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「汝の名は憂なしという。私をして憂なからしめよ」
〜無憂樹・・うれいなしの樹〜

長嶺信夫

長嶺胃腸科内科外科医院 長嶺 信夫

1.恋の花

インドの故事にある話である。インドのスダ ナ王子がキンナラの王女マノーハラに恋いこが れ、その居場所を探し求めて、美しい花が咲き みだれているアショーカ〈無憂樹〉の樹の下で、 「汝の名は憂なしという。私をして憂いなからし めよ」と泣きつき、思いのたけを訴えたという。 恋する人に会いたい!恋する王子のせつない思 いである。スダナ王子はやがてキンナラ城にたど りつき、王が課した幾多の試練を乗り越え、マ ノーハラとの結婚がゆるされたという。

またインドには次のような言い伝えもある。 恋をする乙女がこの樹の根元に口づけをして花 が開くと恋が成就するというのだ(写真1)。

写真1.

写真1.無憂樹の花 (沖縄海洋博記念公園熱帯ドリームセンター)。

また、ブッダ(釈迦)の母・マーヤー(摩 耶)夫人が懐妊し、お産のため里帰りの途中、 アショーカの花が美しく咲き乱れているルンビ ニー園で休息した。咲いている花々のあまりの 美しさに夫人が手をあげてアショーカの樹の枝 に触れようとした時、急に産気づき、その樹の 下でブッダを出産したという。

このことに関して、玄奘三蔵の「大唐西域 記」第6 巻には「箭泉より東北へ行くこと8, 90里でルンビニー林に至る。釈種が水浴する池 がある。水は清く鏡のように、とりどりの花は 咲き乱れている。その北、24,5歩の所に無憂 花(アショーカという花)の樹があるが、今は もう枯れてしまっている。菩薩が降誕された処 である」と記され、「中村元選集(決定版)第2 巻、ゴータマ・ブッダT」によると「過去現在 因果経」でも無憂樹の下でブッダを出産したと 記載されているという。また、お産が軽かった ため、この樹の名前をアショーカ(Asoka, Ashoka)と名付けたともいわれ、「ア」はサン スクリット語で「否定」を、「ショーカ」は 「憂い」を意味し、そのため「無憂樹」と訳さ れていて、インドや東南アジアなどの仏教寺院 に聖樹としてよく植栽されている。・・ただ し、ブッダの出産に関して中村元によると、 「ジャータカ序(Jataka,vol.T,p.52)」にはブ ッダは無憂樹の下ではなく、サーラ(沙羅)の 樹の下で出産したと書かれているという。それ によると、「この二つの都のあいだに、両方の 都の住民のためのルンビニー園という名のめで たいサーラ樹の森があった。そのとき、根もと から枝の先端まで、すべて、一面満開の花であ った。〜中略〜かの女は手をのばして枝をとら えると、まさにそのときに、陣痛が起こった。 〜中略〜かの女はサーラ樹の枝をとらえて、立 ったまま胎児を出生した」という。しかし、そ の後の諸仏伝では、無憂樹のもとでの誕生とい うことになっている。このことに関して菩提樹 を贈呈してくれたスメダ尊師にきいてみたとこ ろ「沙羅サーラ の樹の下で誕生した」と答えてくれ た。多分、「ジャータカ序」の記載に基づいているのだろう。

またインドの神話の中では無憂樹はヒンズー 教の神・シヴァの妃パールヴァティーが彼女の 夫シヴァ神を得ようという願望を成就させるためにその樹の下に座して瞑想したといわれ、ま たシヴァ神も無憂樹を最も好み、祝福を与えて おり、ヒンズー教の多くの霊樹の中でも重要な 位置を占めている。今回の旅行中も仏教寺院だ けでなく、ヒンズー教寺院境内でも無憂樹をよ く見かけたものである。

前書きが長くなったが、それにしても色々面 白い言い伝えのある樹である。中でもブッダ誕 生にまつわる話はことのほか有名で、このた め、「無憂樹」は悟りの樹といわれている「菩 提樹」や涅槃の樹といわれている「沙羅双樹」 とともに「仏教3大聖樹」として尊ばれている。

2.新たな夢

またひとつ夢がふくらんできた。沖縄菩提樹 苑に沙羅双樹とともに無憂樹を植え、仏教3大聖 樹をそろえようではないか!そうすれば、菩提樹 苑は沖縄の新たな観光名所になるだろう。そし て、観光名所になれば、おのずと菩提樹苑に多 くの人達が集まるはずだ。その機会を利用して 菩提樹植樹の意義を人々に周知させることがで きるだろう。そうだ!沙羅双樹ももっと前面に 出そう!沙羅双樹は平家物語の巻頭の一節を知 る人にとっては菩提樹以上に有名ではないか。

