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比嘉國郎先生、稲冨洋明先生、中村義清先生、
おめでとうございます

−比嘉國郎先生沖縄県功労章受章・稲冨洋明先生日本医師会
最高優功賞受賞・中村義清先生旭日双光章受章祝賀会−

常任理事 安里 哲好

稲冨洋明先生と民子夫人、比嘉國郎先生と弘子夫人、中村義清先生と弘子夫人

稲冨洋明先生と民子夫人、比嘉國郎先生と弘子夫人、中村義清先生と弘子夫人

比嘉國郎先生、稲冨洋明先生、中村義清先生 の栄えある受賞、心よりお祝い申し上げます。 ご三名には、昭和から平成にかけて30 年近く、 本土復帰直後より、保健・医療・福祉における 多くの難問や課題を乗り越え、沖縄県の医療そ して県医師会を高き所に導いていただき、心よ り感謝いたします。ご三名が、祝賀会のひな壇 のテーブルに並ぶと、県医師会理事会の風景が 頭によぎり、懐かしさと同時に、その頃と同じ く尊厳さを感じ、目頭が熱くなるのを感じまし た。会場溢れんばかりの多くの方々が出席さ れ、受賞を祝い、喜びを共にされました。

比嘉國郎先生が県医師会長の頃、小生は理事 会の末席で、2 年近くご一緒させていただきまし た。その頃は、医師国保を担当しておりました ので、県外への出張にお供することがありまし て、恐る恐る質問をしながら、医療制度改革等 も含め、いろいろご指導頂いたのを思い出しま す。中村義清先生には、学術の領域で多くのご 指導を受け、また、地域における医療活動につ いての見識の高さに、いつも敬服していました。 もっと、長い期間、教授・伝授していただきた いと強く思いました。しかし、何かあると今でも 直ぐに、小生も含め、県医師会がご指導やご意 見を頂いています。稲冨洋明先生には、台中市 医師公会との交流の時、ご一緒させていただき ました。これほど地理的にも歴史的にも身近な 台湾を、初めて訪れて、台中市医師公会の先生 方と医療制度や医療について(時に政治や生活 事情について)話し合うのはすばらしいことかと 感じました。他の国の方々と、交流する機会を 経験させていただき、視野が広がりました。

ご三名とも、ちょっと白髪が増えた以外は畏 怖堂々とされ、そして壮健そのもので、今だ、 強いエネルギーを感じます。県医療界や地域社 会への、これまでの多大なる貢献に対して深甚 より敬意と感謝を表すると共に、ご三名がいつ までもご健勝でご活躍されんことを心より念願 いたします。

比嘉國郎先生業績紹介
永山孝南部地区医師会長
永山孝

この度の比嘉國郎先 生沖縄県功労章受章に 際し、輝かしい数々の ご功績の中から主なも のを簡単にご紹介させ ていただきます。

先生は、生業に及ぼ す甚大な犠牲を厭わず、昭和49 年沖縄県医師 会理事就任を皮切りに、昭和55 年常任理事、 昭和59 年副会長、昭和63 年には会長に就任 し、28 年間にわたり、沖縄県医師会の牽引者 として会務運営、事業推進に尽力され、県下の 保健・医療・福祉の向上に大きく貢献されてお ります。

会長に就任した昭和63 年から、「開かれた医 師会」づくりを提唱し、これを様々な形で実践 してこられました。

先ずはじめに手がけたのが、地区医師会の三 役クラスを県医師会の執行部に起用し、地区医 師会との連携を緊密にして円滑なる会務運営を 推進しました。

また、チャリティー事業の一環として、「ヘ ルシーハート・チャリティ写真展」、「愛・ふれ あいのメディカルフェスティバル」を開催し、 その売上金額を交通遺児育成資金並びに社会福 祉施設へ寄付しております。

さらに、県民の健康教育活動の一環として医 療情報を提供すべく、琉球新報社の「うちなー 健康歳時記」、沖縄タイムスの「命ぐすい耳ぐ すい」をスタートさせております。

平成8 年には情報化時代の到来にいち早く即応 し、他の都道府県に先立ってインターネットを活 用した医療情報システムを構築しております。

また、平成7 年8 月には、太平洋戦争・沖縄 戦終結50 周年記念事業の一環として県より委 託を受け、「沖縄県長寿の検証と長寿地域宣言 事業」を企画し、国内外より権威ある長寿研究 者を招聘して、特別講演、シンポジウム、円卓 会議、基調講演、記念講演、記念式典を開催し ております。当初より長寿の危機が叫ばれてお りましたが、改めて宣言を行うことにより、県 民に再認識してもらうと共に、長寿地域の存 続、発展を訴えるものでありました。

