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まぼろしの沙羅双樹を探し求めて

長嶺信夫

長嶺胃腸科内科外科医院 長嶺 信夫

1.沙羅双樹が目の前に!

祗園精舎があるシュラーヴァスティーを出発 してから6時間、クシナガラの地が近づいてき た。レンガ積みの粗末な家や田畑がならぶ田舎 道を進んでいくと、やがて道の両側に林が見え てきた。スラッとした真っすぐ空に伸びる綺麗 な樹々である。見とれていると添乗員の声が飛 んできた。道路わきに生えている林が沙羅双樹 の樹というのだ。急いでカメラをかまえる。* *ブッダ(釈迦)や弟子たちは遊行の際しばし ばサーラ(Sala)林の中で休んでいる。あぁ、 これが仏典によく出てくる沙羅の林なのか* *。窓の外にカメラをかまえたもののバスを停 めてくれる気配はない。スピードをあげて走る バスの中から500分の1秒のハイスピードでシ ャッターをきった。何枚も、何枚も(写真1)。

沙羅双樹の林が目の前にある!沙羅の樹を探 し求めて既に2年が過ぎている。今度こそ沙羅 双樹を自分の目で確認し、その苗木を持ち帰ら なければならない。よし!クシナガラに着いた ら自分で車を手配し取りに戻ろう。

写真1

写真1:クシナガラ郊外で見た沙羅の林。

2.念願の沙羅双樹を手に

クシナガラ郊外にある釈迦入滅の地に涅槃堂 がある。広大な寺院の境内に入ると真正面に沙 羅の樹と涅槃堂が、右手に 無憂樹むゆうじゅ が見えてきた (写真2)。数日前からツアー仲間にそのいわれ を説明してきた樹である。自然にその樹に足が 向く。沙羅双樹の葉は互生し、楕円形で先端は とがり、基部は心臓形をしていて後に記す旺文 社の百科事典の記述の通りであった(写真3)。 樹の前で記念撮影をすませ涅槃堂に向かう。涅 槃堂の前で思いがけない高僧の出迎えがあり、 読経の中厳かに沙羅双樹の贈呈式が行われた。

写真2

写真2:クシナガラの釈迦入滅の地に建つ涅槃堂と沙羅の樹。

写真3

写真3:沙羅双樹の葉は楕円形、先は尖り、基部は心臓形である。

2004年5月に糸満市米須に菩提樹を植樹して からスメダ尊師に入手を依頼していた待望の沙 羅の樹である。ムラガンダ・クティ寺院がある サールナート( 鹿野苑ろくやおん )やデリーには自生して いない樹なので入手が困難であったのだが、私 達のクシナガラ訪問を知ったスメダ尊師が涅槃 堂の高僧に連絡し手配してくれたのであった。 スメダ尊師の笑顔が脳裏に浮かぶ。

それにしても、間に合わせに準備したのであ ろうか、枝先に1枚だけ葉がついているいかに も貧相な2本の沙羅の苗木が真新しい素焼きの 鉢に入れられていた(写真4)。しかし厚意は甘 んじて受けなければならない。ましてや、高僧 からじかの贈呈である。高僧から贈呈されたこ との証明をありあわせのホテルのメモ用紙に記 載してもらった(写真5)。寺院からの帰路、別 に手配しておいた沙羅の苗木4本を600ルピー (日本円に換算すると1,800円、貨幣価値からす ると約2万円)で購入し持ち帰った。いかにも 高い買い物であったのだが、このチャンスを逃 がしたら何時入手できるのかわからないのであ る。買い求めた苗木は寺院から贈呈された苗木 よりも葉を多数つけ、ビニール製の鉢になじ み、生き生きとしていた(写真6)。これだけの 本数の苗木があれば、どれかは根付くはずであ る。これで念願の沙羅双樹の苗木が入手できた のだ!

写真4

写真4:涅槃堂の高僧から贈られた沙羅双樹と背景は大涅槃像。

写真5

写真5:沙羅双樹贈呈の証明書を手に(2006年10月23日)。

写真6

写真6:600ルピーで購入した沙羅双樹の苗木。

3.沙羅双樹とはどんな樹?

