日時:平成19年3月8日(木)12:45〜
場所:琉球大学本部理事室
P R O F I L E | |
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昭和17年2月25日生 |
本籍 山口県 |
昭和41年4月 | 熊本大学医学部卒業 |
昭和51年11月 |
熊本大学医学部 助教授 |
昭和55年12月 | 琉球大学教授(文部省設置審) |
昭和59年4月 |
琉球大学教授 |
平成12年4月 |
〃 医学部長(平成16年3月任期満了) |
平成17年6月 |
〃 副学長、財務・施設・医療担当理事 (平成19年5月任期満了予定) |
平成19年6月 |
琉球大学長就任予定 現在に至る |
岩政輝男先生(左)と玉井理事(右)
○玉井理事 この度は、医学部出身として初 めて琉球大学の学長に就任されるとの事で、沖 縄県医師会としても大変名誉に思い、一同喜ん でおります。この度の学長就任におきまして、 先生の率直なご感想をお聞かせください。
○岩政先生 琉球大学に医学部が設置されて ずいぶん長くなりますが、どこの学部から学長 を出さないといけないということはないので、 良い人がなればいいのですが、推されてたまた ま学長になるだけの話です。(笑)
○玉井理事 岩政先生は医学部で医師を中心 とした人材育成をやられていたわけですが、今 後は琉球大学で医療従事者に限らず多くの人材 育成に携われる事になると思いますが、先生の 考える人材育成、または人づくりとはどのよう なものでしょうか。
○岩政先生 国立大学が法人化して、今まで と違って自分たちで中期目標、中期計画を立て てやっていくわけですが、それを評価する機関 の「大学評価機構」があり、そこで大学がしっ かり頑張っているかどうかが評価されます。大 学の使命は教育と研究です。どういう人を作る かは、若い人達がどんどんアイデアを出してい かなければならないと思います。社会が変わ り、学問が進歩し、みんなの考え方が変わって 行く、そういう事を考えた上での人材育成をや らないといけないのです。昔のままの人材育成 をそのままやっていくと現在の社会レベルに合 わないはずです。今までの大学は、ややもする と遅れがちです。教育と研究を直ぐ分けたがり ますが、みんなが一生懸命いい研究をしない と、いい教育が出来ません。
○玉井理事 国際的な人材育成に関しては何 かお考えはありますでしょうか。
○岩政先生 人材育成というのが、本来の大 学改革の目的ですが、みんなそれを忘れている だけです。もともと大学改革については日本は 少し後追いをしております。EUの人たちにと っても非常に重要な問題で、国境がなくなった から、周りの国から優秀な人がいくらでも入っ てくるようになり、自分の大学の卒業生が就職 できないようになったのです。日本が島国だか らそれが実感としてないだけであって、既に国 際的という言葉の意味が変化してきています。 アジアでは現実に中国の人がどんどん外へ出て 行っています。琉球大学も中国の人は多いで す。日本ももっといろいろな人が来やすいよう にするということが他の国から求められており ますが、なかなかやれないだけの話です。琉大 の卒業生は国際的に通用するということを考え るのではなく、もともとそうでなければいけな いのです。
○玉井理事 結局いい人材を育成しても社会 そのものが、それを認容する環境になければ、 どんどん外国に逃げていってしまいますよね。
○岩政先生 それはしょうがないことです。 逃げるということを阻害してはいけないので す。人を育てるのも大学ですから、どんどんい いところへ行って欲しいと思います。日本に残 らないとすると、それは我々の責任であり、地 域の責任でもあります。地域がそういう事を考 えてやっていく必要があるのです。
○玉井理事 これは本会が非常に苦慮しているところで、人材がそこで根付いてくれず、い い人材が逃げてしまうとなると困ってしまうわ けです。
