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「ハンセン病を正しく理解する週間
(6/22 〜 6/28)に因んで」

恩河尚清

国立療養所宮古南静園長
恩河 尚清

週間の重点事項

1)ハンセン病に対する正しい知識の普及啓発を図り、偏見・差別の解消に努める

・ハンセン病はノルウェーのハンセン 医師により発見されたライ菌によっ て引き起こされる慢性の抗酸菌感染 症の一種である

・治療法が確立しているので、早期発見

・治療で治癒する

2)広く国民の理解を深め、ハンセン病療養 所の社会復帰の促進を図る

はじめに

わが国での、ハンセン病の発生は毎年数名ま でに減少し、そのほとんどが外国(南米、東南 アジア)からの出稼ぎ労働者である状況になっ ている。日本人の発生はなくなったが、全国の 13 国立療養所に、元ハンセン病に罹患した既往 歴で、3,000 名弱の入所者がライ菌に対する治 療は終了し、後遺症【麻痺と神経痛、四肢・顔 面の変形、足底部穿孔等】を抱えて療養してい る。ハンセン病新患の発生はほとんど無く、公 衆衛生上の対策は必要とされてない。しかし、 ハンセン病に対する偏見や差別が十分に解消し ない状況が続き、社会的課題を抱えている。

国の行政と立法府の責任

国は隔離政策を反省し、強制隔離と人権侵害 の実態が検証されている。しかしながら、国民 に十分理解され、社会的に偏見・差別が解消さ れ、国の政策に反映されているのがどうか問わ れる状況になっている。昭和30 年代には特効 薬(プロミン)が開発され治療法が確立し、平 成8 年には「改正ライ予防法」の廃止に伴う国 会の付帯決議において「ハンセン病に関する正 しい知識の普及に努め、偏見や差別の解消に一 層の努力をすること」、平成13 年には熊本裁判 にて「改正ライ予防法」により長期に亘る隔離 政策が続行された事に、次の判断が示されたに もかかわらずである。

「改正ライ予防法」の違憲国家賠償請求事件 の判決骨子は、「改正ライ予防法」が制定され た昭和28 年前後の医学的知見等を総合すると、 遅くとも昭和35 年以降においては、もはやハ ンセン病は、隔離政策を用いなければならない 特別な疾患ではなくなっており、すべての入所 者及びハンセン病患者について、隔離の必要性 が失われた。したがって、昭和35 年以降は、 隔離政策の抜本的な変換等をする必要があった が、「改正ライ予防法」の廃止(平成8 年)ま で、これを怠ったのであり、この点につき、厚 生大臣の職務行為に国家賠償法上の違法性及び 過失があると認めるのが相当である。又、遅く とも昭和40 年以降に「改正ライ予防法」の隔 離規定を改廃しなかった国会議員の立法上の不 作為につき、国家賠償法上の違法性及び過失が あると認めるのが相当である。

ハンセン病問題の今日的課題

この判決により、国は入所者に慰謝料を支払 い、園は入所者の終生保障をする為に運営されて いる。一般社会水準並の衣食住を保障し、介護・ 看護・医療を提供する為に。しかしながら、入所 者が減少する現状で、職員が減らされ、終生保障する約束に、陰りが見え出している。又、社会の 偏見・差別も十分に解消されてない。このような 状況を打開する為に、全療協は活動している。

昨年から、ハンセン病に関する基本法の制定 に向けて、各地でシンポジウムが開催され、100 万名署名活動が展開されてきた。将来構想とし て園の医療機能を一般へ開放し、園が生き残る ことにより、入所者の終生保障が担保される基 本法の成立を期待した活動が続けられている。

国民の理解と盛り上がりで政治を動かし、今 年6 月頃には議員立法で「ハンセン病問題基本 法」の成立を目指す、全療協の最後の戦いが展 開されている。

宮古のハンセン病療養所の概要

宮古南静園の設置:明治のライ患者調査で、 沖縄県は全国一の蔓延地域であり、その中でも 宮古先島は高浸潤地域で、当時の平良町長の仲 宗根は、地域を説得して、原野を開墾し1931 年に県立宮古保養院を設置した。人目を忍ん で、屋敷の裏座や集落外の小屋・洞窟に隠れて いた患者さんの療養施設として、1941 年には 国立に移管され、国立療養所宮古南静園改名、 運営されてきた。

戦中・戦後の被害:戦中は、日本軍守備隊に よる患者の強制隔離が実施され、園は過密状態 であった。そのような状況で、米軍による空爆 を受け、施設は全滅した。人的被害は少なかっ たが、終戦後1 年間に栄養失調、下痢、マラリ ア等で100 数名が亡くなっている。その人々の 一部は、沖縄県の戦争犠牲者として平和の礎に 刻銘されている。

皮膚科専門のクリニック:戦後の混乱期は、 琉球政府による施設の整備と運営がなされ、日 本の「改正ライ予防法」が適応され、強制隔離 が続けられ、人権に配慮されない運営がなされ た。昭和30 年代には、特効薬のプロミンが導 入され、昭和35 年には治療を求める入所者で 348 名にも達している。

昭和45 年、地域に潜在する新患の早期発見・ 治療を目的に宮古スキンクリニックを設置、昭 和54 年までに145 名の新患に治療をしている。

昭和58 年からは、南静園の皮膚科外来で、 一般住民の保険診療を導入し、宮古における皮 膚科専門病院の役割を担っている。その成果と して宮古地区は、平成11 年以降、新患は登録 されてない。

現在の療養所:現在(2008 年4 月)、92 名の 入所者がハンセン病の後遺症と成人病を抱えて 療養している。病状や障害の程度により、一般 舎、不自由者棟、病棟に入所し、必要に応じ て、介護と看護のコラボレーションにより日常 生活の援助、疾病管理をしている。疾病管理は、 当園の外来(皮膚科、内科、外科、整形外科)、 専門医師による外来診療援助(眼科、耳鼻科、 心療内科)と専門委託診療(脳外科、泌尿器 科、救急、手術等)の外来や入院は県立宮古病 院や地区医師会の診療所にお願いしている。

南静園の将来構想:平成8 年から、宮古支 庁、地区市町村、関係機関を巻き込んだ懇談会 が開催されている。南静園医療の一般開放に向 けて、老人施設の誘致に向けて等が議論されて きた。現在の法では進展しない状況であるとの 認識が強く、新しい法整備が必要であるとの活 動方針が展開されている。平成18 年度に、宮 古島市に「将来構想検討委員会」の事務局が設 置され、基本法の成立支援と成立後の将来構想 を検討している。

地域との交流:昭和50 年代には、園内老人 クラブ福寿会が結成され、宮古全体のゲートボ ール、グランドゴルフ、踊り発表会、カラオケ 大会へ参加している。又、宮古の老人クラブに も加入し、運動会にも毎年参加している。小学 生の慰問交流会、中・高生の職業体験、医学生 の視察研修、研修医師の体験研修を受け入れて いる。又、看護の日や週間行事では、公会堂を 活用し、パネル展、ビデオ上映、入所者の講話 等を催し、来園者への啓発を続けている。夏の 納涼祭には2,000 名以上の市民が参加し、入所 者と楽しい一時を過ごしている。