長嶺胃腸科内科外科医院
長嶺 信夫
土宜法龍の「木母堂全集」の記録
今年(2008 年)の沖縄県医師会報(2,3 月 号)で報告した『古文書に見る「聖なる菩提 樹」の歴史』の中で、解明されていない点とし て記載した現在のブッダガヤの菩提樹の由来に 関して、次の2 点の資料を得ることができた。 これらの資料、特に土宜法龍の書簡でこれまで の疑問を解明することができた。
1.インド大菩提協会会長であるラストラパル 博士(Dr.Rastrapal Mahathera)の著書 「The Glory of Buddhagaya」。
現在の菩提樹について、「The present Bodhi Tree sprouted from the roots of the original one」と、古木の根から生えた樹であ ると記載している。
2.土宜法龍の著書「木母堂全集」。
土宜法龍(1854~1923)は仁和寺や高野山の 門跡、管長を歴任した明治、大正期の真言宗の 高僧であり、1893 年のシカゴ万国宗教会議に 臨済宗円覚寺派管長・釈宗演(沖縄県医師会 報2008 年7 月号で紹介)らとともに日本仏教 代表として参加、日本の仏教を世界に紹介して いる。万国宗教会議には、スリランカの仏教指 導者で、インド大菩提協会の創設者であるアナ ーガリカ・ダルマパーラ居士も参加していて、 法龍や宗演らと交流している。当時、ダルマパ ーラはヒンズー教徒の管理下にあったブッダガ ヤの大菩提寺をヒンズー教徒から仏教徒へ奪還 する運動に全精力を注いでいた。
法龍は万国宗教会議の帰途、1894 年4 月に セイロン(スリランカ)の菩提樹寺を訪問、長 老から菩提樹の一枝を贈呈されているが、法龍 の著書「木母堂全集」の中に収録されている書 簡「コロンボより」にその時の様子を次のよう に記している。
「二千四百年前の菩提樹は太く肥えたり。そ の或る枝を一枝、小僧に菩提樹の長老より附属 状(シンハリー語)を添えて送り呉られしには、 空前絶後の歓喜を生じ候。嗚呼佛陀伽耶の菩提 樹はサンカラチャーリ等の難を経たる新樹なり。 故に却りて其の根本には遠し。其の物は阿育王 巳来の一樹、實に思へば貴き物の第一に候」
法龍がセイロンを訪問したのは、ブッダガヤ の主な発掘調査が終了していた時であり、また 法龍はその後ブッダガヤも訪問している。発掘 調査後のブッダガヤの実情を直接見た法龍の書 簡は今回の疑問点を解決する決定的な証拠にな る。また、1891 年にダルマパーラが日本の釈 興然や徳沢智恵蔵とともにブッダガヤを訪問し た時の写真に金剛法座に接して10 メートル以 上に育った菩提樹が写っており(写真1)、法 龍もこの樹を見たはずだ。
写真1.1891 年に大菩提寺を訪問した
ダルマパーラ居士(白衣)と菩提樹
ダルマパーラが大菩提寺を訪問した時の写真 を見ると、菩提樹の根周りはすでに大きな電柱 ほどの太さがあり、1891 年の時点で樹齢10 年 以上になっていると考えられる。また樹の大き さから見て、一部の文献に新たに植樹した年と して記載されている年(1885 年)に菩提樹が 植えられたとすると、1885 年から1891 年まで は6 年しか経っていないので、小さな苗木では なく、大きく育った樹を植えていなければなら ない。
また、前田行貴博士の著書「佛跡巡礼」に記 載されているように遺跡発掘調査後の1885 年 頃、イギリスの考古学者アレキサンダー・カニ ンガムによってスリランカのアヌラーダプラか ら実生がブッダガヤに運ばれてきて植樹された としたら、その6 年後であるダルマパーラ訪問 時(1891 年)の樹の大きさからして、かなり大 きく育った樹を遠路運んできて植えなければな らず、現実問題として考えられない。もし、実 生を運んでくるとしたら、当時の交通事情から 手で持ち運びできるほどの樹でなければならな いはずだ。またカニンガムが1892 年に発行し たブッダガヤの発掘調査報告書の中にも菩提樹 の歴史と発掘時の状態が詳しく記載されている が、菩提樹が枯れた後、彼自身がスリランカか ら菩提樹を移植したという記録はみられない。
これらの事情を考慮すると、むしろ、カニン ガムが、発掘調査報告書の中で「1876 年に嵐 で先代の樹が倒れ、枯れた時、沢山の種が採取 され、また、すでにその場所に小さな子孫(苗 木)が生えていた」と記載している点からみ て、倒れた古木の種や近くに生えていた幼木が 保存され、1880 年以降発掘調査が終了した早 い時期に、かなり大きく育った樹を現在地に移 植したと考えたほうがよさそうである。(写真2)
写真2.ブッタガヤの大菩提寺大塔と菩提樹、 金剛法座 (2003 年7 月撮影)
また法龍がセイロンを訪問したのは発掘調査 が終了してから約10 年後の1894 年であり、も しアヌラーダプラの菩提樹の分け樹がブッダガ ヤに移植されていたとすれば、当然その情報は 法龍にも届いていただろう。そして、そうであ れば、「木母堂全集」のように記載することは ありえないはずだ。ちなみに、沖縄菩提樹苑の 菩提樹3 本は、5 年前(2003 年)受領した時、 樹高38、44、55 センチであったのが5 年後の 現在、樹高(台風の後一部カットしたが)約6 〜 7 メートル、胸高での幹の直径14 〜 25 セン チ、幹囲43 〜 70 センチであり、カニンガムが ブッダガヤを訪問した時の菩提樹の写真と比較 すると約半分の大きさである。
カニンガムの記録
カニンガムは1880 年の大菩提寺発掘調査時、 現在の金剛法座のすぐ西側、すなわち、現在の 菩提樹が生えている場所を掘り起こし、30 フィ ート(9 メートル)下の砂質土壌の中から菩提樹 の木片遺物を発見している。9 メートルの深さま で掘り下げたとなれば、金剛法座の移動はもとよ り、あたり一面掘り起こされた土に覆われていた であろう。発掘調査が終わり、整地した時点で 金剛法座をもとの位置にもどし、その西側に現 在の菩提樹の苗木が植樹されたと考えられる。
以上、今回入手した資料およびこれまでに記 載した資料をもとに考察すると、現在のブッダ ガヤに生えている菩提樹は、先代の樹が枯れた 後、新たにスリランカから移植された樹ではな く、1876 年に嵐によって倒れた古木の根また はその種から生えた樹と考えるのが妥当といえ よう(2008 年6 月記)。
参考文献
1.長嶺信夫:古文書に見る「聖なる菩提樹」の歴史、
Vol.44 No.2~3,2008 年
2.Rastrapal Mahathera:The Glory of Buddhagaya,International Meditation Center,Buddhagaya,1998
3.土宜法龍著、宮崎忍海編:木母堂全集、大空社、
1994 年
4.A .Cunningham : MahaBodhi or The great buddist temple under the Bodhi tree at Buddhagaya、London
(Indological Book House 版)、1892
5.佐藤哲朗:大アジア思想活劇〜仏教が結んだもうひと
つの近代史〜、オンブック、2006 年
6.前田行貴:インドへの道佛跡巡礼、蓮河舎、1989 年