○岩政先生 優秀な人材が来て、またリクル ートしているというふうに考えると、優秀な人 がどこかへ行っても、その代わりにもっと優秀 な人が来る。そのサイクルが上手くいけばいい わけです。外国でも誰かがじっと同じ場所にい る時代ではないと思います。アメリカの優秀な 研究者が、次の学会発表の際にはイギリスの大 学の先生になっていたり、フランスの先生が次 にイタリアの先生になっていたりと、どんどん 自分の仕事がやり易いところに移っているわけ です。仕事のやり易い場があれば、いろんな人 が来るでしょうし、その人がある程度満足出来 ることをやったら、次のスッテプのところに移 るというのが、今の若者の考え方じゃないでし ょうか。それに棹をさしても逆に地域も人も育 たないと思います。
○玉井理事 今、医師不足、看護師不足、助 産師不足について、沖縄県医師会は人材の確保 にどういう智恵があるのか模索しているところ で、その中で魅力ある研修医システムとか、魅 力ある職場づくりとか、本来はそういうところ をしっかりやるべきで、社会そのものが人材を 育て、またそこに学べる環境があるということ でしょうね。
○岩政先生 地域が人材を育てるというのは 大事ですが、地域が自分のところに人を溜め込 もうとするといい環境にはなりません。今の若 者の考え、それから世界的な考え方というの は、自分のところに人を溜め込むという考えで はないのです。看護師が足りなければ、外から 来てくれる。その人はもっといい場所があれ ば、そこへ移る。それを最初から認識して次に 移っていける場を作らなければ人は来ません。 あそこへ行ったらいつまでも抜け出せないとな ると、人は来るはずはないのです。
○玉井理事 閉塞感という言葉があります が、今まさに産婦人科や小児科において職場の 中で閉塞感があります。入ってしまったら抜け 出せないということが逆に将来に対する漠然と した不安に繋がっているところもあります。
○岩政先生 今ここに来たら、これだけ魅力 があって面白い事があるから来る、そこで仕事 をしたら次に移ると考えるはずです。それをサ ポートしてやればいいのです。溜め込もうとす るから、逆に人は来ないのです。
○玉井理事 次の可能性に対して懐の大きさ を出した方がいいのかもしれませんね。人材と いうのは、それを育成するシステムも大事です が、その人が自分という人材をどう活かして行 けるか、活かしきれるかというモチベーション を持つこと、その本人の考え方も大事だと思い ます。
○岩政先生 今までの大学の先生方は押し寿 司を作ろうとして、押し寿司で育った人たちが 大学や地域に残ってくれると考えていますが、 人はそれぞれ違うはずです。
○玉井理事 むしろそういうモチベーション を持てるような、一人で巣立って行けるような 強い心を持った人を育てるのが大事なのでしょ うか。
○岩政先生 行政もそうですが、将来の見通 しを考えてやらなければなりません。学問の世 界では人の真似をしている人は次に何が起こっ てくるかが分かりません。先端の事をやってい る人は、これをやると次はこうなるという、10 年、20年先の学問の進歩が分かるのです。世の 中の動きが激しいので、行政はおそらく4、5年 先の計画を立てるのは難しいでしょう。4、5年 の計画であっても次を見込まないとだめです。 看護師不足については、多くの看護学校があり ましたが、准看だったので閉鎖してしまいまし た。先を見込まないとだめです。学問のレベル を見ていたら、もっと医療のレベルは上がるの で、看護師はもっと必要になるはずです。
○玉井理事 南に開かれたとよく言われます が、留学生の方々の大学教育についてはどのよ うにお考えですか。
