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人生を変えた大学院生活

金城武士

沖縄県立宮古病院内科(琉球大学医学部第一内科)
金城 武士

はじめに

2004 年4 月から始まった臨床研修義務化に より、ほとんどの医学部卒業生は市中病院で初 期研修を受けるようになりました。大学とは違 い市中病院では臨床3 年目ともなればある程度 のことは任され、また自信がついてくる頃なの で、この時期にわざわざ大学に戻って研究をし ようと考える人は少なくなってきているようで す。私が医学部を卒業したのは2000 年ですが、 1 年目から大学の医局に入局し、3 年目で大学 院進学の道を選びました。より多くの臨床経験 を積むべきこの時期に4 年間ものあいだ研究生 活に身を置けば、臨床医として大きく出遅れる ことは覚悟していましたが、大学院を卒業され た多くの先生方が臨床の第一線でご活躍されて いるのをみて励まされ大学院への進学を決意し ました。大学院ではどっぷりと基礎研究に漬か っていましたが、研究生活を通して知識のみで はなく不思議と臨床にも通ずる物事の考え方や 探究心を培うことができた気がします。今回、 本コーナーに投稿する機会を得ましたので、大 学院の魅力について私の経験をもとに書いてみ ようと思います。進路に悩んでいる後輩達の一 助となれば幸いです。

大学院での研究生活

学生時代にほとんど勉強をしなかった私は、 先輩医師から発せられる分子生物学的な用語に 全くついていけませんでした。「TNF-α」、 「CD4, 8」、「Th1 細胞」という単語が出てくる とアレルギー反応を起こしてしまっていたので す。しかし理解を深めようとするとき、必ず分 子生物学用語の壁にぶちあたりました。ポケッ トベルに振り回されず、腰を据えてじっくりと 勉強してみたいという思いから大学院進学を決 意しました。私の所属する琉球大学医学部第一 内科にはいくつかの研究グループがありました が、川上和義助教授(現在、東北大学教授)の 率いるグループは少なくとも年に一回は国際学 会で研究成果を発表し論文業績も多かったた め、実験漬けになることは覚悟でこのグループ への配属を希望しました。研究テーマは感染免 疫で主に呼吸器感染症における自然免疫細胞の 役割について研究を行っていました。川上先生 と先輩達との間で交わされる「宇宙語」を理解 すべく、まずは「免疫学への招待」という入門 書を購入し勉強しました。また初めのうちは英 語の論文を読むことは大変なストレスでした が、理解を深めていくうちにあまり苦痛とは感 じなくなりました。実験は時に深夜にまで及 び、その後に動物舎の掃除をすることもよくあ りました。一つの結果を得るためには多大な労 力が費やされることを身をもって経験しました し、期待していた通りのデータが出たときの喜 びはひとしおでした。臨床の現場では既知の情 報を利用する立場となりますが、大学院は逆に 新たな知見を発信する場となります。解明され ていない現象の機序についてこれまでの知見を もとに仮説を立て、その仮説の正当性を実験で 証明していくという一連の過程は、振り返れば 知識を教え込まれてきた経験しかない私にとっ て非常に新鮮で楽しい作業でした。

大学院での貴重な経験:論文の査読と国際学会 での発表

川上先生のもとには英語論文の査読依頼がよ くきていました。査読とはある雑誌に投稿され た他者の論文を評価することで、雑誌の編集者 は論文のテーマに精通した複数の研究者から意 見を求め、最終的に掲載するかを決定します。 川上先生は論文の査読を大学院生にも回し、意 見を求めていました。査読ではその論文の斬新 さ、当該分野に与えるインパクト、実験方法や 実験結果の解釈が妥当かなどの評価をはじめ、 誤字脱字がないかまでも確認します。そして最 終意見としてAccept(受諾)、Revise(要修 正)、Reject(拒否)かを判断します。査読が 回ってくると大変なストレスでした。なぜなら、 論文の隅から隅まで何回も読まなくてはいけな い上に参考文献までも孫引きする必要があり、 多くの時間を割くことになるからです。しかし 査読は自分にとって非常に貴重な経験となりま した。筆者は自分に都合のよい論文を引用する 傾向にあり、何も考えずに読んでしまうと筆者 の世界に引き込まれる危険があるため常に内容 を疑いながら論文を読むこと、論文の「売り」 を冒頭で簡潔に述べ早いうちに読者を惹きつけ ておかないと、読者は何を伝えたいのかがわか らなくなり次第に読む気力が失われてしまうこ と、誤字脱字が多いと内容がよくても印象が非 常に悪くなること、などなど学んだことはたく さんありますが、一番よかったのは論文の欠点 をいかに暴くかの訓練を通して、自分自身の研 究を第三者的な視点で見つめ、弱点が何かを見 極めることができるようになったことでした。

国際学会での発表も大学院ならではの貴重な 経験となりました。大学院の4 年間でアメリカ の2 都市(デンバー、サンディエゴ)、カナダ (モントリオール)、オーストラリア(ヘロン 島:東海岸の小さな島)に行きました。国際学 会では国籍を問わず様々ななまりの英語で質問 されます。私はポスター発表しか経験していま せんが、身振り手振りで何とか質問に答えてい ました。英語で海外の研究者とディスカッショ ンできたことはとても自信になりました。また 国際学会の自由奔放な雰囲気は国内の学会では 味わえない独特なものでした。モントリオール で開催された国際免疫学会では夕方までのプロ グラムが終了した後に大きなホールを貸しきっ てサーカスを観賞し、それが終わったかと思う と今度は舞台でロックコンサートが始まり、恐 らく数千人はいたであろう参加者は先ほどまで サーカスをしていた場所に降りてきてノリノリ で踊りあいました。みんな馬鹿騒ぎしていまし たが、学会発表に至るまでの苦労を吹き飛ばし ているかのようでした。

最後に

多くの先生方のご指導、ご協力があってこ そ、充実した大学院生活を送ることができまし た。特に川上和義先生、藤田次郎先生、斎藤厚 先生、また苦楽を共にした大学院の先輩後輩の 先生方に深く感謝申し上げます。現在、離島医 療に奮闘しておりますが、大学院生時代に得た ものはかけがえのない財産になっています。臨 床医としての長い長い道のりの中で、決して無 駄ではなかった貴重な4 年間でした。大学院へ の進学を考えている方がいらっしゃれば、是非 その扉を開いてみてください。そこにはきっと 無限の可能性が眠っています。