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糸数健先生旭日双光章受章祝賀会

常任理事 真栄田 篤彦

糸数健先生と瑠美子夫人

糸数健先生と瑠美子夫人

糸数健先生叙勲受章おめでとうございます。

この度、糸数健先生が本県の保健衛生の向上 発展に大きく貢献されたご功績により、旭日双 光章受章の栄に浴されました。

本会では先生のご功績を讃え、今後益々のご活 躍とご健勝を祈念すべく旭日双光章受章祝賀会 を、去る6月20日(水)、沖縄ハーバービューホテ ルにおいて開催しましたので報告いたします。

先ず、主催者を代表して宮城会長より挨拶が行 われ、糸数先生の永年のご労苦に対し敬意と謝意 が述べられると共に、本県における喫緊の課題で ある産科医不足、助産師不足問題の解決のため に、引き続きその卓越したご見識によるご指導、 ご助言を賜りたいとのお願いがありました。

続いて、那覇市医師会の友寄英毅会長から那 覇市医師会役員21年、日本産婦人科医会役員 38年間務められた糸数先生の功績が紹介される と共に、来賓祝辞として伊波輝美沖縄県福祉保 健部長より、糸数先生の永年に亘る保健・医 療・福祉の向上に貢献されたご労苦に対する労 いの言葉が述べられました。

その後、糸数先生から来場者に対するお礼と あいさつが述べられ、新垣代議員会議長の音頭 による乾杯の後、懇親の場へと移りました。

今回の受章祝賀会には、これまで以上の多く の先生方のご参加がありました。これも糸数先 生のご人望の厚いことの表れだと思います。那 覇市医師会に於いて私自身が初めて理事として 就任した際に、新生児ネットワーク事業を立ち 上げる提案を糸数先生より頂きました。私の市 医師会理事としての初仕事でした。新生児で異 常出生した際の緊急の連絡網の構築でしたが、 NICUを持つ病院から「新生児空床状況報告」 を毎日、那覇市医師会に報告して頂き、産科・ 消防署救急隊との搬送連携を図ってきました が、早11周年を迎えています。

今日では、「沖縄周産期ネットワーク協議会」 事業として、乳幼児死亡率・新生児死亡率の改 善に貢献しております。糸数先生の沖縄県にお ける貢献度の高さが伺われます。

糸数先生はご夫人と一緒に休日はゴルフをエン ジョイしております。いつまでも人生に、ご趣味 にエンジョイし、又ご健康を維持して、私たち後 輩を御指導して頂きたいと節に願っております。

糸数健先生業績紹介:友寄英毅那覇市 医師会長
友寄英毅那覇市医師会長

昭和34 年に東京 医科大学を卒業後、 日赤中央病院産婦 人科等に勤務され、 昭和4 1 年に帰郷。 その後、沖縄赤十 字病院産婦人科勤 務を経て、昭和43 年に糸数病院を開業され、今日まで38年余に 亘り地域医療の推進に寄与されている。

(1)那覇市医師会役員としての功績

昭和50年那覇市医師会理事就任を皮切りに、 昭和56年より副会長、平成6年より会長を歴任 され、21年間に亘り那覇市医師会の牽引者とし て会務運営、事業推進に尽力され、県下の保 健・医療・福祉の向上発展に大きく貢献された。

役員在任中、糸数先生は、「各種健診事業」 「臨床検査センター運営」「看護学校運営」「学 校保健衛生事業」「予防接種事業」「救急医療」 「健康教育」「在宅医療」等の推進に力を注が れ、いずれの事業も大きな成果を収めながら現 在に引き継がれている。

(2)日本産婦人科医会沖縄県支部役員としての 功績

昭和44年に日本産婦人科医会沖縄県支部の 理事に就任、その後副支部長、支部長を歴任さ れ、今年3月に支部長を退任するまでの実に38 年間に亘り、県内の母胎管理及び女性の健康の 増進に尽力した。特に、がん対策に奔走され、 昭和46 年には全国でもいち早く「子宮がん」 「乳がん」の併行集団検診の実施に尽力される と共に、受診率の向上、早期発見・早期治療の 啓発活動に努め、本県のがん対策功労者のお一 人である。

(3)日本臨床細胞学会沖縄支部設立に関する功績

がん検診のさらなる精度管理向上を目指し、 日本臨床細胞学会沖縄支部設立の中心的役割 を担い、昭和59年9月の設立と同時に支部長に 就任し、平成6年8月まで10年間支部長として、 学術研修会や症例検討会の開催等支部の活動体 制を構築し、沖縄の細胞診検査の向上に大きく 貢献した。

(4)乳幼児死亡率・新生児死亡率の大幅な改善 に導いた功績

帰郷後の沖縄赤十字病院在職中から積極的に 周産期医療に取り組んでいたが、平成8年の南 部地区周産期ネットワーク協議会(現沖縄周産 期ネットワーク協議会)設立に際しては、顧問 に就任され産婦人科医と小児科医との連携構築 に尽力され、新生児空床情報の収集・提供体制 を確立し、沖縄の新生児、乳幼児死亡率の改善 に著しく貢献した。