○岩政先生 南に開かれたと言いながら、 今、殆ど中国の人が来ています。中国の人は、 沖縄を一つのステップとして、次はアメリカへ 行こうとか、次はどういうことをやろうとか、 さらに次のステップへ発展することを考える人 が多いです。それ以外、中国以外が我々の考え ている南なのかもしれませんが、南に開かれた と言っても、人によっていろいろな考え方があ ります。我々が考えているのは、南という問題 と北という問題があって、北は先進国で、今ま で先進国の理論でいろいろな資源を開発し、文 明が発達して便利になっていますが、資源を殆 ど使い尽くしつつあります。北の理論で南の資 源を使って南が低開発国だということ自体がも しかするとおかしいかもしれません。同じ歴史 の中で、時間を経てきたのでれば、南の理屈で 見ると北の方がおかしいのかもしれません。例 えば、イタリアの南の方はのんびりして、暖か く、沖縄流で言えば「テーゲー」と言われる が、観光客はたくさん来る。南が低開発かとい うと、それは北の理屈で言えるわけで、むしろ 南の理屈で見ると、北の方がおかしいかもしれ ません。南に開かれたというのは、南の理屈 で、南のいろいろな医療とか人の生活とかをも う少し勉強しようという意味であって、我々が 北の理屈で施しをしようという意味ではないの です。
○玉井理事 私も分かる気がします。幸福だ とか、豊かだとかというものを北の理屈、尺度 で考えてしまうと、施しという形になるでしょ うが、全然違う尺度があり、それを考えれば 我々も教えてもらい、理解しないといけないこ とが多いわけですよね。
○岩政先生 我々がやっている国際交流とい うのは、今言った理屈でやっているわけです。 今、砂川元先生(ラオス国口唇口蓋裂患者支援 センター・琉球大学医学部歯科口腔外科教授) たちがやっているラオスでの活動に対して、 「沖縄も困っているのに、何のためにやるのだ」 と言われるが、今言ったような考えでやってい るのです。
○玉井理事 また向こうで学べることもあ り、我々が得てくることもあるということです よね。全く私も同じ意見です。物質的豊かさだ けで、いろいろな事を議論したりすることが多 いですが、そういう事だけでは解決できません よね。
○岩政先生 国際交流をやる事の意義がそこ にあって、そうするとおそらく武力紛争なども 少なくなるかもしれません。
○玉井理事 先生は学長になることに対し て、自分自身でなろうという気持ちはあったの でしょうか。
○岩政先生 昔、医学部長になった時もそう いう気持ちはありませんでした。本音を言うと やる気はあまりなかったです。
○玉井理事 なりたくてやっているのと、仕 方なくやっているのと、こういうのは先生自身 の中ではどうですか。
○岩政先生 もしかすると、なりたくてやる 人の方がいい面もあるだろうし、逆に客観性が ない場合もあるかと思います。
○玉井理事 普通の人は、どうしても強い上 昇志向というものを想像してしまいます。私は 大学時代から先生に飲みに連れて行ってもらっ たり、先生のご自宅で古酒をご馳走になったり ととてもお世話になりました。当時から先生は どちらかというと、あまり欲というか、そうい うものはありませんでしたね。
○岩政先生 そっちの欲は殆どありません ね。昔の開業医はよく自転車で往診していたん です。私も当然そういう風になるだろうと思っ ていたのですが、私のいた内科から、「病理の 方に行って勉強してこい」と言われて、しょう がなく行ったら、そのままになってしまいまし た。初期の目的とは違いますね。
○玉井理事 これがとても不思議ですね。
○岩政先生 もともと退官の年ですから、の んびりしようと思って、実はあるところに臨床 医として勤めることが決まっていましたが、こ ういう事になって、これは困ったなという感じです。
○玉井理事 先生らしいですね。