また、平成12 年7 月8 日、9 日の両日にわた って開催された「第25 回日本プライマリ・ケ ア学会」においては、自ら県内大手の企業を直 接一軒一軒訪ね、資金調達に奔走されると共 に、全国から約2,000 人の参加者を動員し、成 功裏に導きました。

このように極めて多忙な中、沖縄県医療審議 会会長、公安委員会委員長をはじめとして、実 に三十数種に及ぶ関係諸団体の委員会委員を歴 任され、県行政をはじめ関係各団体の事業推進 に大きく貢献されております。

さらには、日本医師会において理事をはじ め、各種委員会委員を歴任され、日本医師会の 事業推進にも大きく貢献されております。

以上、特別な功績だけをご紹介いたしました が、その他にも、沖縄県医療保健連合(なごみ 会)の前身である沖縄県三師会の発足、現在で は県内医療関係17 団体が加盟する組織に発展 しております。高嶺徳明顕彰碑建立、日本医師 会移動理事会の開催、沖縄医生教習所碑再建、 九州・沖縄サミットに伴う救急医療支援、沖縄 県医師会創立50 周年記念事業等、枚挙に暇が ありません。

以上のような数々のご功績が認められ、この 度沖縄県功労章を受章されました。

平成14 年の4 月からは沖縄県医師会顧問として、引き続き医師会発展のためにご尽力いた だいておりますが、比嘉先生におかれまして は、今後も益々ご健勝でご活躍されんことを祈 念いたしまして、簡単ではございますが業績紹 介を終わります。

この度の受賞、誠におめでとうございます。

稲冨洋明先生業績紹介
名嘉勝男南部地区医師会副会長
名嘉勝男

この度の稲冨洋明先 生日本医師会最高優功 賞受賞に際し、輝かしい 数々のご功績の中から主 なものを簡単にご紹介さ せていただきます。

先生は、昭和55 年に 沖縄県医師会理事就任を皮切りに理事8 年、副 会長14 年、会長4 年、合計26 年間にわたり、 沖縄県医師会の牽引者として会務運営、事業推 進に尽力されました。

平成14 年の会長就任に際し、「信頼される医 師会」づくりを提唱し、様々な形で実践してこ られました。

先ず、県民から信頼を得る為には、対外広報活 動が必要不可欠であるとし、「県民公開講座」の 開催、沖縄県老人クラブ連合会や婦人会連合会等 の各種団体の代表者で構成する「医療に関する県 民との懇談会」の実施、「マスコミとの懇談会」 の定期開催等に努め、県民への適切な情報発信と 県民との直接対話を強力に推進されました。

一方、会内では、「医の倫理向上」「自浄作用 の活性化」「医療安全対策」等に力点を置き、 県内外からそれぞれの専門家を講師に招聘して 講演会を開催すると共に、中央から収集した情 報を会員に提供し、会員自らが「安心で安全な 医療の確保」に取り組むよう促進し、信頼の醸 成に努められました。

また、本県は、従来から日本の南玄関として 東南アジアとの交流の拠点を目指し種々活動を 行っておりますが、稲冨先生は、医師会も、学 術団体としてその一翼を担い国際交流の発展に 寄与すべきとの信念の元、隣国で歴史的にも結 び付きの深い台湾の台中市医師公会に姉妹会締 結の申し出を行い、台中市医師公会のご理解を 得て姉妹会締結を実現させております。特に平 成1 5 年にアジアを中心に猛威をふるった SARS 発生時にはマスクを届けると共に、担当 理事を現地に派遣し情報収集に当たらせる等、 本県のSARS 対策に大きく貢献しております。

このように、沖縄県医師会長という極めて多 忙の中で、沖縄県医療審議会委員、健康おきな わ2010 推進会議委員等、県をはじめ関係諸団 体の委員会委員等を歴任され、その数は四十数 種に及び、医師会のオピニオンリーダーとして 各方面で活躍されました。特に、沖縄県医療審 議会においては会長として、県下の医療提供体 制の確保に尽力されております。

