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沖縄県立八重山病院院長 伊江 朝次先生

伊江朝次先生
P R O F I L E
昭和49年 千葉大学卒業
昭和49年 県立中部病院研修医
昭和52年 県立中部病院外科医師
昭和54年 県立八重山病院外科医師
昭和55年
県立中部病院外科医師
平成4 年 県立八重山病院副院長
平成5 年 県立中部病院呼吸器外科部長
平成11年 県立八重山病院院長

信頼を得るには何十年もか かるが、信頼を失うのは瞬時 である。

Q1:県立八重山病院の理念をお教え下さい。ま た先生が院長として個人的に心がけていること がありましたらお話いただけないでしょうか。

沖縄県立八重山病院の前身は昭和24年7月に 設立された「慈善病院」で、病床が十床余りの 結核治療が主体の小さな病院でありました。そ の後、病院の新築、病棟の増改築を繰り返し、 現在では届け出病床数が350床となり、一般診 療、感染症、結核医療、精神医療を地域に提供 する地域中核病院となっております。名実とも に八重山医療圏の5万人余の住民の健康と生命 を守る基幹病院として地域住民に親しまれてお ります。

県立八重山病院の理念として以下のことを掲 げています。

八重山医療圏に科学的根拠に基づいた医療を 提供します。

1)安全(Safety)「安全」な医療を提供します

2)安心(Security)「安心」でやすらぎのある 環境を提供します

3)サービス(Service)「患者中心」のサービス に努めます

4)満足(Satisfaction)「満足の頂ける」医療を 提供します

以上の4つのSであります。

日頃から心がけていることは「信頼を得るに は何十年もかかるが、信頼を失うのは瞬時であ る」ということを肝に銘じて仕事をしています。

Q2:逼迫している医師の地域偏在の問題、院 長として訴えたい相手、内容をお話下さい

沖縄県における医師の地域偏在は今に始まっ た問題ではありません。過去何十年もの間、宮 古、八重山の県立病院の院長はこの問題で院長 職務の大半を費やしたと言っても過言でありま せん。このところ離島の産婦人科や脳外科診療 の休診の危機で各方面から関心を寄せられ、幾 つかの国や県がタイアップした医師確保対策が 提案され、実施されているようですが、まだま だ完全に問題が解消するまでには時間が掛かり そうです。離島・へき地の医師確保問題は永遠 の離島医療の宿命的な問題であります。またこ の問題をさらに困難にしたのは近年の女性医師 の増加と、卒後臨床研修制度の必修化でありま す。この2点が地域医療を行っている市中病院 への主たる人材の供給源であった大学病院の人 材派遣能力を根底から揺さぶったと言っても過言ではないと思います。さらに若い医師達がき つい診療科を敬遠するようになり、外科系医師 の志望者の減少が起こっています。また産婦人 科学会の新入会員の6割を占めると言われてい る女性医師の産科診療への不参加、産科医師の 労働過重の軽減を図るために産科医療の集約 化・拠点化が実行されたために今日の産婦人科 診療問題が起こっていると思われます。県立八 重山病院の脳外科診療の休止と産婦人科診療の 継続の危機もその延長にある問題と考えており ます。現在、何とか県外の民間病院の支援と県 立中部病院の研修出身医師と他の県立病院の支 援を受けて産婦人科診療を継続しておりますが、 少ないスタッフで毎日が綱渡りの状態の診療が 続いております。この産婦人科問題については 県立病院が主体となってやることは論ずるまで もありませんが、乏しい人材を有効利用するた めにも沖縄県内の全産婦人科医師が自分達の直 面する問題として真剣に正面から取り組んでい ただきたいと御願いする次第であります。また 行政や、医療機関の開設者には女性医師の増加 に対する政策的な配慮や、環境整備を早期に実 行に移していただき多くの女性医師が結婚・妊 娠・出産後も働けるような環境を提供できるよ うな条件整備を御願いします。今や女性医師の 積極的な雇用・登用なしには医師の地域偏在・ 診療科偏在の問題の解決は困難であります。

Q3:県立病院の医師の過重労働の問題、県立 八重山ではいかがでしょうか

この数年、八重山医療圏内では新規の医療機 関の開設が増えており、それに伴う病診・病々連 携による役割分担が進み、県立八重山病院は外 来患者、入院患者ともに減少しております。また これまで本院が担っていた住民検診の二次検診 や、人間ドックも中止し、本院でやらなくてもい い業務を民間医療機関に移譲し、本院の役割を 急性期医療を中心にして医療体制の強化を図っ ております。その結果、県立八重山病院において は外来患者、入院患者ともに減少してきており、 職員の業務負担も幾分軽減したのではないかと考 えております。しかしながら二次医療圏の基幹病 院として、365日、24時間フル操業で医療サービスを提供している本院の業務は若い医師には何と か持ちこたえられても四十代後半以上の医師にと っての当直勤務は体力的にも辛いものがあり、中 堅医師の病院離れの要因となっているようであり ます。現在、県立八重山病院の常勤医師は39人 で、管理職の3人を除いた36人の医師で病棟、救 急室、ICU当直勤務をしておりますが、時間外の 急患は石垣市立夜間救急診療所の閉鎖に伴い増 加傾向であります。今後の課題は当直翌日の業務 をどのようにすれば改善できるかを考えておりま す。その対策として診療体制を主治医制からグル ープ診療制へシフトすることで少しでも労働過重 の軽減に繋がるのではないかと考えております。 まずその布石として一人体制の診療科の解消に努 めたいと考えております。

