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丑年に因んで

喜友名朝盛

医療法人ヨシ惟
いきいき耳鼻咽喉科クリニック
喜友名 朝盛

2009 年の干支は「丑」ですが、昨年まで牛 は災難続きでした。1980 年後半に英国でBSE が発生し、欧州各地に広がり、2001 年9 月に は日本国内初のBSE 感染乳牛が確認されまし た。2003 年12 月に国内消費量の三割を占める 米産牛肉の輸入が禁止になり、外食産業に大打 撃を与えました。翌年2 月吉野家が牛丼の販売 を休止しました。日本でも英国に滞在暦のある 男性が「変異型クロイツフェルト・ヤコブ病」 で死亡しました。国民は不気味な死を招く病を 恐れ、食卓から牛肉を避けました。筆者の妻の 実家は国産の仙台牛を主に扱う高級焼肉店であ りましたが、BSE の煽りで閉店を余儀なくさ れました。2004 年12 月に米国の安全宣言を信 じ米産牛肉の輸入解禁になりましたが、翌月に は制限されていた危険部位の脊柱が混入してい たため再び輸入禁止となりました。その後よう やく2005 年7 月、農水・厚労両省は現地査察 の結果34 施設から米産牛肉の輸入の再開を決 めました。同年9 月18 日吉野家の牛丼が復活 しました。筆者が大学2 年生の頃、同級生の一 人が部活後吉野家の牛丼を求めて、車で走行中 事故に遭い他界したことがあります。重く悲し い思い出ですが、吉野家の牛丼が広く国民に認 知されていることを昨今改めて思わされます。

その後BSE 問題は解消されましたが、感染 経路の一つである肉骨粉を安価な飼料として使 えなくなりました。又、バイオ燃料として穀物 が使われるため供給不足から飼料が高騰しまし た。そのため多くの酪農家の人達が経営困難に 陥っています。他方、この10 年間で国民一人 当たりの年間消費牛乳量は12%減少しました。 消費者が健康飲料やサプリメントにシフトし、 牛乳離れが進んでいます。2005 年に刊行され、牛乳批判でミリオンセラーになった出版物も消 費者心理に影響しているようです。このように 需要の減少と経営困難から酪農家が廃業してい きます。県内では生乳を出荷する酪農家戸数 が、1980 年度の276 戸から約三分の一の96 戸 (昨年9 月)まで減少しました。需要量の減少 よりも供給する酪農家の減少速度が速く、市場 での生乳不足が加速しています。県産牛乳の品 薄状態が続いていることについて、県は昨年 10 月乳牛200 頭を新規導入することを明らか にしました。飼料高騰の煽りは食用牛の生産者 たちでも同様に逼迫しています。

今年の干支が「丑」であることに因んで、乳 牛や食用牛を生産する酪農家の経営環境の苦境 を述べましたが、「時代の流れの被害者」とも 取れる酪農家に、今年からは繁栄の道が開かれ ることを切に願います。

筆者のクリニックは昨年10 月に5 周年を迎え ることが出来ました。多くの関係者に支えられ た5 年間でしたが、診療所経営というものが予 想以上に難儀であることを痛感しました。職員 教育や看護師確保を含めた人事の難しさ、新保 険制度に伴う収入減など、先々難題は山積みで す。医療はもちろんのこと、経営に関し呑気に 構えているとすぐさま経営困難に陥りそうです。 まだ5 年ですが、地域の住民に快く受け入れて いただき、看板にキリンをロゴに使用している ことから「キリンの先生」と子供たちに励まさ れて、これまで診療を続けることが出来ました。 我がクリニックには筆者を長者に丑年の職員が 現在3 世代で4 名(10 名中)います。今後あと 2 世代若い丑年の職員が来るまで院長職が続け られたら光栄です。一方、私生活では波乱万丈 な5 年間でした。開業と同時進行に離婚し、再 婚し長男を授かり、新居を建てました。これか らは残りの借金を可能な限り早く返済し、安心 を得て家族を守っていきたいと思います。

新年を迎えるにあたり、牛を扱う酪農家に も、丑年の年男年女にも、幸多き年であります ように。