また、九州医師会連合会では、平成17 年度 に連合会長に就任され、九州医師会総会・医学 会、九州ブロック学校保健・学校医大会をはじ めとする諸行事を成功裏におさめると共に、日 本医師会においては理事2 年、代議員10 年、 病院委員会2 年を歴任され、日本医師会の事業 推進にも大きく貢献されております。

さらに、本会の長年の懸案事項でありました 会館建設について、県有地との等価交換作業を 速やかに進捗させるよう直接沖縄県知事に働き かける等、先頭に立って会館建設に向けて尽力 されており、おかげを持ちまして、来年秋には 竣工の予定となっております。

以上のような数々のご功績が認められ、この 度日本医師会最高優功賞を受賞されました。

平成18 年4 月から沖縄県医師会顧問として、 引き続き医師会発展のためにご尽力いただいて おりますが、稲冨先生におかれましては、今後 もますますご健勝でご活躍されんことを祈念申 しあげまして、簡単ではございますが業績紹介 を終わります。

この度の受賞、誠におめでとうございます。

中村義清先生業績紹介
嘉手納成之南部地区医師会副会長
嘉手納成之

この度の中村義清先 生旭日双光章受章に際 し、輝かしい数々のご 功績の中から主なもの を簡単にご紹介させて いただきます。

先生は、昭和51 年4 月に南部地区医師会において、現在の理事にあ たる幹事に就任され、以来、幹事2 年、副会長 6 年、会長8 年、理事2 年、計18 年に亘って要 職を務められ、南部地域の医療・保健・福祉の 向上、発展に多大な貢献を果たされました。特 に、昭和59 年4 月、南部地区医師会長に就任 すると同時に同会の法人化に向けて会員相互の 団結を図ると共に、診療の合間を縫って自ら煩 雑な許認可手続きに精力を注がれました。その 結果、昭和59 年9 月に社団法人の認可を取得 するに至り、その設立にあたっての中村先生の 功績は極めて甚大であります。

また、南部地区の保健福祉活動の拠点となる 医師会館建設に向けて、建設候補地を決定する 一方、21 世紀の超高齢社会を展望した老人保健 施設を医師会付帯事業として全会一致の決定に 導いたことは今なお高く評価されております。

また、先生は、昭和63 年4 月、沖縄県医師 会理事に就任すると同時に重要なポストである 医療保険を担当し、その手腕を如何なく発揮さ れました。特に、保険診療のあり方について、 県保険課との間に立ち、また各地区の保険担当 理事及び両支払機関審査委員と連携して「Q & A」シリーズを発行するなど、会員への懇切丁 寧な指導を心がけると共に、本県における医療 保険制度の円滑な運営に多大なる尽力をされて おります。また、平成6 年4 月から平成8 年3 月まで常任理事を、平成8 年4 月から平成14 年3 月まで副会長を務められ、計14 年もの永 きに亘り、産業医委員会、地域医療委員会、会 費検討委員会、定款等検討委員会、医療保険研 究委員会、医事紛争処理委員会、福祉・経営委員会の各種委員会を中心に医師会活動全般にわ たって中心的な役割を担われました。

また、昭和53 年4 月からは沖縄県医師会代 議員を10 年間務め、県医師会の事業・運営の 円滑推進を積極的に支援され、平成11 年4 月 からは、沖縄県内科医会の会長として、県下の 内科医療・保健の向上に尽力されております。

更に、西原町立西原小学校、坂田小学校、県 立南部商業高等学校の校医をはじめ、与那原町 の児童・生徒を中心とする予防接種担当医とし て今日にいたるまで38 年間にわたって地域保 健活動にも尽力されております。

地域における健康講話、健康相談に長年にわ たって積極的に参加されると共に、与那原警察 署嘱託医を務め、検死業務や署員の健康教育・ 保健指導にも精力を注がれております。

以上のような数々のご功績が認められ、この 度旭日双光章を受章されました。中村先生にお かれましては、今般発足いたしました沖縄県医 師会会史編纂委員会の副委員長に就任され、こ れからのご活躍も期待されるところでありま す。先生の今後益々のご健勝とご多幸を祈念い たしまして、簡単ではございますが業績紹介を 終わります。