Q4:新臨床研修制度が始まって4年目を迎え ます。変化はございましたか

良い変化:新臨床研修制度の施行以前は八重 山医療圏に来る研修医は県立中部病院から県立 八重山病院へ短期派遣で来る後期研修医だけで した。その派遣は研修というよりも実態は県立 八重山病院の人材の不足を補う業務応援であり ました。新臨床研修制度の施行以後は初期研修 で本院付属診療所での研修を希望する研修施設 が県内・県外を問わず増えており、現在では常 時、本院と本院付属の4診療所のすべてで初期 研修が行われています。特に付属診療所におけ る臨床研修は研修医に人気があり、このまま離 島での臨床研修体験者が増えていけば今後の離 島へき地診療所の医師確保に大きな追い風とな るのではないかと期待されます。

悪い変化:直接的に本院の診療機能に支障が でたのは大学の人出不足による医師派遣の停止で あります。それは県外の大学からの医師派遣によ り診療が行われていた脳外科と産婦人科の診療で あります。産婦人科診療は何とか人材を確保して 休診することなく継続しておりますが、脳外科診 療は一昨年の8月に脳外科医師の派遣が中止され て以来、本院での脳外科診療は休診となり、現在 も休診が継続しております。しかしながら完全に 島から脳外科医師がいなくなった宮古医療圏と異 なり、幸いにも本院の脳外科診療の中止と同時に八重山医療圏内では手術ができる民間医療機関が 開設され、脳外科診療が中断することなく継続さ れていますが、多発外傷患者や、複数の診療科の 治療が必要な合併症を持った患者の診療を行うた めには最低限、本院に1人の脳外科医師を確保す る必要があると考えております。

Q5:琉球大学からの派遣体制はどのようにな っているでしょうか。また他の大学との連携が あればお教え下さい。

大学からの本院への医師派遣は琉球大学と神 戸大学の2大学に協力していただいております。 地元の琉球大学からの医師派遣は整形外科3名、 第一内科2名、麻酔科2名、皮膚科2名、小児科1 名、眼科1名の合計11名であります。神戸大学 からの精神科の4名を合わせて大学からの派遣医 師は合計15名で本院の全医師の38%を占めてお ります。今後の大学からの医師派遣は大学の医 局と各病院との個別交渉でするのではなく県当 局と大学当局との交渉で地域医療に適切な人材 の確保ができるようにすべきであると考えます。

Q6:琉球大学医学部の「離島医療人養成教育 プログラム」が平成18年度から開始されまし たが、県立八重山病院ではどのように関わられ ていますか。

平成17年の6月から7月にかけて本院でも4年次 の学生の病院研修を受け入れました。毎週6名づ つ6週に分けて36名の学生の病院研修を実施しま した。これまでも琉球大学医学部の4年次学生の 一部が離島の保健所での公衆衛生実習の一環で1 日だけ本院で離島医療について講義することがあ りましたが、6週間にわたって病院の中で研修さ せたことは初めての試みであり、職員一同、新鮮 な気分で研修指導に取り組みました。離島・へき 地医療の現実を少しでも多くの学生に認識しても らうことは今後の離島・へき地医療の人材の安定 供給のためにも役立つと考えております。

Q7:離島・へき地医師確保対策事業が議論さ れています。院長として提案したいこと等があ りましたらお聞かせ下さい。

沖縄県の医師確保対策は昭和30年代から昭和60年代にかけては沖縄の本土復帰前からあ った国費留学制度による医師養成事業と県立中 部病院における卒後臨床研修事業によって支え られていたことは紛れもない事実であります。 そして同時に離島へき地の診療所や、地域中核 病院の医師不足と専門的医療を確保するために 厚生省派遣医師制度による医療技術援助もなさ れていました。八重山の地においては昭和40年 代に厚生省派遣医師による沖縄初の手術が幾つ か行われ、国、県が協力して少ない医師を効率 的に配置し、離島・へき地医療を行っていまし た。そして琉球大学医学部の開設により昭和50 年代の後半から大学医局の協力の下に耳鼻科、 眼科が開設され、平成元年には脳外科の開設と 琉球大学と沖縄県が協力して離島医療の充実整 備がなされてきました。しかしこのような協力 体制は各県立病院の院長と大学医局との個別の 関係だけで維持されており、沖縄県と琉球大学 との間には医師確保の正式な協議機関は存在し ておりませんでした。昨今の医師不足、離島医 療の崩壊の危機が叫ばれるようになって遅れば せながらやっと国や、大学、行政の関係機関が 同一のテーブルで医師確保の議論を交わすよう になってきたのが実情であります。この機会を 逃さずに県内の国立、県立、民間の医療機関に 働く医療人が連携して公平・公正な医療が離島 の隅々まで行き渡るような医療支援システムを 構築できるよう期待しております。

