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脳卒中初期治療(Immediate Stroke Life Support :ISLS)コースの紹介

饒波正博

沖縄赤十字病院脳神経外科
饒波 正博

私が世情に疎かったのか、それともまだまだ 周知されていない事であったからかはわかりま せんが、恥ずかしながら私は、平成17 年10 月 に沖縄赤十字病院に入職するまでBSL、ICLS コースなる全国的いや全世界的な心疾患急性期 の標準治療コースの存在を知りませんでした。 このコースは、周到なエビデンスの積み重ね (症例検討)により決定された治療法を、シュ ミレーション実習を通して教えるというもので す。入職後に実際のコースを受けることになり ましたが、受講後の感想は、これはよくできた プログラムだと思うと同時に、このコースは単 なる医学教育コースではなく、ある意味で大き な「運動」の一つではないかと感じたことを覚 えています。これまで医師の実際の治療内容に 関しては、学問としての医学の制約はあるもの の、現場では医師側にかなりの裁量の余地があ りました。一医師・一療法といっては言い過ぎ になりましょうが、これに近いものがありま す。これを制限するものが、evidence based の 治療法であり、これをふまえた標準治療コース であります。コースでは患者さんが急変した後 の最初の10 分間の治療、何をどういう順序で 行うかが、人形を用いたシュミレーション実習 で徹底的に体に覚えさせられます。ベテランの 医師たちは言います、「そんなことはもうわか っているよ」と。私もかつてはその一人でし た。実際、医師の受講率は低く、コースの中心 は受講者も指導者(インストラクター)も看護 師さんたちです。しかし彼らのモチベーション はかなり高く、知識も豊富で成人教育という枠 組みの中での教授法にも熟知しており、私も尊 敬できるインストラクターの名を2,3 人はすぐ 挙げられるほどカリスマ・インストも生まれて きています。彼らに教育されるベテラン医師を 見ていると、文革時代に紅衛兵らに取り囲まれ た中国の知識人を見ているようで少し気の毒な 感じがしますが、医師が独占していた医学知 識・技術が解き放たれ、その裾野を広げてみん なの共有の知識・技術になっていくのだと実感 せざるを得ませんでした。私は今のこの状況を 肯定的にとらえています。そしてこの「運動」、 いやこれは少し大げさでした、言い直します、 「新しい医学教育コース」に積極的に参加して いこうと思う者の一人であります。

ところで私の専門である脳卒中領域でも最近、 標準治療コースができました。脳卒中初期治療 コース、Immediate Stroke Life Support (ISLS)と申します。平成17 年10 月の脳梗塞 治療薬のt-PA(アルテプラーゼ)が認可されま したが、これに後押しされてにわかに認知度の 高まってきているコースの一つであり、かつ面 白い展開をみせてきています。ご存知のように t-PA は、「脳梗塞発症後3 時間以内の投与」と いう強いしばりがあります。これをクリアする には数々の工夫が必要です。患者さんが搬送さ れ、診断そして治療決定に至るよどみのない診 療の流れが大切なことはもちろんですが、救急 隊の適切な病院選定が重要なKey point である ことがわかってきました。外傷治療領域で Trauma bypass という言葉があるのをご存知で しょうか?事故の現場からは少し離れてはいる が外傷をきちんと治療できる病院に患者さんを 搬送するという基準の方が、とにかくまず直近 の病院に搬送するという搬送基準よりは、治療 の予後がいいというデータから、患者さんの搬 送のレベルで適切な外傷専門病院を選定しよう という考えをいいます。t-PA 以後、脳卒中領域 でもstroke bypass という考えが生まれてきま した。同様に考えますと、救急隊が現場で脳卒 中を疑ったならば、t-PA を含めた脳卒中の専門 治療ができる病院を選定して患者さんを搬送す るというものです。これには、救急隊が脳卒中 を疑うという高度な判断が要求されます。この 判断を助けるために種々の脳卒中病前スケール ができました。代表的なものを紹介します。

シンシナティ病院前脳卒中スケール
(Cincinnati Prehospital Stroke Scale: CPSS)

1)顔のゆがみ(歯を見せるように、あるいは笑っ てもらう)

正常:左右対称

異常:片側が他側のように動かない

2)上肢挙上(閉眼させ、10 秒間上肢を挙上させる)

正常:両方とも同様に挙上、あるいはまっ たく挙がらない

異常:一側が挙がらない、または他側に比 較して挙がらない

3)構音障害(患者さんに話をさせる)

正常:滞りなく正確に話せる

異常:不明瞭な言葉、間違った言葉、あ るいはまったく話さない

上記3 つの所見のうち一つでも異常があれば 72 %の確率で脳卒中、2 つあれば85 %の確率で脳 卒中が疑われる。

このスケールの使用にあたっては、オーバ ー・トリアージは許容するという了解がありま す。つまり救急隊が脳卒中といって搬送してき た患者さんのなかに脳卒中でない患者さんが紛 れ込んでいてもよい、むしろ見逃してしまうこ とに問題があるという考え方です。このような 病前スケールを用い実際搬送された患者さんの どのくらいが本当に脳卒中であったか、t-PA 適応があったかを調べ、スケールの有効性を追 跡していきます。わが国にも独自の脳卒中スケ ールを用いて、より感度のいい、そして簡便な スケール作りを追求している地域があります。 このように脳卒中領域では病院側のISLS コー スだけでなく、救急隊側を巻き込んでの脳卒中 病院前救護( Prehospital Stroke Life Support: PSLS)コースもあわせて重要であ り、実際には両コースが同時に開催されるとい う流れになってきているのが現状です。

このような標準治療コースを通して一人でも 多くの患者さんが、t-PA 始めとする最新の脳卒 中治療の恩恵を受けることができることを願い、 またそうなるように努力していくつもりですが、 残念なことにISLS コースとPSLS コースも沖 縄県内で開催はまだなく、受講希望者は県外ま で出かけていかなくてはなりませんでした。これ を打開すべく沖縄赤十字病院と北部地区医師会 病院の有志で、中部地方で幅広くISLS-PSLS コースを主催されている名古屋大学救急部の有 嶋拓郎先生をお招きして、去る1 月23 日、24 日 とISLS 勉強会を開催しました。100 名を越える 方々にご参加をいただきまして、県内でこの脳 卒中コースを開催することの必要性を痛感いた した次第であります。上に述べてきたことはこの 勉強会での話の一部でありました。我々の活動 はまだこれからで、多くの方の支持が必要です。 ISLS、ならびにPSLS コースに少しでも興味 をお感じになられた方、もう少し内容が知りた いと思われる方は、当方まで連絡いただければ うれしく思います。

本稿では新しい脳卒中標準治療コースを紹介 させていただきました。最後になりましたが、 先の勉強会の開催にあたりましては、沖縄県医 師会の方々に広報の協力をいただきました。こ の場をお借りしまして感謝を申し上げます。

ISLS 勉強会:シュミレーション実習

ISLS 勉強会(平成20 年1 月23 日:沖縄赤十字病院);右 上写真:有嶋拓郎先生