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頂上を征服できなくなった山男

須信行

琉球大学医学部第二内科教授
須 信行

1960 年(昭和35 年)7 月に北アルプス槍ヶ 岳に登った。初めての登山である。高校2 年生 のことであった。松本から釜トンネルを抜け、 上高地に入った。ガイドは穂刈さん。歩き方、 リュックの背負い方などの説明がある。歩きは じめた。梓川沿いに徳沢、横尾と比較的平坦な 道を歩いた。徳沢にはいると右に常念岳、蝶ヶ 岳、左に穂高連峰、涸沢岳、明神岳。横尾から 屏風岩を左に槍沢に入る。槍ヶ岳を正面に登 る。ヒュッテ大槍で一泊。翌日は槍ヶ岳征服。 槍ヶ岳の頂上は畳6 畳ほどのひろさである。頂 上直前は恐怖の岩場。西に転がれば飛騨高山、 東に転がれば信州安曇野へと滑落。足が振るえ た。恐怖を乗り越え頂上に立つ。頂上はすばら しかった。あれが常念岳、蝶が岳、穂高連峰、 涸沢岳、明神岳、そして南に乗鞍岳、北に白馬 岳。駒ケ岳を中心に中央アルプスの山々。北岳 を中心に南アルプスの山々。

山に登るようになった。大学2 年の夏は一ヶ 月を北アルプスで過ごした。山々は美しい。し かし、その後に知ったことは大自然の怖さだっ た。大晦日、吹雪の富士山山頂。何も見えな い。遭難寸前。春山での白馬岳の雪崩。雪の崩 れる音。地面が鳴り響く。嵐。雨と風。雨と強 風に向かって、80kg の荷物を背負って一歩一 歩足をすすめる。足が滑れば滑落。そして崖は 突然崩れる。「山との闘い」…そんなものはな い。自然は一方的に強い。「人間との闘い」な ど望んでいない。

フランスのモンブランの麓にシャモニーとい う美しい山の町がある。1977 年の夏、親子3 人でシャモニーを訪れた。その日はガイド祭で あった。ホテルを見つけることができなかっ た。学校の講堂で親子3 人毛布に包まって眠る ことになってしまった。しかし、翌日Aiguille du Midi からみたアルプスの山々は限りなく美 しかった。シャモニーの町に下りてくると、モ ンブランで遭難した人々の墓があった。粗末な 墓である。「山に挑み、山に敗れる」という碑 銘があった。親が考えた碑銘であろう。これは 親のわが子に対する愛情の表現であろう。碑銘 には「山に挑み、山に敗れる」とある。「山と の闘い」…そんなものはない。自然は一方的に 強く、「人間との闘い」など望んでいない。

結婚し、子供ができると、頂上をめざす登山 はできなくなった。自然は怖い。私のできるこ とは「山の裾野を歩きまわる」こと、「低山の 尾根を歩き、槍ヶ岳、穂高、などのアルプスの 山々を遠くから眺める」こと、それくらいのも のである。

沖縄には山はないという。「山が海の中に突 き出ている。そこに人が住んでいる」と私には 思える。沖縄の山に入るとすぐジャングルだ。 深い山の中に入った気持ちになる。気持ちのよ い時間を過ごすことができる。簡単に深山の気 持ちを味わうことができる。「山と闘う」など とは思わない。沖縄の自然が私を受け入れてく れることを望む。