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「なつかしのインド旅行」

与座一

ハートライフ病院 与座 一

高校の後輩で大学も同じ宜野湾記念病院、仲 地先生からリレーエッセイの原稿依頼がきたの は数週間前であった。普段カルテしか文章を書 く機会がなく、どういうことを書いたらいいの かわからず、また、次の原稿依頼を誰にするの か探すのも大変だと思い丁寧に断ったが、ほか に思いつく人がいないとのことでとうとう引き 受けることになってしまった。徒然なるままに 書いたらいい、学生のころのインド旅行などは どうかとのアドバイスまでいただき、それなら ということで引き受けたのである。

インド旅行は25年以上も前の学生の頃であ りその記憶はすでにほとんどなくなっていた。 記憶を呼び戻そうとその当時の日記を探した が、その間4回の引越しがありどこにあるのか さえまったく見当がつかなくなっていた。かす かな記憶をたよりに文を進める羽目になった。

沖縄の、しかも離島の宮古島で育った私は、 その当時の国費制度を利用して青森に行くまで 県外に出た事は一度もなかった。もともと旅行 は好きなほうで国内の九州や北海道、東北など 夏休みなどを利用してでかけた。ある日友人の H君よりインドに行かないかとの話があった。 どうしてインドなのかと聞くと、4大文明のひ とつインダス文明発祥の地、ガンジス川で沐浴 がしたいなど立派なことを言っていたが、実は まず物価が安いこと、飛行機も格安チケットが あるというのが本音であったようだ。

日本からマニラ経由でインドのボンベイに着 いたのが確か午前4時か5時ころであった。夜 明け前で空港のターミナルを出ると非常に独特 の雰囲気というか匂いに包まれた。

飛行機のチケットが行きと帰りが決まってい たので、正直なところ帰りの便まで3週間、ど うやって過ごそうかと思った。現在のパックツ アーのようにホテルも決まってなければ、交通 手段やスケジュールなども詳しく決まったもの はなく、ぶらりと一人旅のような感覚であっ た。ボンベイに着いた後、数日間は青森から一 緒の友人のH君と、インドで一緒になった日本 人の2人が加わり4人で行動したが、その後は それぞれ一人旅となった。

H君はアフガニスタンに行ってしまった。そ の当時アフガニスタンはソ連軍の侵攻前夜とも いうべき不穏な情勢であった。私はボンベイか らニューデリー、カルカッタ、内陸部の通称ピ ンクシテイーなどを回った。ある朝、薄暗い駅 に降り立ち食事を取りだすと一瞬のうちに真っ 黒くなった。ハエが食べ物の表面に集まり止っ たのである。それを払いのけながら食べなくて はならないほど空腹であった。ガンジス川をボ ートで遊覧したが広大な川の岸辺には多数の人 が沐浴をしていた。しかし、水は決してきれい ではなかったし、岸辺から少しはなれたところ では人骨らしき頭蓋骨が浮いていた。また、あ る駅では息も絶え絶えの人が座っていたが、誰 も声をかける人はいなく病院へ搬送する気配も なかった。日本ではほとんど目にかかることの ない光景であったがこれが日常の光景なのかな とおもいながら.....。

ボンベイからデリーに行く途中列車事故があ ったらしく(あったらしいというのは日本と違 って車内のアナウンスがほとんどなく乗客は何 で止まったのかわからない)2日近くも線路で 立ち往生したが乗客はあまり文句を言っている ような気配はなかった。

ボンベイやデリーは日本の都会同様人が多 く、車やバイク(当時はなぜかバイクが多いと いう印象があった)のクラクションが鳴り響く 喧騒としたところもあったが総じてゆっくりと 時間が過ぎていく国という印象であった。

日本を離れる前に読んだインドについてのガ イドブックのなかでこんな一節があった。

“悠久なる大地、まるで時間が止まっている ような錯覚を覚えると........”

日本で言う神社仏閣を見て回ったが、世界的 にも有名なタージマハール廟はすばらしかっ た。ようやく帰りの便までインドで過ごした が、インドを離れるときはどういうわけかもっ といたいと思った。

一方、今の自分はどうかというと、毎日書類 記載に追われ相変わらず忙しい毎日である。

以前と比べ勤務医の一人当たりの仕事量は明 らかに増えている。退院サマリーもきちんと書 かない(最近はワープロ記載となっている)と 図書病歴室より記載不十分で戻されてくる。あ るいは高額レセプトの症状詳記、各種診断書、 医療意見書等々。

業務に忙殺される日々、ふっと一息ついたと きまたインドに行きたいなとふと思う。

★リレー状況

−平成16年以前掲載省略−
42.宮城茂先生(独立行政法人国立病院機構 沖縄病院)Vol. 41 No. 2
43.祝嶺千明先生(しゅくみね内科)Vol. 41 No. 3
44.宮城裕二先生(みさと耳鼻科)Vol. 41 No. 4
45.親川富憲先生(おやかわクリニック) Vol. 41 No. 6
46.折田均先生(ハートライフ病院)Vol. 41 No. 7
47.湧田森明先生(わくさん内科)Vol. 41 No.9
48.宮良球一郎先生(宮良クリニック)Vol. 41 No.10
49.蔵下要先生(浦添総合病院)Vol. 41 No.12
50.樋口大介先生(独立行政法人国立病院機構 沖縄病院)Vol. 42 No.3
51.古謝淳先生(南山病院)Vol. 42 No.5
52.城間清剛先生(城間クリニック)Vol. 42 No.7
53.野原正史先生(のはら元氣クリニック) Vol. 42 No.10
54.久貝忠男先生(沖縄県立南部医療センター・ こども医療センター)Vol. 42 No.12
55.米田恵寿先生(沖縄県立宮古病院) Vol. 43 No.3
56.仲地広美智先生(宜野湾記念病院) Vol. 43 No.6