ところで、夢をいだくのは簡単である。しか しその夢を実現させるのは容易なことではない。 実際、沙羅双樹と無憂樹の苗木の入手をインド につてのある人達に何回となく依頼したのだが 入手できないまま2年が過ぎてしまった。2004年 10月に4度目のインド訪問をした時も、2006年4 月にタイを訪問した時も、沙羅双樹や無憂樹を 入手することはできなかったのである。

ところで、無憂樹はインドや東南アジアなど 熱帯地方でしか育たない樹と思われがちである。 しかし、ブッダ誕生の地・ルンビニーはインド国 境に接したネパール領内にあり、冬はかなり寒 く、0度近くまで気温が下がる。それなら雪が降 る本土では無理としても、暖かい沖縄に無憂樹 が育っていても不思議ではないはずだ。

2006年7月30日、かすかな望みをいだいて東 南植物楽園を訪ねてみた。ひととおり園内を見 学したあと案内人に「無憂樹はありませんか?」 と聞いてみたところ、「専門の方をお呼びしま す」と紹介された前田叶氏は「無憂樹はありま せんが類縁種の『キバナサラカ』はあります」 と言われ、樹の所に案内された。そこには5m ほどに成長した2 本のキバナサラカ(学名: Saraca thaipingenesis Cantley ex King)が 露地に植えられていて、マメ科の植物である無 憂樹(学名:Saraca indica L)の類縁種との ことであった(写真2)。キバナサラカの葉はイ ンドの竹林精舎で見た無憂樹の葉のように、対 になって羽のように枝から出ていて(羽状複 葉)、新葉は特徴的な淡い褐色で濡れた布のよ うにたれさがっていた。ところで、キバナサラ カの樹は無憂樹の葉が細長いのに比較し葉が少 し大きい以外素人目には区別がつかない。色々 お聞きしているうちに、前田氏は沖縄菩提樹苑 のこともよく御存知であり、無憂樹が沖縄海洋 博記念公園熱帯ドリームセンターの温室内に 植樹されていることを教えてくれた。

写真2.

写真2.東南植物楽園に植えられている無憂樹の類縁種キバナサラカ。

熱帯ドリームセンターに無憂樹がある。やは り沖縄にもあったのだ。それなら海洋博記念公 園に事情を説明し、取り木を依頼することがで きるのではないだろうか。

早速事情を説明し、取り木苗を要望するた め、8月20日海洋博記念公園管理財団を訪問し た。財団では多忙な中、花城良廣本部長、西銘 宜孝課長、峯本幸哉技師に面談することができ た(写真3)。管理財団では露地(温室外)のうえ潮風の強い菩提樹苑で無憂樹が育つのかどう か懸念しながらも、取り木をして贈呈してくれ ることを快諾するとともに沙羅双樹のことなど 色々アドバイスをしてくれた。面談後に温室内 の無憂樹を見せてもらったところ、早速取り木 の処置がなされていて、その好意的取り計らい に深く感謝した。

写真3.

写真3.御協力いただいた花城本部長(前列右)、西銘課長 (左)、峯本技師(後列左)。

ところで、熱帯ドリームセンターの無憂樹を よく見てみると、温室内という環境のせいなの か、インドで見た無憂樹に比較し、葉と葉の間 隔(葉間)が極めて長く、枝は「シダレヤナ ギ」のように垂れ下がっていて、いかにも過保 護の「もやしっ子」のようにみえた。そばに立 てかけてある説明版には「仏教3大聖樹あらわ れる!」と記載され、その名のいわれととも に、花は12月から1月初旬が見ごろと書かれて いた(写真4、5)。

写真4.

写真4.熱帯ドリームセンターに植栽されている無憂樹。

写真5.

写真5.熱帯ドリームセンターの無憂樹の表示板。

3.インド5度目の訪問 まただまされた!

2006年10月下旬沙羅双樹と無憂樹の苗木入 手を最大の目的に5度目のインド訪問をした。 祗園精舎で早速無憂樹と対面したものの、苗木 を入手することはできなかった。釈迦入滅の 地・クシナガラに着いてみると、無憂樹が街路 や寺院境内によく植栽されている。無憂樹をよ く見てみると、葉は細長く、新葉は薄茶色ない し淡い紫がかった濡れた布のようにたれさがっ ていて、実に美しい(写真6、7)。

写真6.

写真6.クシナガラの涅槃堂の境内に植栽されている無憂樹(左)と沙羅双樹(右)

写真7.

