理事 平安 明
この度、浦添地区医師会の推薦を受け県医師 会理事の末席に加えさせていただきました。平 成16 年度から地区医師会の理事として、介護 保険や救急・災害を担当してきましたが、私は 精神科医ですので、専門外の領域の委員などは 正直言って重荷に感じることもありました。何 か場違いな雰囲気を感じながら、無難に職責を 果たすことを心がけ、メッセンジャー的な役割 を超えることなくいつの間にか数年が過ぎてい ました。それでも何とか流れが見えてきたと感 じ、それなりに責任を果たせそうだと思ってい たところで、今回の県医師会理事の推薦を受け ました。医療界全体が重大な局面を迎えている この時期に、自分は役不足であると固辞してい ましたが、地区医師会長の強力な後押しに引く ことができませんでした。推薦していただいた ことを光栄に思うと同時に、この重責に身の引 き締まる思いです。
私は平成2 年に大学を卒業し久留米大学の第 二外科に入局しました。当時は、名嘉真透先生 (現北部地区医師会長)に公私共にお世話にな り、入局の際には「お前は頭を使って仕事を覚 えるより、体で覚えたほうがいいよ。その方が 絶対ためになる」とうまく言いくるめられ、ほ ぼ入局が決まっていた内科から外科に移ったこ とを思い出します。以来、外科在籍は3 年間と 短い期間でしたが、現在も諸先輩方とは交流を 続けさせていただいています。
平成5 年に帰沖してからは父の開業した精神 科病院を引き継ぐべく、琉球大学精神神経科に 入局し、平成9 年から理事長職についていま す。それから数年は、精神科臨床にも増して病 院の内部改革にエネルギーの殆どを消耗する 日々が続きました。精神科領域でも急慢の病棟 機能分化や入院医療から地域医療への展開が叫 ばれだした時期で、時流に乗り遅れまいと情報 収集や組織改革など試行錯誤しながら取り組ん でいました。
平成16 年に浦添市医師会理事に就任し、同じ 頃に沖縄県精神科病院協会理事もすることとな り、院外業務が一気に増え、委員会への出席等 で少し早めに病院を出ると「先生、帰るのが早 いですね」と病院職員から言われ、心の中で “前より忙しくなってるんよ、遊んでるんじゃな いよ”と言い訳したい衝動に駆られたものです。
そんな事がありながらも地区医師会の仕事を 続けていくと、住民の健康、行政やマスコミと のパイプ、研修医教育や医師不足の問題、医療 従事者の倫理、医事紛争等など挙げたら枚挙に 暇がないほどの仕事を、県や地区の医師会で継 続して行われていることが見えてきました。病 院勤務や臨床だけではわからなかった医師会活 動を肌で感じたわけです。これから県医師会理 事としてどのような仕事を拝命するのかわかり ませんが、何はともあれ、与えられた仕事を全 うするべく一生懸命努力するしかありません。 皆様のご指導、ご鞭撻をぜひともよろしくお願 い申し上げます。