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伊平屋島自転車一周の旅

玉井修

曙クリニック 玉井 修

伊平屋の地図

伊平屋の地図

本格的なMade in USAのロードレーサーを 買って、自分で少しずつチューニングを施して きた。ドロップハンドルは高速巡航には向いて いるが、比較的街中で走らせることが多い場合 はあまりに前傾姿勢が強すぎて疲れるし、前屈 みの姿勢は体の柔軟性が無くなり関節が硬くな ってきたこの年になると安全確認の時にさえ首 がつりそうになるため、ストレートハンドルに 変えた。元々がロードレーサーなので車重は 8kgほどしかない非常に良い自転車である。こ れに前後ともフランス製のミシュランタイヤを 履かせてよりグレードアップした。もちろんチ ューブもミシュラン製にして自分で組み込ん だ。自転車屋さんが出来そうなほど工具も買っ てきて、空気圧などのチューニングも怠りな く、グローブ、ツーリングパンツなどの身につ けるアイテムもなかなか凝ってみた。自分でコ ツコツと手を加えた自転車は完璧な仕上がりで ある。5月の連休に伊平屋島の村役場にいる高 校の同級生と伊平屋島一周自転車ツーリングを 計画し、旧交を温めつつ、命の洗濯をする予定 であった。連休までにはしっかり自分の体力も つけ、酒を断ち、万難を排して伊平屋入りの予 定であった。しかし、結局は何の練習もでき ず、連休前には友達と採点機能付きのカラオケ スナックで射幸心に煽られるまま、950点を目 標に飲んで歌いまくり、ほとんど声がつぶれ、 頭がボーッとしたまま5月3日の出発の日を迎 えた。

伊平屋行きのフェリーは午前11時に今帰仁 の運天港から出ている。その時間までに運天港 まで着かなくてはいけない。5月3日はまず、6 時過ぎに起床し、自転車をワゴンRに積み込む ため分解する事から始めた。ロードレーサーは 前輪が簡単に外すことが出来、ワゴンRの様な 軽自動車の後部座席に積み込む事ができる。一 路沖縄自動車道路を北に走り、快適に許田イン ターチェンジまでやって来たら、なんと朝の8 時だというのに1kmを越える渋滞である。運天 港の近くでソバでも食べようと目論んでいた私 は、もしかしたら11時までに運天港にたどり着 かないのではないかという不安に駆られた。ラ ジオで交通情報を聴いてみると、北部は自動車 道路を過ぎてもあちらこちらで渋滞しているら しい。自分もその一員だというのも忘れて、ど うしてどいつもこいつもゴールデンウィークに 北部観光へ殺到するんだと、憤っていた。

水も飲まず、トイレにも入れず、運天港に着 いたのは10時少し前であった。運天港の周囲に はパーキングがいくつもあり、1泊800〜1,000 円程度で預かってくれる。私は港のすぐ近くの パーキングに入り、そこで自転車を組み立て、 荷物のリュックを背負い、運天港に入っていっ た。予想はしていたが、運天港は人と自動車で 混んでいた。伊平屋にはフェリー伊平屋という フェリーが1日2便出ている。車ごと島に渡る ことも可能で、約30台はいっぺんに乗船でき る。港の発券所でフェリー往復券¥4,530と自転車の航送賃¥1,960を支払う。自動販売機で 栄養ドリンクを買って飲み、飢えを癒しつつ、 空を見上げれば空気の澄んだ快晴である事に気 がついた。朝からドタバタして交通渋滞に巻き 込まれ、イライラしていると今日の良き日を満 喫することなく午前中を過ごしてしまうところ であった。ぽかぽかした陽気の中、太陽の下で しばし読書などをしていると、間もなくフェリ ー伊平屋が入ってきて、見事な手際の良さで接 岸し、船から沢山の車と人が下船してきた(写 真1)。

写真1

写真1;運天港に接岸したフェリー伊平屋

下船が終わると、すぐに乗船が始まった。フ ェリー伊平屋は30台の乗用車と私の自転車を 積み込んで定刻の11時に今度は伊平屋島に向 かって出航した。フェリーはほとんど満席で、 自転車の積み込みのためほとんど最後に乗船し た私は伊平屋までの1時間半の間ほとんど立ち っぱなしであった。デッキに出ると波穏やか で、日差しは柔らかく、風が気持ちよく立ちっ ぱなしの苦痛などは感じなくて済んだ。むし ろ、この方が良かったとさえ思った。PHSの愛 用者である私は、伊平屋でPHSが使えない事を 知っていた。運天港から遠ざかると、程なく PHSは圏外の表示が出て、この社会から完全に 切り離された気持ちがした。携帯電話でいつも 誰かとつながっているという不思議な感覚はい つの間にか、圏外表示への心細さをもたらすよ うになっている。私自身も立派な携帯電話依存 症の様な気がする。

