琉球大学医学部器官病態医科学講座 女性・生殖医学分野(産婦人科)
青木 陽一
【要 旨】
家族性腫瘍は、優性遺伝形式をとり腫瘍性病変が一次形質である遺伝性癌症候群と、劣性遺伝形式をとり非腫瘍性病変を一次形質として発症する高発癌性遺伝病の2つのタイプに分けられる。これまで明らかとなった家族性癌では癌遺伝子や癌抑制遺伝子の異常、さらにDNA修復遺伝子の異常が報告されている。家族性卵巣癌は、家族性卵巣癌(狭義)、家族性乳癌・卵巣癌症候群、遺伝性非腺腫性大腸癌家系に分類される。現在までに前二者の原因遺伝子としてBRCA1,BRCA2が、遺伝性非腺腫性大腸癌の原因遺伝子としてMLH1、MSH2などのミスマッチ遺伝子が同定されクローニングされている。BRCA1/2に関しては、盛んに変異のスクリーニングや予防的卵巣摘出の検討がなされているものの、卵巣癌の大多数を占める散発症例においてはBRCA1/2の変異は極めてまれであり、BRCA1/2 pathwayの解明、さらに他の遺伝子のBRCA pathwayへの関与の解析が進むことが期待される。それにより散発卵巣癌症例における感受性遺伝子の同定が卵巣癌の早期発見、治療、予防における戦略にも多いに役立つことが望まれる。
癌の多くは環境因子などの影響の積み重ねの結果、遺伝子に変化が起こり発症すると考えられる。しかし、時として血縁者に癌が多発する家系が認められ、発症に遺伝的素因が深く関与していると考えられる癌も存在する。これらを家族性腫瘍と呼び、近年さまざまな家族性腫瘍の原因遺伝子が解明され、発癌のしくみも次第に明らかになってきた。
近年、臨床遺伝学の進歩により高発癌家系における原因遺伝子の単離、素因保因者における疾患浸透率などが明らかになるにつれ、発症前の遺伝子診断の可否、薬剤・手術等の医療介入の是非など、さらに解明されなければならない問題も多い。倫理的、社会的、法的に議論すべき点も多いが、ますますその重要性を増している家族性腫瘍、特に婦人科関連ということで本稿では家族性卵巣癌を中心に概説したい。
古くは19世紀にナポレオンの胃癌多発家系の記述がなされ、学術的な報告は1913年のミシガン大学病理学者のWarthinによるG家系の報告に始まる。この調査は1971年Lynchらによって癌家系症候群(Cancer family syndrome)として、家系内842人を集積し多数の大腸癌、胃癌、子宮体癌患者の存在が報告された1)。1969年にはLiとFraumeniにより、常染色体優性遺伝形式で80%は45才までに何らかの癌を発症する4家系(Li-Fraumeni syndrome)が報告され2)、1992年Friendら3)により、このsyndromeではp53の変異を遺伝的に受け継いでいることが明らかにされた。わが国では、Ogawaらが1981年の愛知県地域登録癌患者9,131名の家系内調査により、癌の発生臓器により家族内集積が異なることを明らかとし、乳癌、大腸癌では家族集積性が高度であるが、肺癌、子宮頚癌ではその傾向を認めないと報告した。その後、高発癌家系の詳細な家系解析や分子生物学的手法により、多くの原因遺伝子が同定され、発癌メカニズムも明らかになりつつある。
狭義の家族性癌、すなわち家族性癌症候群の場合、メンデルの遺伝形式に従って発症し、すべての癌の1〜8%に認められる。家族性大腸ポリポーシス症に代表されるように、優性遺伝形式をとり腫瘍性病変が一次形質である遺伝性癌症候群と、色素性乾皮症に代表されるように、劣性遺伝形式をとり非腫瘍性病変を一次形質として発症する高発癌性遺伝病の2つのタイプが家族性癌症候群に含まれる。これまで明らかとなった家族性癌では癌遺伝子、癌抑制遺伝子、DNA修復遺伝子の異常が多い。これらは遺伝性腫瘍として生殖細胞系列の発症責任遺伝子変化が明確である場合が多い。(表1)
表1 遺伝性腫瘍と原因遺伝子
1)癌遺伝子の異常