この度の受章、誠におめでとうございます。

伊波輝美県福祉保健部長祝辞
伊波輝美

比嘉先生、稲冨先生、 中村先生、この度の栄え ある受章誠におめでとう ございます。比嘉先生に おかれましては、昭和 63 年に沖縄県医師会長 に就任され、沖縄県長寿 の検証と世界長寿地域宣言事業や第25 回日本プ ライマリケア学会の開催と事業推進に尽力され ました。また、沖縄県医療審議会会長の他、幅 広い分野の団体・機関の要職を歴任され、県行 政の推進に大きく貢献されました。稲冨先生に おかれましては、昭和49 年に県内初の医療法人である医療法人晴明会を設立され、現在まで精 神科医療に従事し、精神保健医療の向上に貢献 されました。また平成14 年に県医師会会長に就 任され、台中市医師公会との姉妹会締結に尽力 された他、県医療審議会会長等の要職を歴任し、 本県の保健医療政策の推進に大きく貢献されま した。中村先生におかれましては、南部地区医 師会長として南部地域の保健・医療・福祉活動 の支援拠点となる、医師会館、老人保健施設の 開設に取り組まれた他、県医師会副会長として、 各種委員会を中心とした医師会活動全般に大き く貢献されました。また、学校校医として生徒 の健診にあたる一方、地域における健康教育等 の講演を精力的に行い、地域住民の健康保持増 進に尽力されました。比嘉先生、稲冨先生、中 村先生の保健・医療・福祉の向上に対する多大 な貢献に対し、心から感謝申し上げます。

さて、多くの離島を抱える本県にとって、離 島医療体制の整備や医師の確保は重要な課題と なっており、その解決に向けて県医師会と連 携、協力し、総合的な保健医療体制の確立に取 り組んでいるところでございます。沖縄県医師 会の先生方には、より一層のご支援ご協力をよ ろしくお願い申し上げます。結びになります が、比嘉先生、稲冨先生、中村先生におかれま しては、今後ますますのご健勝とご活躍を祈念 いたしましてご挨拶に代えさせていただきま す。おめでとうございます。

比嘉國郎先生謝辞
比嘉國郎

私共3 名揃って受 賞の栄に浴しまし た。先ほど会長から もご紹介ありました ように、元県医師会 の三役でございます。 三人揃ってこのよう な賞を頂くと言うこ とは、過去にあったかどうか知りませんが私の記 憶の中にはございません。それだけに大変うれしゅうございます。本日は私共3 名のためにこのよ うに盛大に祝賀会を開催していただきまして宮城 県医師会長、役職員の皆様並びに本日の祝賀会に ご出席を賜りました会員並びにご家族の皆様に心 より厚く御礼を申し上げます。私はこの度ラッキ ーと申しましょうか、9 月には琉球新報賞、11 月 には県功労章を受章致しまして正直申し上げて大 変に驚いている次第であります。県功労章受章の 内容を見ますと医療・保健・福祉の向上発展に尽 力したこと、また、医療行政の推進に貢献したこ と等が書かれてあります。ということは、会員の 皆様に支えられて私が長い間、県医師会の役員と して務めさせていただいたご褒美であろうと考え ておりまして、会員に代わって私が代表してこの 章を頂いたと私自身受け止めております。改めて 今日まで私共を支えて頂きました会員の皆様、事 務職の皆様に心より厚く御礼申し上げます。我が 国は高齢社会がどんどん進んでいっておりますが、 つい先だっての放送を見ますと、後期高齢者が総 人口の10 %を超えたというニュースが流れてお りました。私自身も今年から後期高齢者の仲間の 一人であります。従いまして、「何時何が起こるか 分からないよ」ということを家内と時々話しをす る年齢になりました。しかし、幸いに今のところ 非常に元気でおりますので、欲張りかもしれませ んが出来るならばあと10 年ぐらいは元気でいた いと思っております。そして地域社会に少しでも お役に立てればと考えておりますので、どうぞ今 後とも変わらぬご支援ご指導ご鞭撻を賜りますよ う心からお願いを申し上げてご挨拶とさせて頂き ます。本日は誠にありがとうございました。