Q8:県立八重山病院と地区医師会との連携は うまくいっていますか? 交流の場などがあれ ばお教え下さい。

八重山地区医師会とは毎年6月に本院の新人 医師の紹介を兼ねた地区医師会主催の歓迎会が 開催されており、それを皮切りに本院において 医療技術研修会や、学術講演会等を開催し、医 師会の先生方も参加して交流をはかっておりま す。また八重山医療圏独自の会合に三師会があ ります。これは八重山地区の医師会、歯科医師 会、薬剤師会で組織されており、地域の医療従 事者の親睦を深めるために毎年1月にゴルフと グランドゴルフをして後に夜は表彰式をかねた 新年会を開催して懇親を深めております。今後は紹介患者の報告を兼ねた定期的な症例検討会 や地域の先生方を主治医とする開放病棟につい ても検討課題として取り組んでいきたいと考え ております。県民の財産である県立病院を有効 利用するためにもよりいっそうの病診・病々連 携を促進していきたいと思っております。

Q9:八重山は本土からの移住者が急増してい るとのこと、病院運営の上で何か変化はござい ますか。

昨今の沖縄移住ブームはここ八重山において はこの数年間は特に顕著であります。八重山で はただでさえそれぞれの集落ごとに地縁・血縁 意識が強く、そこへ島外・県外出身者がかなり 混在しており、別名、八重山合衆国と言われて いるこの地域が最近の移住ブームでますます激 しく変化しいく今日この頃であります。病院に とっては都会の権利意識の高い移住者や、冬で も暖房がなくても凍死することのない癒しの島 にあこがれて着の身着のままで流れてきた所持 金の乏しいホームレス達との対応で時に問題が 生ずることも稀ではありません。それは職員の接 遇問題に発展し、医療費の未収の増大につなが る大きな問題であります。しかしながら今年に なって一般の移住者にまじって医療従事者、と りわけ医師の県立八重山病院への就職希望の問 い合わせが相次いでおり、今後の医師の確保に とって追い風が吹く兆しも見えてきております。

Q10:先生はかつて県医師会の広報担当理事と して会報を作る立場におられた訳ですが、当時 の苦労話、あるいは現在の会報について感想、 あるいはアドバイスがあれば是非お願いします。

私は県立八重山病院に赴任する前に公務員医 師会の代表として県医師会の広報担当理事と医 事紛争処理委員会副担当理事、日本医師会の救 急部会の九州地区の代表として委員を務めてお りました。残念ながら任期半ばで県立八重山病 院への転勤命令があり、後を県立中部病院の宮 城良充先生に託して役職を辞任しました。在任 中は定期的に開かれる理事会に参加して先輩理 事の考えを聞きながら初めて接する医療行政・医療保険・医師会活動等について勉強をする 日々でした。また県医師会史の編纂委員会では 担当理事として大先輩の稲福全志先生を委員長 の下に照屋、稲福、大森、真境名の大先輩の先 生方と一緒に仕事をする機会を得たことは貴重 な体験でありました。日本医師会救急部会の九 州地区の代表として参加した会合は日本救急医 学会の重鎮の教授を始め、厚生省の官僚や、全 国の各医師会の代表の先生方と意見を交わす機 会を得たことは日本の最先端の医療行政に触れ た思いで良い体験でありました。

さて県医師会への要望ですが、日本の医療の あり方に変革の嵐が吹きすさぶ中で、今後の沖 縄の医療のあり方はどうあるべきか沖縄県医師 会全体で真剣に取り組んでいく体勢を作ってい ただきたいと思います。

Q11:先生のストレス解消法は? 離島ならで はの楽しみはございますか?

都会の喧騒とはほど遠い県立八重山病院の環境 は北方にバンナ岳を望み、周囲は川や田畑に囲ま れたのどかな環境であり、そこにいるだけでスト レス解消になります。近くのバンナ公園では森林 浴をしながらジョギングやウォーキング、サイク リング等が楽しめますし、4月から5月にかけての 夕暮れ時はたくさんの蛍の群舞も見られます。市 街地からわずかの時間で自然に恵まれた山や森、 海にアクセスできる石垣島の環境は小学生までの 子供たちを持つ親にとっては子育てをするには他 に類を見ない素晴らしい場所だと思います。その 証拠に最近の県立八重山病院の医師の平均勤務年 数は徐々に延びてきており、最初から永住を希望 する者も出てきております。ただ一つ私にとって 残念なことは石垣島から18ホールのゴルフ場とゴ ルフレンジが消えたことです。これからの八重山 の医療を支える人材確保のためにも是非とも18ホ ールのチャンピオンコースを復活させて欲しいと 思います。また、この恵まれた自然を独り占めに するのは申し訳ないと思うのでので是非一人でも 多くの医療人に味わってもらいたいと思います。

インタビュアー:広報担当理事 村田 謙二