活性化された癌遺伝子が生殖細胞に存在した場合、個体発生そのものが致死的になると推察されるため、現在癌遺伝子の異常が認められている高発癌家系はRET遺伝子の異常を受け継ぐ多発性内分泌腫瘍症(multiple endocrine neoplasia: MEN)2型だけである。
2)癌抑制遺伝子の異常
癌抑制遺伝子は、本来細胞の癌化を防ぐ働きをするとされているが、ここに突然変異などの遺伝子異常に加え、遺伝子欠失(loss of heterozygosity: LOH)により両親由来の2本の相同染色体がともに機能を失うと、細胞の癌化に向かうとされている。
3)DNA修復酵素の異常
第3の癌関連遺伝子としてDNA修復酵素の異常による高発癌家系の存在が報告された。1994年、遺伝性非腺腫症性大腸癌(hereditary non-polyposis colorectal cancer: HNPCC)の原因遺伝子としてhMSH2およびhMLH1がクローニングされ、DNA修復異常が大腸癌をはじめとする様々な細胞の癌化に密接に関与していることが明らかにされた。
一方、高発癌性遺伝病として色素性乾皮症、末梢血管拡張性運動失調症、Fanconi貧血、Bloom症候群などが報告されているが、いずれの疾患においても細胞のDNA修復に異常が認められ、癌抑制遺伝子、細胞の増殖調節遺伝子などの異常により癌が発生しやすいと考えられる。
婦人科領域では、卵巣癌、乳癌、子宮体癌(内膜癌)の一部に家族性腫瘍が含まれていることが指摘されており、これらの腫瘍の早期診断には家族歴の情報が非常に重要である。卵巣癌については、母親、姉妹に卵巣癌患者がいる場合の発症危険率は2〜6倍であること、欧米における家族性卵巣癌の頻度は5〜10%であるなどの疫学的事実から、遺伝的背景の関与が強く疑われてきた。卵巣癌の家族内集積の報告は1960年代からあるが、近年その数は増加している。家族歴の診断基準は報告者により若干異なっており、確立したものはないのが現状である。Narodらは、家族歴陽性として、1)第1度、第2度近親者に卵巣癌が1人、2)第1度、第2度近親者に乳癌が2人以上、3)本人に乳癌の既往歴がある、のいずれかを満たすものとし、カナダ、オンタリオ州における卵巣癌450例中71例(15.8%)が家族歴陽性であったと報告している。1980年代後半以降、家族性に発生する卵巣癌の中に、常染色体優性遺伝形式をとるものがあることわかり、その特徴から表2のように家族性卵巣癌(狭義)、家族性乳癌・卵巣癌症候群、遺伝性非腺腫性大腸癌家系に分類される。家族性卵巣癌家系の中には乳癌の発症をみることが多いことから、乳癌卵巣癌家系を別に分類することが多く、さらに卵巣癌、乳癌に限らずほかの悪性腫瘍の集積も多く含む場合には、HNPCC(Lynch症候群 II型)を考慮に入れる必要がある。
現在までに家族性乳癌卵巣癌の原因遺伝子としてBRCA1,BRCA2がクローニングされ4)、家族性卵巣癌家系の約半数にどちらかの胚細胞性突然変異を認めるとされる。欧米では家族性乳癌家系では約45%、家族性乳癌卵巣癌家系では約80%にBRCA1の異常が関与するとされ、日本でも乳癌卵巣癌家系の77%、卵巣癌家系の42%にBRCA1遺伝子の異常が認められた5)。BRCA2に関しては欧米では家族性乳癌家系の約35〜45%に関与するとされ、家族性乳癌卵巣癌家系での変異頻度は10〜25%と低く、さらに家族性卵巣癌への関与はBRCA1ほど高くないと推定されている。日本でもBRCA2遺伝子の変異を示す例は乳癌卵巣癌家系、卵巣癌家系の両者で6.7%と低頻度であった。一般に卵巣癌罹患の生涯リスクは約1.8%とされるが、BRCA1/2 carrierでは16〜30%と異常に高率となることが報告されている。卵巣癌の約10%はBRCA1,BRCA2 carrierに発症し、おおよそ800婦人に1人がBRCA1/2 mutationを保有しているとされる。BRCA1の卵巣癌に対する浸透率は80才までに36%、BRCA2の浸透率はBRCA1より低率であるとされる。
