沖縄県医師会 > 沖縄県医師会の活動 > 医師会報 > 1月号

時の流れに身を任せ

高芝潔

北部地区医師会病院 高芝 潔

明けましておめでとうございます。今年も宜 しくお願いします。

私は三重県生まれのないちゃーです。沖縄に 来て16年目になります。名護は私の人生で最も 長く住んだ場所になりました。屋我地の済井出 に家も建てました。故郷の尾鷲に似た海岸線の 風景が和ませてくれます。北部地区医師会病院 に勤務した16年間の歳月は私に診療だけでなく 多くの事を学ばせてくれました。内地の大きな 病院というハウスの中で温室育ちの医師で終わ るはずだった私は、沖縄の亜熱帯の未開地に飛 び込んでしまった印象でした。内地の仕事は病 院医師特有の過重労働の厳しさはありますが、 疲労の質は単純で二十日ねずみが回転車の中で 倒れる寸前まで走る様なものです。しかしこち らではジャングルの開墾が待っていたのです。 見知らぬ先輩や同僚の中で、しかも酒も強い し、親切だけど『テーゲー精神が旺盛』な職場 の人たちと一緒に。

当時下関で病院勤務していた時に、北部地区 医師会の理事の先生方に勧誘されました。230 床の病院を平成3年4月より開設する。高度医 療を目指している、周辺には医師会員の療養型 病院が6施設在るので計800床のベットがバッ クに控えている。医師会病院と合わせて1,000 床の病院群として病床利用可能である。循環器 科の専門である私には急性心筋梗塞に対するイ ンターベンション治療を導入して欲しいとの話 でした。ところが着任してからは驚きの連続で した。一番びっくりしたのは、あらかじめ赴任 前に病院職員と同行して決めたはずの私のアパ ートに別の医師が住んでいた事です。『ヒェ ー!』しかも病院に行くとシネアンギオ装置は 入っておらず、230床の病床数のはずがICUど ころか稼動病床はたった4床でした。『ギャー!』 急性心筋梗塞患者が受診したらどうしますかと 先生方に尋ねると県立北部病院へ紹介して下さ いとの返事でした。『モウダメダ!』数ヶ月間 カテーテルに触れないの!カテ操作を忘れそ う!大変な所に来たぞ!と思ったのが最初の印 象でした。「まあいいか。郷に入っては郷に従 え」医局のソファーに座ってダイビングショッ プの電話番号を調べました。危険な趣味なので 体力をつけるためにジョギングを始めました。 下関では24 時間救急の不規則な生活の為か 78kgの肥満体でした。2〜3ヶ月で10kgの減量 が出来ました。健康は取り戻したけど、救急車 のサイレンを気にしなくていいのかな?仕事は 楽でも、不安な沖縄でのスタートの日々でし た。不思議なことに愛想を尽かして帰ろうと言 う気にはなりませんでした。当時は職員には 「先生はどうして何時も怒った顔をしている の?」と言われてました。その後徐々に診療体 制が整い平成4年に循環器科として内科から独 立し、平成5年には24時間循環器科救急を開始 しました。

開設以来いろいろ病院の経営不振が囁かれて いました。看護師不足が原因と聞いています が、全病棟が開設したのが平成10年、ICUに至 っては平成16年開設です。長年金融機関とも めていたようですが、私は詳細はわかりませ ん。突然、平成14年に病院経営を任されまし た。まるで待っていたようなタイミングで銀行 との喧々諤々がマスコミに報道されました。医 師会病院経営破綻か?というような刺激的な見 出しだったと思います。土壇場で全科24時間救 急開始し、職員一丸となった病院改革で危機を 乗り切りました。地域住民の方々や行政の方々 の応援が心強かったです。その後もいろいろ有 りましたが、今病院は大きな目標を持って飛び 立とうとしています。大切な同志である医師や 看護師等多くの部署職員がいます。皆大きな希 望を持っています。私も時の流れに身を任すだ けではいけません。最後の奉公ができれば良い と思っています。