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沖縄尚学高校、全国高校野球選抜大会優勝の陰で

川畑勉

国立病院機構沖縄病院呼吸器外科
川畑 勉

はじめに

春の選抜と言えば多くの方が高校野球を連想 すると思いますが、同じ高校生のスポーツであ るウエイトリフティング、ハンドボール、バレ ーボール、弓道などにも春の全国選抜大会があ り、ほぼ同時期に開催されていることをご存知 でしょうか。このコーナーをお借りして今や沖 縄県のお家芸ともいえるウエイトリフティング (重量挙げ)を皆様に紹介したいと思います。

豊見城高校の快挙

沖縄尚学高校が今年の春の選抜大会への参加 で甲子園に向け出発する頃、全国高校選抜ウエ イトリフティング競技大会で豊見城高校が男女 合わせて5 階級で優勝し、優勝者5 人はこの8 月に行われる日本、中国、韓国三ヵ国対抗戦の 日本代表に選ばれた。1 つの高校から5 人の日 本代表が選出されるのは個人競技では例がない ほどの『快挙』なのだ。にもかかわらず、那覇 空港への出迎えは我々ウエイトリフティング協 会の関係者と選手の家族のみで、甲子園で戦う 前からマスコミに取り上げられ華やかに出発し て行く沖尚ナインと比べるとそれはとてもさび しいものだった。

運命の日

4 月4 日は北京オリンピック代表選考会を兼 ねたウエイトリフティング全日本選手権が開か れた。くしくもその日は甲子園で、沖縄尚学と 聖望学園との間で紫紺の大旗をかけた決勝が行 われた日だ。午後1 時30 分、沖縄尚学が優勝 を決めるより一足先に本県の大城みさき選手が 女子48Kg 級で優勝した。ウエイトリフティン グはスナッチとジャークの2 種目の合計で競う が、スナッチにおいてはすでに北京オリンピッ クの日本代表に内定していた三宅選手の記録を も上回る日本新記録を樹立した。大城選手の樹 立したスナッチ83Kg という数字はシドニー大 会、アテネ大会の金メダリストと同記録であ り、その偉大さがわかろう。その記録が評価さ れ、晴れて北京オリンピック日本代表3 人のう ちの一人に選ばれた。沖縄県ウエイトリフティ ング協会からは5 人目のオリンピアンの誕生 だ。私もシドニーオリンピックに引き続き支援 コーチとして北京へ帯同することとなった。

沖縄の生んだ5 人のオリンピアン

ウエイトリフティングは1896 年の第1 回大 会からオリンピック種目である数少ない競技の 1 つである。海外でのその人気は大変高く、オ リンピックの入場券は発売と同時に完売の状態 である。チケット1 枚の値段も高く、野球のほ ぼ10 倍であった(シドニー大会)。

日本を代表するオリンピック選手はオリンピ アンと呼ばれる。国を代表するオリンピアンは 海外では、世界選手権の代表とは比較にならな いほどの敬意が払われる。沖縄県からは1984 年(ロサンゼルス大会)、1988 年(ソウル大 会)に平良朝治選手、1992 年(バルセロナ大 会)に伊礼 淳選手、1996 年(アトランタ大 会)、2000 年(シドニー大会)に吉本久也選 手、2000 年(シドニー大会)に仲嘉真理選手 がオリンピアンとして出場を果たし、特に平良 選手、仲嘉選手は入賞している。そして、今回 の北京オリンピックの大城選手で5 人目のオリ ンピアンの誕生だ。

沖縄のお家芸ウエイトリフティング

本県のウエイトリフティングは名実ともに日 本一と言っても過言ではない。国体においては 1993 〜 2007 年までの15 年間での成績は直近 の三連覇を含め、優勝10 回、準優勝2 回、3 位 2 回、5 位1 回である。歴代の優勝は地元開催 の海邦国体を含めると11 回を数え、単独1 位である。

日頃からスポットライトを浴びることの多い 高校球児と比較し、必ずしも恵まれた環境にな い中で練習する県内の高校生に私がかけてきた 言葉は『継続した努力は必ず報われる。殊、ウ エイトリフティングにおいては無駄な努力など ない。その努力の結集が実力となって力を発揮 できるのだ』である。そして、PDCAサイクル を意識した練習を求めてきた。PPlanP で、練習計画の立案を示す。DDoD で、 計画の実行と試合でどう生かされたか。CCheckC で、結果を評価し、反省する。AActionA でこれらのことをふまえて次の 行動に移すことが重要であると指導してきた。

本年の県高校総体の会場の練習場に掲げられ た部訓には『努力する者は夢を語り、努力せぬ 者は愚痴をこぼす』とあった。いたく感動し た。そして、日本高校記録が4 つ誕生した。

おわりに

以上、自分の趣味について書かせていただい たが、ウエイトリフティングについて少しでも ご理解していただけたら有難い。

全国で医師不足が叫ばれている。ここ沖縄県 でも若手呼吸器外科医は少ない。当院でもここ 5、6 年、呼吸器外科医をめざす研修医に指導 する機会がめっきり減った。淋しいかぎりだ。

呼吸器内科呼吸器外科をめざす研修医諸 君、あなたの努力次第で必ずその実力を発揮さ せ、全国のトップ選手に育てます。若手呼吸器 外科医を育てる日を首を長くして待っている今 日この頃である。

(沖縄県ウエイトリフティング協会副会長)

知事へオリンピック出場報告(右から2 番目が筆者)

2007 年秋田国体にて 団体三連覇、11 回目の優勝をかざる。
少年・成年選手・監督・コーチ陣(後列中央が筆者)