WHO(World Health Organization)は乳房および婦人科臓器に癌を多発する家系として、遺伝子変異を軸に8つの症候群(inherited tumour syndromes)を挙げている6)。(表3)この中から家族性卵巣癌との関連が深い3つの症候群について解説する。
表2 家族性に発生する卵巣癌の分類
表3 家族性に発生する卵巣癌の分類
T.BRCA1症候群
1)疾患の定義
2)頻度
白人全体では1/883、アイスランドのAshkenazi地方に源を発するユダヤ人では1/100、日本人では乳癌患者の1.1%(0.1%〜4.3%)。
3)臨床的事項
4)BRCA1遺伝子
5)予防と対策
U.BRCA2症候群
1)疾患の定義
2)頻度
3)臨床的事項
4)BRCA2遺伝子
13番染色体長腕に位置、27エクソン。BRCA2蛋白(3,418アミノ酸)は胸腺、精巣で高い発現、次いで乳腺、卵巣。DNA組み替え修復に関与する。
5)予防と対策
BRCA1と同様
V.遺伝性非腺腫症性大腸癌(hereditary non-polyposis colorectal cancer: HNPCC)7)
1)疾患の定義
表4 HNPCC国際診断基準
2)頻度
3)原因遺伝子
MLH1(50%)、MSH2(38%)、MSH6(8%)、MLH3(3%)、PMS2(1%)の5遺伝子が同定され、ミスマッチ修復機能に障害が発生。突然変異率が100〜1,000倍上昇し、遺伝子の不安定化、遺伝子変異の蓄積により癌化を起こす。
上記の家族性卵巣癌に接した場合、BRCA1遺伝子などの遺伝子検査を考慮する必要があるが、重要なことは3代前までさかのぼった詳細な家族歴の調査をすることであり、加えて各症例における上皮性卵巣癌の病理学的診断を確実にすることである。遺伝子検査を受けることにより生じる医療上の不利益、不利益に加えて個人の心理的、社会的な不利益についても考慮する必要がある。現在ではこれらの遺伝子診断を商業ベースで行う検査会社も存在し、遺伝子診断が身近なものになったと思われがちであるが、技術的な問題だけでなく倫理的、社会的、法的な問題も伴っており、その実施にあたっては被験者の人権保護が重要である。とくに社会生活における不利益には配慮が必要であり、家族、血縁者に与える影響も大きい。家族性腫瘍研究会の「家族性腫瘍における遺伝子診断の研究とこれを応用した診療に関するガイドライン」、2001年の文科省、厚労省、経済産業省からの「ヒトゲノム・遺伝子解析に関する倫理指針」、2003年の厚労省からの「臨床研究に関する倫理指針」などのガイドラインの遵守は当然のこと、各施設の倫理委員会の審査で承認される必要がある。欧米では1990年代にがんの遺伝子カウンセリングシステムが構築され、実際の医療として実施されている。日本でも最近は遺伝相談窓口を設け、自費診療として遺伝子診断をする施設が増加している。
アメリカ癌学会では卵巣癌のリスク因子をもつ女性に対する治療および検診に関して、表5のようなガイドラインを提唱しているが、わが国においても日本人にとって適切・具体的なガイドラインの作成が必要と考えられる。
BRCA1/2に関しては、盛んに変異のスクリーニングや予防的卵巣摘出の検討がなされているものの、卵巣癌の大多数を占める散発症例においてはBRCA1/2の変異は極めてまれであり10)、BRCA1/2 pathwayの解明、さらに他の遺伝子のBRCA pathwayへの関与の解析が進むことが期待される。それにより散発卵巣癌症例における感受性遺伝子の同定が卵巣癌の早期発見、治療、予防における戦略にも多いに役立つことが望まれる。
表5 卵巣癌家系の人に対する検診・治療のガイドライン(アメリカ癌学会)
文献
1)Lynch HT, Krush AJ. Cancer family "G" revisited 1895-1970. Cancer 27:1505-1519,1971.
