おりました。また、障害児童の適正就学には、 大変苦労しましたが、県立美咲養護学校が出来 てからは随分改善されました。
おかげさまで美咲養護学校の校医も設立当初 から27 〜 28 年は続けたと思っております。沖 縄で44 年にわたり、地域医療活動を続けて参 りました。私宅監置や浮浪者も当時に比べれば 随分と減り隔世の感があります。しかし残念な ことに現代はストレスやうつ病など精神科の専 門家から見ると、またまた難しい時代になりま した。残る人生僅かとばかりは言っておられな いようなので、今後とも相も変わらず皆様のご 支援をいただきながら、頑張っていきたいと思 います。最後になりましたが、皆様方のご健勝 ご多幸をお祈りいたします。本日は誠にありが とうございました。
今日これだけ沢山の 方々がご参集頂きまし て心から感謝申し上げ たいと思います。
この度は沖縄県功労 者として表彰を受ける ことになりましたこと は、皆様方のご支援のおかげと心から感謝申し上げます。
顧みますれば、5 年間の外科専門医の研修を 終え米国から帰国して以来、40 年間ひたすら に沖縄の医療水準の向上と県民の方々に良い医 療を実践するとの思いで、中部病院における卒 後臨床研修事業に携わって参りました。私ども の実施してきた研修は、患者中心の医療を研修 医と共に実践しながら、知識と技術を習得させ る実地修練の形を採っております。従って研修 医と共に働いてきた40 年間であったとも申せ ましょう。常にチームを組み、グループ診療を 行い、1 年でも先輩は後輩を指導する屋根瓦方 式を実践してきましたが、研修医のみならず、 指導医同士もお互いの不足する部分を補い専門 家の壁を超越し、患者さんの安全第一を目的と した診療を行ってきております。研修医の指導 には医師のみならず看護師をはじめ薬剤師、検 査技師、放射線技師など勤務者全員がそれぞれ の分野で指導を分担してきました。この研修事 業のおかげで軽傷から重傷にいたる全ての救急 症例を受け入れるいわゆるER 方式の救急を日 本国内で最初に実践しそれを維持することが出 来ました。また、手術室、薬局、検査室、放射 線科の3 交代制を日本で最初に取り入れ、1 年 365 日昼間と夜間の医療水準を同一レベルに保 って診療することも可能となりました。このた め、東京や関西などの全国各地で見られる、救 急のたらい回しは沖縄県にはございません。以 前にもお話したことですが、夜半の大手術で輸 血する血液が不足したときに院内放送をすると 当直の医師や夜勤の看護師が集まり、血液を提 供してから、持ち場に戻ってまた勤務を続ける という事態もよく見られました。患者さんの命 を助けるという全勤務者の意志の表れの一端だ と思っております。
この度の私の受章もこれら仲間達の支えによ るもので、この席をお借りして厚く御礼申し上 げます。全人的対応のできる屋根瓦方式による 医師の育成、ER 方式の救急医療、手術室、薬 局、検査室、放射線科の3 交代などは沖縄から 全国に発信され、広がりつつある先進的な制度 であります。沖縄の誇るべき制度としてこらか らも守り育てていかなければなりません。皆様 方のご協力を切にお願い申し上げ、私自身も今 後も微力を捧げていくつもりであります。よろ しくお願いいたします。
本日は公私ともにご多 忙の折、多くの皆様にお 集まりいただき、私達の ためにこのように盛大に 祝賀会を催してください ましたことに衷心から厚 くお礼申し上げます。
先ほどは伊波輝美県福祉保健部長、宮城信雄 県医師会長のお二人から身に余るご祝辞を賜 り、誠にありがとうございました。また、友寄 英毅那覇市医師会会長からは過分なご紹介で汗 顔恐縮して聴いておりました。この度、思いが けなく秋の叙勲で瑞宝双光章受章の栄に浴し、 大変感激しております。去る11 月7 日東京半蔵 門ホテルにおいて警察庁関係受章者83 名、うち 嘱託医6 名に対する勲章・勲記の伝達式があり ました。警察庁長官以下幹部警察官が正装し、 きら星のように臨席され、国旗拝礼・国歌斉唱 後受章者一人びとりの紹介があり、次いで航空 警察音楽隊によるエルガーの荘重な威風堂々の 曲が演奏される中、国家公安委員長佐藤勉国務 大臣より受章者ひとりびとりに対して、親しく 勲章を佩用させていただいた後、ご祝辞を賜り厳粛かつ感動的な式典でございました。
引き続き、皇居に参内し春秋の間において天 皇陛下拝謁の栄誉と労いのお言葉を賜り感激の 極みでございました。私の今回の受章は長年警 察嘱託医として検案等の法医鑑識業務に携わっ たこととなっておりますが、私としては法医学 を多少学んだ者の一人として当然の責務として 普通に行ってきたつもりで、このような大きな 章に値するかどうか内心忸怩たるものがござい ます。しかしながら医師の職務としてはどちら かと言えば地味で裏方的な活動を国が評価して 下さることを大変嬉しく思っております。
もちろん、この栄誉は私一人の力で得たもの ではなく、県警察本部のご推挙、琉大法医学教 室のご指導、また日夜ハードな検死捜査業務を 通して検案等を支援して下さる第一線警察官と 更に嘱託医会会員諸先生方のご協力の賜であ り、ここに関係者の皆様に深甚の謝意を表した いと思います。沖縄県の嘱託医会の活動状況、 それから私が経験した中で印象に残った事例、 日本の検死制度のあり方等についても少しお話 する予定でしたが、時間の都合で割愛させてい ただきます。
最後に、論語の言葉に「人の己を知らざるを 患えず、己の能なきを患えよ」という言葉があ りますが、いくつになっても浅学非才のみ、こ れからも更に研鑽を積んで能無きを補い体力・ 気力の続く限り微力ではありますが、本来の職 務と嘱託医活動もつづけながら社会のために役 に立ちたいと思っておりますので、諸先生方に は一層のご指導ご鞭撻を賜りますようお願い申 しあげ、お集まりの皆様のご健勝を祈念して私 のお礼の言葉といたします。
印象記
常任理事 真栄田 篤彦
新垣元武先生の日本医師会最高優功賞受賞、真栄城優夫先生の沖縄県功労章受章、金城國昭先 生の瑞宝双光章受章、おめでとうございます。今回名誉ある受賞祝賀会の司会を担当できて私自 身光栄でありました。沖縄県の医療界におかれまして、先生方のこれまでのご活躍が多大な社会 的貢献として評価されたことは、同じ医療人の末席にいる私たちにとりましても大変な名誉だと 感じております。先生方の若かりし頃からの医療に関する深い造詣と熱い情熱が長年に渡って継 続されてきたことは、私たち凡人ができることではありません。さらに40 年から50 年もの期間 に渡ってのご活躍は真に健康を維持しての医療活動ということですから、ご家族のご支援もあっ たればこそだと思います。
今後も先生方の益々のご活躍、ご健勝を心よりお祈り申し上げます。
私たち後輩は先生方のご薫陶を胸に刻み、今後の医療活動を続けて参りたいと感じながら司会 をさせて頂きました。おめでとうございます。