稲冨洋明先生謝辞
稲冨洋明

本日は大変お忙し いところ、私達3 人 のお祝いにこのよう に大勢の皆様にお集 まりいただき本当に ありがたく、心から 感謝申し上げます。 比嘉國郎先生県功労 章受章、中村義清先生旭日双光章受章誠におめで とうございます。私もこの度思いも掛けず日本医 師会最高優功賞を受賞しました。身に余る光栄で ございます。先ほど来、宮城会長並びに名嘉南部 地区医師会副会長より過分なお言葉を頂きまし て、また、ご来賓の伊波輝美県福祉保健部長より ご祝辞を賜り、身の竦む思いでございます。去る 11 月1 日、第60 回日本医師会設立記念医学大会 において都道府県医師会推薦の個人11 名の中の 一人として受賞して参りました。表彰の内容は保 健衛生活動の向上に貢献した功労者となっており ます。主たる功績内容は医師会活動で、南部地区 医師会20 年、県医師会26 年の間務めさせて頂い たということ、そしてその役職に付随する行政等 各関係団体の委員会委員として参加したこと、昭 和49 年4 月に県内で最初の医療法人として糸満 晴明病院を開設以来、33 年間精神科医療に従事 し県内の精神医療保健の向上に寄与したこと等で あります。特に昭和63 年、県内初のアルコール 専門病棟を開設し、増加するアルコール依存症患 者の治療を精力的に実施すると共に、県内断酒会 の育成に尽力したこと、また、信頼される医師会 づくりを目指して、2 期4 年間ではございますが、 役職員が一丸となって取り組み、県民公開講座、 県民との懇談会、マスコミとの懇談会を定期的に 開催し、医の倫理向上、自浄作用の活性化、医療 安全対策等に努めてきたこと、更に、平成16 年2 月には国際交流の一環として沖縄と一番近い隣国 の台湾台中市医師公会と姉妹会を締結し、医学・ 医術・医療制度等の情報交換と相互交流の促進を 図ったことでございます。この度図らずも、受賞 することが出来ましたのも、諸先輩方の温かいご指導ご鞭撻と、役職員が一丸となったご協力、並 びに多くの会員の先生方のご支援のおかげだと心 から感謝申し上げます。来年は鼠年でございまし て、私の当たり年でございます。また、私の両膝 も2 年前のちょうど昨日手術をして生まれ変わっ たのでございます。変形性膝関節症で杖なしでは 歩けなかったのですが、ご覧のとおり、現在では 階段もスムーズに歩けるようになっており、下手 なゴルフをどうにか出来るようになりました。こ れからは月に1 〜 2 度はゴルフかカラオケをやっ てストレスを発散させようと思っております。こ れからは常に「心に太陽を抱き、唇に歌」という 気持ちで頑張っていきたいと思っておりますので、 どうぞこれまで以上のご指導ご鞭撻のほどよろし くお願いいたします。最後になりましたがご参集 の皆様方の今後ますますのご健勝を祈念し、感謝 の言葉といたします。

中村義清先生謝辞
中村義清

本日は公私ご多 用の中をこのよう に多くの皆様にお 集まり頂き、盛大 な祝賀会を開催し て頂きましたこと に衷心より感謝申 し上げます。先ほ どご祝辞を賜りました、伊波輝美県福祉保健部 長、宮城信雄会長には身に余るお祝いのお言葉 ありがとうございます。また、嘉手納成之南部 地区医師会副会長には、過分なご紹介を賜りまして、身の竦む思いをしながら聞いておりまし た。今回図らずも、秋の叙勲受章者名簿の中に 私の名前を付け加えていただく栄に浴し、大変 感激致しております。去る6 日に知事公舎にお きまして、仲井眞知事より勲記と勲章の伝達を 受けました。翌7 日には厚生労働省に行きまし て、その中での叙勲受章者の紹介と、副大臣の 祝辞がございました。その後皇居において天皇 陛下拝謁の栄誉とありがたいお言葉を頂き、感 激の極みでございました。今回の受章は、先ほ ど稲冨先生も述べられたように、私も保健衛生 功労ということであります。主として学校保健 が長いことと、地域保健が評価されたものと思 っておりますが、ご高尚のように一人で出来る ものではございません。多くの先輩のご指導、 ご支援、学校・保育園・幼稚園の施設の関係者 のご協力があって出来たことでございます。高 い所から恐縮ではございますが、お礼の言葉と この喜びを一緒に分かち合いたいと思っており ます。年数は38 年となっておりますが、その 間濃い活動が出来なかっただけにこの章を受け るのに一種のためらいもあり、もっと頑張れば よかったとある意味忸怩たる思いもしたわけで あります。ともあれ、このような重い章を頂く ことになりましたので、これを期に今後もこれ まで出来なかったことを健康の許す限り頑張っ て行きたいと思っておりますので、今後とも変 わらぬご指導、ご鞭撻のほどよろしくお願い申 し上げ、お礼の言葉とさせて頂きます。