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山から海へ

村上優

独立行政法人国立病院機構琉球病院
院長 村上 優

30 数年ぶりに沖縄へ赴任して2 年が過ぎま す。充実して20 年が過ぎたかと感じる時間で した。仕事の上では多くの人々の協力を得て医 療観察法など司法精神医学とアルコール・薬物 依存の診療体制も整いつつあります。新米医師 として石垣島の八重山病院で右往左往していた ころと異なり、沖縄外に出る機会も多く、十分 に沖縄生活を楽しんでいないのが残念です。

この6 年間は医療観察法制度の立ち上げを支 援するために色々なところを訪れ生活をしまし た。琉球病院に来る前は岩手県の花巻病院に1 年赴任したのですが、仕事は無論のこと?、そ こではスキーに憑かれて時間があれば安比スキ ー場を訪れていました。おかげで全くのビギナ ーが、目もくらむような上級コースの急斜面を 滑り降りるまでになりました。もちろんゆっく りですが。夏場は鳥海山や早池峰山、わが国で も有数のブナ原生林がある和賀岳などに登って、 頂上の景観や高山植物に魅了されていました。 東北の森の深さは吸い込まれるような不安感と、 そこに身をしっかりおくと安堵感が訪れます。 そういえば山遊びが得意で、高校時代はその身 軽さで軽い岩登りも学び、学生時代は単独行で キャンパーやピークハンターでしたが、30 歳以 降は沢登りと渓流釣りに夢中になっていました。 常に遊びに、生活に山がありました。若いころ は中村哲医師に誘われて、彼が後に赴任するこ とになるペシャワールを経てヒンズークッシュ の嶺々に山遊びに出かけたときもありました。

さて中村哲医師は1983 年よりパキスタン北 西辺境州のぺシャワールでのハンセン病根絶計 画にはじまりアフガン難民医療、アフガニスタ ン東部山岳地域での医療活動や、大旱魃と飢饉 を前にした水事業をしていました。9.11 以降は アフガニスタンでの活動が知られるところにな り、第1 回沖縄平和賞もいただきました。私は 大学の1 年後輩ですが、前任の事務局長が癌で 早逝した後を受けて、1992 年よりぺシャワー ル会のお手伝いをする様になりました。難民医 療から、水事業、灌漑事業から農業まで中村哲 医師の事業が拡大すると、それをバックアップ するぺシャワール会事務局の作業も飛躍的に増 えて、私も何が本業か分からぬ生活を送ってい ました。しかし中村医師に連れられてアフガン 現地に行けば岩石砂漠に山々がそびえ、冷徹な 美しさが目に焼きつきます。そこにいる不思議 さや人々の素朴な営みが、戦争や旱魃飢饉とい う命をめぐる葛藤を超えて迫ってくるのが不思 議でした。山のある風景、最も私が自然に和む 世界かもしれません。

それが縁あって沖縄に赴任となり2 年が過ぎ るのです。やんばるの山に入る機会はあります が、これまで親しんだ山風景ではありません。 人生の一部になっていたぺシャワール会の手伝 いを通して中村哲医師にかかわることもできな くなりました。その分、エネルギーが仕事へ注 がれるようになり、「過剰に」働いているよう で、身体的にも精神的にも健康さや寛容さを失 っている気がします。本来、寛容な沖縄に来て、 仕事の虫にならなくてもよいはずが・・・と。

目を転じれば周囲は本当に美しい海です。30 年前の石垣の海とは比べ物にならないとは言い ますまい。何時までも山遊びや生活を憧憬して も病気になるばかし、沖縄に来てすぐにシーカ ヤックを始めると決め、牧港にある専門店を訪 れました。あまりの初心者に店員はシーカヤッ クを勧めず、シットオンタイプのカヤックを勧 めます。リーフの内側で安全にとの配慮ですが、 私は少し不機嫌でした。シーカヤックはスマー トで綺麗で淑女の印象ですが、シットオンタイ プのカヤックは太目のおばさんのようだったか らです。実際に乗ってみると陽気なおばさん風 情です。それから時間を見つけては、本で学習 し一人でリーフに漕ぎ出すのですが、初めは恐る恐る、段々、生来の無鉄砲が顔をのぞかせま す。一人乗りから二人乗りも手にいれて、万座 毛や真栄田岬、金武湾、伊計島、屋我地、本部 などを根城に海の上を漂う快感は開放感にあふ れます。漁船に助けられたことをきっかけとし て、今は海の怖さも少し感じて慎重になりつつ あります。指導者や一緒に海に行く仲間が必要 なのでしょうが、他人に合わせてスケジュール が組めない忙しさが災いしているのか、他人に 合わせることができない我ままな性格が災いし ているのか、機会がつかめないままです。水平 線と同じ目線から周囲の海や彼方の陸をみる美 しさは、一人だから体験できる自由気ままさに 由来するかもしれないと理屈を並べています。

カヤックは上半身優位の運動で、下半身の運 動のために思いついたのが自転車でした。これ も颯爽としたロードレーサーに乗る人々の多さ に触発されて、また牧港の専門店に行きまし た。今では名護から辺戸岬までの西海岸を気分 に応じて行き来するのが楽しみです。初めは東 海岸を走っていたのですが、あまりのアップダ ウンに乗っているより押していることが多くて 前に進まず、西海岸を専らにしています。それ でも颯爽とヘルメットをかぶった「若者とおぼしき人」に追い抜かれますが、先でヘルメット を脱いで休んでいるその人をみると、私より高 齢の方が結構いるのです。

ここまで書いて、冒頭で「沖縄を十分に楽し んでいない」と書いた矛盾に気がつきました。 そういえば、何でも夢中になりすぎる性癖が楽 しめない理由です。アルコール依存という性癖 を変えることを生業にしている自分自身が性癖 を変えることの困難さを感じています。出会い で人は変化すると信じていますので、山ではな く海遊びの同好の士と出会えることを心待ちに しています。

カヤックを楽しむ大鶴先生親子

カヤックを楽しむ大鶴先生親子