2004年5月に菩提樹を植樹した後、菩提樹苑 に沙羅双樹と無憂樹を植えたいという新たな夢 をいだくようになってきた。

ブッダ(釈迦)は布教の旅を続け80歳の高齢 になり、身体の衰えを自覚し弟子のアーナンダ を連れて最後の旅にでた。故郷のカピラヴァス トゥをめざしたともいわれている。途中病をえ て、クシナガラ郊外の沙羅林にたどりつき、2 本の沙羅の樹(沙羅双樹)の間に横たわり涅槃 に入ったといわれている。

また無憂樹の名のいわれは、ブッダの母・マ ーヤー(摩耶)妃が懐妊し、お産のために里帰 りの途中、ルンビニー園で美しい花が咲いてい るこの樹の枝に触れようとした時、急に産気づ いてブッダを出産し、お産が軽かったため、そ の樹を無憂樹と名付けたといわれている。沙羅 双樹と無憂樹が植樹できたら、沖縄の地にはじめて仏教3大聖樹がそろうことになるのである。

ところで、無憂樹は2003年7月に菩提樹贈呈 の際の旅行で、ラージギルにある竹林精舎で見 かけたのだが、沙羅双樹は見たことがない。そ れで沙羅双樹のことを調べることにしたのだ が、不思議なことに県立や那覇市立図書館にあ る植物事典を手当たりしだい調べても記載がみ あたらないのである。いくつかの国語辞典には 釈迦入滅にからんでわずかに記載があるものの 植物学的な記載はない。ようやく旺文社発行の 学芸百科事典に記載を見つけることができた。

それによると『サラノキ(沙羅樹)Shorea robusta GAERTN インド原産の純林をつく る常緑高木。「シャラノキ」「サラソウジュ(沙 羅双樹)」ともいう。双子葉類・フタバガキ科 高さ30メートル 直径60cmになる。葉は革質 で互生し、卵状長楕円形、長さ20cm 巾10cm 前後である。先はとがり、基部は心臓形で、側 脈は平行する。花は3月に開き、淡黄色で芳香 があり、直径3cm、円すい花序に集まり、雄し べは約50本、雌しべは1本ある。がく片5個は 花後に成長し、翼状で、長さ約6cm、ほぼ球形 の果実(さく果)をおおっている。*仏教の聖 木として有名である。日本ではナツツバキをシ ャラノキと呼んで植えられているが、これは本 種とまったく違った種類である。〈奥山春季〉』 と記載され、図譜が載っていた(写真7)。

写真7

写真7:旺文社の学芸百科事典に載っている沙羅の樹の図譜。

概念はつかめた。それで早速菩提樹を贈呈し てもらったスメダ尊師に樹の入手を依頼したの だが、寺院のあるサールナート近郊やデリーに は自生せず、ブッダ(釈迦)涅槃の地・クシナ ガラ地方でしか入手できないとのことであった。

4.タイの沙羅双樹

その後色々手を尽くしたものの樹を入手でき ないまま2年近くが過ぎてしまった。

2006年4月下旬、沖縄ツーリストが受賞した 太平洋・アジア観光協会金賞授賞式典に同行し タイを訪問する機会を得た。

タイ訪問は2度目であったため、生来果物好 きの筆者は観光地めぐりをそっちのけにして、 果物市場に直行した。マンゴスチン、ドリアン など待望の果物が並んでいて、その中にハリネ ズミのような外観をした見たことがない小ぶり のヤシの実があった。同行の現地添乗員にその 名を聞くと「サラ(サラカヤシ)」という。「サ ラ」と聞くと反射的に沙羅双樹のことが頭に浮 かぶ日常だっただけに、「サラと言うと沙羅双 樹のサラと同じ名前ですね、ところでタイに沙 羅双樹の樹はありますか?」と尋ねると「あり ます!大理石寺院とワット・ポー(涅槃寺)に あります。涅槃寺は遠回りなので大理石寺院に まいりましょう」と言う。タイに沙羅双樹の樹 がある!ようやく沙羅双樹に対面できる!そう 思うと胸がドキドキしてきた。大理石寺院は 「王様と私」の映画で有名なラーマ5世(在位 1886〜1910年)が寺院を改修し外観を総大理 石にした寺である。寺院内に展示されている仏 像を拝観した後、寺院の裏にまわった。菩提樹 などの樹が植えられていてその中の一つの樹に 案内された。「この樹が沙羅双樹です」と言う 樹を見ると、トボロチの花に似たあざやかな紅 紫色の花が連珠状に咲いていて、聖木であるこ とを示すリボンが結ばれていた(写真8)。しか し、どうみてもおかしい。半信半疑のまま写真 を撮り、樹を観察していると大きな砲丸のよう な実がついている(写真9)。なんのことはな い。英語でCanon ball treeとよばれている砲 丸木ではないか。近くにもう一本砲丸木が植え られていた。