ほとんど揺れることもなく伊平屋島に到着し た(写真2)。伊平屋港のターミナルは美しい瓦 屋根が印象的であった。その後ろには虎頭岩とらずいわ という岩山がせり出している。空は青く、少し黄 砂でけむっていた。手際よくフェリーが接岸す ると、今度は一番最初に下船できた。自転車に 乗りながら伊平屋の土を踏んだ。高校の同級生 が迎えに来ているはずだ、と思ってあたりを自 転車で探してグルグル回るがそれらしい人は居 ない。おかしいなと思っていると、突然お腹の 少し突き出た、メタボリックらしき男性が私に 声をかけてきた。おおお!東恩納君。どうして こんなになっちゃったの?私の知っている東恩 納君は駅伝選手で、ガッチリした、赤銅色の好 青年だったはず。高校の同級生の東恩納君は私 と一緒に自転車ツーリングをしようと自転車に 乗って来ていた。しかも空気の抜けた、整備不 良気味のマウンテンバイク。これじゃ全然私に ついてくることはできないよ、等と心では哀れんでいた。後に大変なしっぺ返しがやってくる 事も知らずに(写真3)

写真2

写真2;伊平屋港ターミナル、右に虎頭岩(とらずいわ)が見える

写真3

写真3;高校の同級生東恩納君と私

とにかく、お腹が空いていたので港の中のレ ストランで腹ごしらえをする事にした。共通の 友人の消息やお互いの近況を語りながらお昼ご 飯を終え、まずは荷物を置くために、ほど近い ホテルにチェックインした。1泊朝食付きツイ ンのシングルユースで¥5,500である。冷房も バス・トイレも完備され、快適な部屋に荷物を 置き、身軽になった私は少し太めになった同級 生と伊平屋一周ツーリングに出発する事にし た。時刻は午後2時過ぎ、今日は西回りコース で、1周約39kmの伊平屋島をゆっくり走れば 夕方あたりには南端の米崎海岸に到着し夕日を 見る事ができるはずであった。

ホテルから北に向かって、快適に自転車を走 らせ、先ほど着いた伊平屋港を右手に見ながら 10分ほど走ると東恩納君が自転車を止めて、こ の虎頭岩からの景色が絶景なので登ろうと言 う。トラ..ズ...?かなり不安に感じながらもそ の岩山に登る事にした。自転車では途中の休憩 所まで急な坂を一気に登る、かなりの上り坂 で、いきなり大殿筋が痙攣しだした。休憩所で 自転車を駐輪すると、そこからは岩山を徒歩で ぐんぐん登る。日頃の不摂生のため、全くヤワ になった心肺系がすぐに悲鳴を上げた。更に腓 腹筋が痙攣を生じ、頂上で眼下に広がる前泊の 集落を撮影している時はフラフラで、ほとんど 頭は低酸素状態であった(写真4)。少し休もう としたが、あまりに暑く、さきほど駐輪した休 憩所まで足場の悪い岩山を下った。ほとんど休 む事もなく次の目的地へ行こうとする東恩納君 に私は必死で声をかけた。「吐きそうだ、少し ここで横にならせてくれ!」。体中の筋肉が痙 攣を起こし、心臓はバクバクいって今にも死に そうだった。10分ほど横になれば気分も良くな ると思ったら、結局その場を1時間動けなかっ た。情けない、メタボリックだの、整備不良だ のと思っていた東恩納君に全くかなわない。聞 けば東恩納君は今でも腹筋と背筋を1日150回 欠かさないとのこと、出ていると思ったお腹 は、実は腹筋だったのか...駅伝選手だった彼の 基礎体力は衰えたとは言え私の遠く及ばないも ので、今更ながら自分の体力の無さを痛感し た。日頃から運動はやらないとやっぱりダメな のですね(写真5)。

写真4

写真4;虎頭岩頂上から前泊集落を臨むが、頭はフラフラ

写真5

写真5;岩のぼりでグロッキーになった私

余程、今日はこれでホテルに帰って休もうと 言おうとしたが、東恩納君は自転車に跨りニコ ニコしながら待っているので結局言い出せず、 予定を大幅に遅れて1時間も休憩したあと一応 北に向かってもう一度走り出した。ゆっくり走 っていると天然記念物の 念頭平松にんとうひらまつ が見えてき た、ここで記念撮影をしていると、気分が良く なってきた(写真6)。この調子なら何とか行け そうである。クマヤ洞窟を過ぎ、島の北端、久 葉山にやってきた。ここでも東恩納君は、ここ の灯台からの景色が雄大なんだと盛んに登坂を 勧める。私は先ほど大変な目に遭っているので躊躇したが、写真展に出品する写真を撮る為に 登坂を決行した。しかし、ここもまた更に険し い坂が続いた。自転車を押しながらの登坂で、 この曲がり角を過ぎれば直ぐだよ、と言われて 曲がり角を曲がると更に遠くにまたもう一つ曲 がり角が見える。いくつかの曲がり角を朦朧と して曲がると東恩納君が手招きをしている。そ こで振り返るとそこには美しい海岸線と、遠く に見える山の稜線がいくつも重なり、さらに雄 大な海と雲一つ無い青空がどこまでも続いてい た(写真7)。