伊波輝美沖縄県福祉保健部長祝辞
伊波輝美沖縄県福祉保健部長

糸数健先生の旭 日双光章受章の祝 賀会が開催される に当たり、ごあいさ つを申し上げます。

糸数先生、この度 の栄えある受章、誠 におめでとうござい ます。心よりお祝い申し上げます。

糸数先生におかれましては、医療施設の不備 や医師不足という厳しい状況にあったアメリカ 統治下の昭和43年に産婦人科医院を開業され、 地域の産科医療に貢献されるとともに、子宮ガ ン・乳ガン集団検診の実施に取り組み、本県の 子宮ガン・乳ガン対策にも尽力されました。

また、那覇市医師会の執行部役員に就任され ると、地域の保健・福祉活動にも積極的に取り 組まれ、在宅医療に関しては、寝たきり老人訪 問診療に全面的に協力し、予防接種事業におい ては各種予防接種事業に那覇市医師会会員を派 遣するなど地域の社会福祉の向上と児童の健全育成に尽力されました。

糸数先生のこのような取り組みにより、多く の尊い生命が救われただけでなく、その後、県 民の早期発見・早期治療に対する意識を高揚さ せ、他の疾病の予防医療活動にも効果的な影響 を及ぼしたものと確信しております。糸数先生 の保健、医療、福祉の向上に対する多大な貢献 に対し、心から感謝申し上げます。

さて、本県の保健医療の推進につきまして は、復帰直後の医療従事者の養成不足や医療施 設の未整備等、数多くの問題を抱える中、県民 の命と健康を守るため、県医師会の多大な御理 解と御協力を得ながら、その改善に努めてまい りました。

一方、急速な高齢化社会の進展や疾病構造の 変化などに伴い、県民の保健医療に対する要求 も多様化しており、県民一人一人の立場に立っ たきめ細かな保健医療の提供が求められている ことから、県医師会の先生方には、今後とも御 支援・御協力をよろしくお願い申し上げます。

結びに、糸数先生におかれましては、今後ま すますの御健勝とご活躍を祈念いたしまして、 お祝いの言葉とします。

糸数健先生謝辞
糸数健先生

本日は私の受章の祝いに、お忙しい中、ご出 席いただき心からお礼申し上げます。さらに、 今回の褒章にご尽力頂き、本日の祝賀会を企画 され、そして身に余るご祝辞を頂いた宮城県医 師会長はじめ県医師会の関係者の方々、そし て、過分な業績紹介をして頂いた友寄那覇市医 師会長、また、公務ご多忙の中ご出席頂き、ご 祝辞を賜った伊波輝美県福祉保健部長に衷心よ り感謝申し上げます。

昨年の秋でしたか、受章についての打診は県 医師会からございました。しかし其の内容を確 認する術も知らないまま、今年4月の始め頃に なって、突然このような立派な章を授かること を伺い、困惑いたしましたが、ときすでに遅 く、もたもたしているうちに、事態は予定通り 進行し、5月1日知事公舎にて受章式、5月11日 皇居において陛下に拝謁となりました。当初、 すっきりしない気持ちの日々が続きました。果 たしてこの章に値するような仕事をしたのか振 り返えるとき、忸怩たる思いをしないでもあり ませんでした。しかし考を改め、まだまだ不十 分だからお前はもっと頑張れという激励と受け 止め、健康の許す限り、これからも皆様のご指 導を仰ぎながら、地域医療に貢献する所存で す、とくに私の専門としています産婦人科医療 は様々な要因が重なり、ご案内のとおり現在、 危機的状況にあります。産婦人科医療の崩壊を 防止するため、役に立つことがあれば手足纏に ならない範囲で役立ちたいと考えています。

昭和41年に東京から帰ってまいりまして、誘 われるまま、医師会の集まりに参加するように なりました。当時の県医師会長の稲福全志先生 や役員の先生方が、貧困な沖縄の医療を憂い、 私欲を捨てて其の改善に取り組んでおられる姿 が印象的でした。一方、産婦人科の先輩でもあ った赤嶺正治先生や本日駆けつけて頂いた多く の先輩が真摯に医療に取り組まれておられる後 姿を拝見し、心に焼きつくものがありました。 とくに組織の中で、直接ご師事頂いた花城清喬 先生、稲福全三先生、上村昭栄先生には医療に 留まらず、人生すべてについて勉強させていた だきました。

今回の褒章は、私個人に授かったものではな く、本日おいで頂いた皆様はじめ、一緒に地域 医療に取り組んだ会員を代表して頂いたものと 考え、今後も皆様のご指導ご支援を頂きながら、 微力ではありますが地域医療に貢献するつもり です。これからもよろしくお願いいたします。

簡単では御座いますがご来場の皆様のご健康 を祈念し私のお礼のあいさつと致します。本日 は有り難う御座いました。