○岩政先生 学長の仕事というより、砂川元 先生達と沖縄ラオス友好協会というのを作っ て、ラオスとの交流等に力をいれています。今 回、ラオスに小学校を作ることになりました。 交通機関が発達しておらず、生徒は往復歩いて 通っていますが、片道5kmもあると10km、ま た、給食施設がなく、昼食を食べに家に帰るの で、20km程度歩くことになります。小学校3 年生頃になると、労働力になりますので小学校 に来なくなります。日本のボランティア団体が 来て支援しておりますが、アフターケアがない のです。幸いなことにラオスにたった一つある 大学(ラオス国立大学)と琉球大学が姉妹校な ので、附属小学校を作ろうと、今募金を集めて いるところです。有り難いことに全く知らない 人たちからの募金もあります。今月の25日から 28日まで砂川先生と一緒にラオスに行って、国 立ラオス大学内のどこに小学校を建てるかを相 談してきます。
○玉井理事 先日、沖縄平和賞受賞に際し て、砂川先生へインタビューさせていただきま した。砂川先生ご自身がラオスで貴重な体験を してきたという言葉が非常に印象的でした。
○岩政先生 ラオスに建設する小学校の設計 図があるのでお見せしましょう。今までのラオ スの小学校はトイレ、図書室などがありません でしたが、今回トイレ、図書室、職員室、コン ピューター室等を設ける予定です。給食室は、 給食を作る人がおりませんので今回は予定に入 っておりません。
○玉井理事 琉大の学生や卒業生がラオスに 行くということはありますか。
○岩政先生 琉大から講師の派遣や生徒の交 流を考えています。
○玉井理事 それこそ人材の交流ですね。
○岩政先生 玉井先生も手伝いませんか。(笑)
○玉井理事 いいですね。(笑)
○岩政先生 小学校の名前を、ラオス沖縄小 学校にしようかと考えています。
ラオスとの交流を深めるために沖縄ラオス友 好協会を作りましたが、森田現琉大学長、當眞 沖縄電力代表取締役社長等が役員になってお り、ラオスに小学校をつくる活動は同協会の役 員が主に携わっております。
今のラオスの小学校は非常に酷い状態で、ト イレがないから近所の草むらで用をすませてい ます。戦後の日本に似ています。お金がなくピ アノやリコーダーもないので、楽器がなくても 出来る民族音楽を教えているのだそうです。お 金がないなりに工夫しているのですよ。ピアノ を寄付できたらと思っています。やはり、工夫 が大事でしょうね。
○玉井理事 教育現場は自殺の問題に限ら ず、いじめの問題が社会現象化していますが、 このような問題に対して、ラオスの小学校から 何かヒントがもらえるかもしれませんね。我々 が学ぶべきもの、忘れているものがあるかもし れません。
本日はお忙しい中、貴重なお時間を割いて頂 き、ありがとうございました。
インタビュアー:広報委員 玉井 修
ラオスの小学校建設について熱心に話す岩政先生と玉井理事
印象記
広報委員 玉井 修
久しぶりに琉球大学に来てみると、春休みの為に閑散とはしているものの昔の記憶が甦って来 ました。岩政輝男先生とは琉球大学医学部の学生時代、よく飲みに連れて行って頂きました。泡 盛の古酒がお好きで、ご自宅でカメに仕込んである秘蔵のお酒をご馳走になりました。酔いが回 るにつれて、更に格別な秘蔵酒をふるまって頂きました。多くの学生が先生を慕って、所属クラ ブや学年の垣根無く楽しく飲んでいたことを思い出します。穏やかで、欲の無いお人柄が人望を 集めるのだと思います。今回の学長就任に関しても、ご感想をお聞きしたら「推されてたまたま なっただけです」と余りに素っ気のないお返事でした。しかし、穏やかさに隠された熱い情熱は 以前にも増しておりました。静かな物腰の中、ラオスでの小学校建設に関してお話して頂いたと きの目の輝きには凄みがありました。「どうだ、一緒にやらないか!」と言われた時には、思わず ハイと言いそうになりました。インタビューを終えて帰ろうとすると、岩政輝男先生は、「学食で カレーでも食べて帰りなさい」と言って、琉球大学の地図を探してご丁寧に学食の場所を説明し ていただきました。気さくさも全くお変わりなく、魅力溢れる岩政先生のご活躍を確信したイン タビューでした。