写真7.涅槃堂境内に植栽されている無憂樹。赤褐色の幹をして いた。

近くに苗木はないだろうか。道路際の草むら を見回し、苗木を探し回る筆者を横目に、家畜 の餌にするのだろうか、無憂樹の枝葉を馬の背 に乗せ運んでいる人がいる。時間は限られてい る。現地の子供達に無憂樹の写真をみせ、持参 したプラスチック製のヘラを貸し与え、苗木の 入手を依頼するとともに、自らも草むらにはえ ている苗木を掘り取ることにした。

ところが、インドは乾季が長く続くためであ ろう、木々は地上部分の2倍以上の長さの根が あり、それがゴボウのようにまっすぐ地中深く 伸びている。そのため途中で根が切れてしま い、うまく採取できない。子供達が持参した苗 木も根が途中で切れていたり、別の木であった りでまともなものはほとんどなかった。

クシナガラでの滞在期間は僅かに半日、しかも自由時間は2時間たらず、もう夜である。明 日は朝6時出発とのこと、念願の沙羅双樹の苗 木は入手したが、無憂樹も是非手に入れた い。・・お釈迦様は「知足:足るを知る」と欲 をださないよう説いているが・・苗木入手のた め今回の旅行を企画し、なけなしの金をはたい てわざわざインドまで来ている!ホテルの従業 員に持参した無憂樹の花の写真とホテル前に生 えている無憂樹の樹を見せ、翌朝までの苗木の 入手を依頼した。

翌朝、薄暗いなか、従業員に「Asoka(無憂 樹)?」ときくと「Yes」と言う。苗木1本を 受け取り、お礼に100ルピーを渡す。走り出し たバスの中で苗木を品定めすると、どうもおか しい。マンゴーの苗木であった。インド出身の 添乗員に「まただまされた!」と言うと、「イ ンドはそうですよ」と日常茶飯事との答が返っ てきた。インドは5度目の訪問だけど、インド 人には度々だまされていて、今度もあきれて次 の言葉が出なかった。インド人はどうしてこう も嘘ばかりつくのだろう!

4.無憂樹の苗木入手・・しかし・・

次の訪問地・サールナートのムラガンダ・ク ティ寺院は菩提樹を贈呈された寺院である。寺 院の参拝と菩提樹拝観を終え、スメダ尊師の事 務所に向かう間もあちこち見回して無憂樹の樹 を探すのに余念がない。専門書に無憂樹は挿し 木または実生で育つと書いてあったので場合に よっては樹の枝を持ち帰ろうとカッターナイフも 用意してきている。ようやく1本の無憂樹を見つ けることができた。よく見ると樹の下に苗木が 沢山はえているではないか。しかし辺りはもうす っかり暗くなっている。スメダ尊師に頼み、翌 日使用人に掘り取ってもらうことにした。

インド滞在最終日、植物検疫のため根を包ん だ土を取り除いてがっかりした。現れた根はゴ ボウのように真っ直ぐのび、細根はなく、それ に根が途中で切れている。これで育つだろう か。不安になってきたが仕方がない。自分が掘 り取った種つきの小さな苗木はツアー仲間に分 け与えてある。その苗木に望みを託し沖縄に帰 ってきた。

専門書には挿し木で育つと記述されているも のの案の定持ち帰った無憂樹の苗木のほとんど が根づくことなく枯れてしまい、種つきの小さ な苗だけが根付いている。それでも全部の苗木 が枯れないでよかった。1本でも育ったら取り木 で増やすことができるだろう。また、沖縄海洋 博記念公園管理財団にも取り木を依頼してある。 その木を沖縄菩提樹苑に植樹する事ができる。

2007年1月7日と2月12日に熱帯ドリームセ ンターで無憂樹の花を見ることができた(写真 8)。専門書に1年中花が見られると記載されて いるものの、4月下旬から5月初旬にかけ2回、 7月に1回、10月中旬と下旬に各々1回、計5回 インドを訪問したが、花が咲いているのに出会 ったことはないのである。インドで咲く花の中 で、最も美しい花のひとつと言われるだけに、 はじめてみる花は黄橙色の美しい花であった。 花は美人が触れると色が変わるなどの言い伝え があるが、花は手の届かない高さで咲いていた (2007年2月記)。

写真8.

写真8.熱帯ドリームセンターの無憂樹の花(2007年2月12日撮 影)。

参考文献
1.満久崇麿:仏典の植物、八坂書房、1995年。
2.T.C.マジュプリア著 西岡直樹訳:ネパール・イ ンドの聖なる植物、八坂書房、1996年。
3.玄奘著 水谷真成訳注:大唐西域記(全3巻)2、平凡 社、1999年。
4.中村元選集(決定版)第11巻、ゴータマ・ブッダT、 春秋社、2005年。
5.アボック社出版局編集:日本で育つ花木植栽事典、ア ボック社、1998年。

「沖縄菩提樹苑」

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