写真6

写真6;念頭平松の前、少し気分は良くなっていた。

写真7

写真7;久葉山灯台への登坂!実は立っているのがやっと

久葉山を下り、伊平屋島の北端を廻って西海 岸に入ると、風が強く、民家が少ない。伊平屋 島は西海岸と東海岸の景観が全く違う。西海岸 はどちらかというと寂しいイメージで、風が強 く、切り立った岩山があり、人がほとんど居な い。とっくに体力の限界を超えていた私は恐る 恐る今どの辺なのかを尋ねると、やっと北半分 回って中間地点なのだそうである。この調子で は夕日を見るどころか、夜間走行になりかねな い。夜間は自転車にとって、とても危険である。 私は今日はここで一旦半周で終わり、あしたの 午前中に南半分を回ろうと提案し、東恩納君も 了承してくれた。私たちは島の真ん中を突っ切 ってホテルのある島の東側に出た。小学校から カラスの歌が流れ、外で遊んでいる子供が居た らみんなで声をかけて帰宅させましょうとアナ ウンスしている。私たちの子供の頃はこの様な アナウンスもごく普通にあったように記憶して いる。伊平屋にはそんな私たちが忘れかけてい る子供の頃の良き時代の原風景が残っていた。 いつの間にか子供たちの深夜徘徊が日常化し、 大人の集う居酒屋に夜の11時頃まで子供のうろ つく時代になっている。これを異常と思わない 自分がやはりおかしくなりつつあるのだと認識 させられた。私はホテルに着いてシャワーを浴 びると、東恩納君と地元の居酒屋に出かけ、そ こで近海魚の煮付け、特産泡盛の照島、貝の和 え物や味噌煮をたくさん食べた。ひどく疲れた 体は、ホテルに帰ると直ぐに眠りに落ちた。

翌5月4日も快晴である。ホテルでの朝食は 伊平屋特産の白米が美味しい。伊平屋には多く の田んぼがあり、沖縄本島ではまず見かけない 水田の風景が広がっている。9時に待ち合わせ の東恩納君と、まずはホテル近くにある伊平屋 の診療所を訪ねる。県立北部病院附属伊平屋診 療所である。月に3〜4件はヘリコプター急患 搬送をお願いするそうで、前日お酒を飲みなが らやったヘリコプター急患搬送に関しての話を 思い出した。島の人間からしてみれば、ヘリコ プターが飛んできて、ドクターが添乗して貰え ればそれにこしたことは無いが、一番困るのは 何の手だても無くなる事だと言われた。何か次 の手段、次善の策があれば島民からすれば大変 助かると言われた。離島医療を多く抱える沖縄 の課題もここに見える。

さて、伊平屋診療所を過ぎ、前日にショート カットした道に戻って西周りで島の南半分を回 るコースに入った。快適に走り、野甫大橋を渡り野甫島に足を伸ばす。そこでは特産の塩作り が行われ、もずく養殖、アーサ養殖の浮きがエ メラルドブルーの海に穏やかに漂っていた(写 真8)。

写真8

写真8;野甫大橋を気分良く走る

野甫を過ぎ、東海岸に入るとゴールはもうす ぐである。2日目は快適そのもので、2日かけて 一周39kmの伊平屋島を完走した。午前11時に はホテルに到着し、預けてあった荷物を受け取 り伊平屋港に向かった。晴天に恵まれ、旧交を 温め、うまい食事をし、命の洗濯をし、離島医 療について考え、青少年の健全育成について考 えさせられた。そして、日頃の不摂生により衰 えつつある自分を知り、日頃の運動の大切さを 再認識させられた。午後1時のフェリーに乗り 込む前、お互い今後の健闘を誓い合って東恩納 君とガッチリ握手をした。お互い、死ぬまで一 生懸命生きていこうね(写真9)。

写真9

写真9;青い海と青い空、聞こえて来るのは波の音

2日間の過酷なツーリングと往復の船旅、更 に長距離運転を終えて那覇に着いたのは夕方 で、疲労困憊した体は汗と潮でベトベトであっ た。自宅でシャワーを浴びるとお尻が痛い。そ っと自分でDigital examinationしてみると7 時の方向に立派な痔核が出現していた。余りに 過酷な今回の旅を今更ながら思い知り、そっと 強力ポステリザン軟膏を塗布した。