2)Li FP, Fraumeni JF Jr. Soft tissue sarcomas, breast cancer and other neoplasma: A familial syndrome? Ann Intern Med 1969,71:745-75
3)Markin D, Friend SH et al.Germ line p53 mutations in a familial syndrome of breast cancer, sarcomas, and other neoplasms Science 250:1209,1990.
4)Miki Y, Swenson J, et al. A strong candidate for the breast and ovarian cancer susceptibility gene BRCA1. Science 266:66-71,1994.
5)Matsushima M, Kobayashi K, Emi M, et al. Mutational analysis of the BRCA1 gene in 76 Japanese ovarian cancer patients: four germ line mutations, but no evidence of somatic mutation. Hum Mol Genet 4:1953-1956,1995.
6)Goldgar D, Stratton MR. Inherited Tumour Syndromes. In "WHO classification of tumours. Pathology & Genetics. Tumours of the breast and female genital organs". Ed. by Tavassoli FA, Devilee P. IARC press, pp336-363,2003.
7)Vasen HF, et al. IGC-HNPCC: New clinical criteria for hereditary nonpolyposis colorectal cancer(HNPCC, Lynch syndrome)proposed by the International collaborative group on HNPCC. Gastroenterology 116:1453-1456,1999.
8)Kashima K, Oite T, Aoki Y, et al. Screening of BRCA1 mutation using immunohistochemical staining with C-terminal and N-terminal antibodies in familial ovarian cancers Jpn J Cancer Res 91:399-409,2000.
9)Aoki Y, Tanaka K. Role of Immunohistochemical Expression of BRCA1 in Ovarian Carcinoma. HANDBOOKS of IMMUNOHISTOCHEMISTRY AND IN SITU HYBRIDIZATION OF HUMAN CARCINOMAS. Molecular genetics, Gastrointestinal carcinoma, and ovarian carcinoma. Ed. MA Hayat, Elsevier Academic Press, Burlington, MA, USA. Pp 339-346,2006.
10)Shibuya S, Aoki Y, Aida H, et al. Mutational analysis of the BRCA1 gene in sporadic ovarian cancer in Japan. Int J Clin Oncol 4:348-352,1999.
著 者 紹 介
琉球大学医学部
器官病態医科学講座 女性・
生殖医学分野(産婦人科)
青木 陽一生年月日:昭和32年10月15日
出身地:長野県 長野市
出身大学:新潟大学医学部 昭和59年卒
略歴
昭和59年3月 新潟大学医学部卒
昭和59年4月 同大学医学部産婦人科入局
平成3年5月 同助手
平成3年11月〜 平成6年10月
ハーバード大学マサチューセッツ・総合病院(MGH)がん研究所に留学
平成9年4月 新潟大学医学部産婦人科講師
平成18年4月 琉球大学医学部
器官病態医科学講座女性・生殖医学
分野 教授専攻・診療領域
婦人科腫瘍
産科婦人科生殖医学その他・趣味等
庭いじり
問題:家族性腫瘍についての記載で正しくないものを選べ。
問題:脳動脈瘤の血管内治療を開頭術による動脈瘤のクリッピング術と比較して正しいのはどれか、2つ選べ。
正解 1)、4)