写真8

写真8:タイで沙羅双樹と言われている砲丸木の花。

写真9

写真9:大理石寺院の砲丸木の実。

それにしても旺文社の百科事典に記載されて いる沙羅双樹とはあまりにも違う(沙羅双樹は フタバガキ科で砲丸木はサガリバナ科)。釈迦 が入滅した際、花の色が黄色から白に変わった というのにこの花の色はいったいどうなってい るのだ!

現地添乗員の説明はこうである。この樹はラ ーマ5世が1883年頃インドを訪問した時持ち帰 って植えさせ、別名涅槃寺と呼ばれているワッ ト・ポーに植えられている樹もそれ以前にイン ドから持ち帰って植えさせたとのことであった。

5.スリランカの沙羅双樹

頭が混乱してきた。どうみてもおかしい。ラ ーマ5世はにせものの樹を持ち帰ったのではな いか?頭の整理がつかないまま2ヶ月が過ぎた。 2006年7月1日のテレビ番組:「世界・ふしぎ 発見 スリランカ 知られざる仏教大国の素 顔」でまたスリランカのことが放送されるとい う。菩提樹の件でスリランカを訪問したことが あるので喜んで見ていると、驚いたことにその 中で沙羅双樹の花としてまたもやCanon ball tree(砲丸木)の花が画面に映し出され(写真 10)、今度はルワンウェリ・サーヤ大塔の「ダ ーガバと呼ばれる仏塔の形はその花のめしべを 模したものであるといわれている」と放送して いるではないか。いったいどうなっているの だ!こうなっては何が何でも釈迦涅槃の地・ク シナガラを訪問し、沙羅双樹の樹を直接見て、 クシナガラで本当に砲丸木が自生しているのか 確認しなければならない。

写真10

写真10:沙羅双樹の花として放映された砲丸木の花。

6.砲丸木は沙羅双樹ではなかった!

祗園精舎とクシナガラ訪問を2006年10月に ひかえた8月、無憂樹の件で沖縄海洋博覧会記 念公園管理財団本部長の植物学者・花城良廣 氏に面談する機会があった。懇談中沙羅双樹の 件を尋ねたのだが、「沙羅双樹の樹は見たこと はないが、砲丸木は原産地が南米のギアナなの で考えられない」「色々言われているようです が、是非解明してください」と言われたのであ る。その言葉に勇気づけられクシナガラを訪れ た際に、「クシナガラで砲丸木が自生していま すか?」と砲丸木の写真を見せながら、ホテル の従業員に尋ねてみたのだが、自生しているど ころか、見たこともないとの返事であった。現 地添乗員バサキ氏によると、デリーやコルカタ (カルカッタ)でも砲丸木は見かけないとのこ とであった。

すでに紹介したように、クシナガラで直接自 分の目で見て、確認した樹は明らかに砲丸木と は異なる樹であった。タイやスリランカには釈迦 涅槃の地・クシナガラに自生していない砲丸木 が沙羅双樹として間違って移入されたのである。

7.沖縄ではじめて!

そういう訳で、今回沙羅双樹の苗木を入手し たのであるが、沖縄には勿論初移入であり、本 土でも植物園などの特別な施設内か、沙羅双樹 に魅せられた極めて少数の方々が自宅の温室で 育てているだけである。本土では露地では育た ないといわれている。

京都の妙心寺東林院では毎年梅雨の頃(6月 中旬〜下旬)に「沙羅の花を でる会」と称し て、ナツツバキの花を観賞する会があり、今年 も6月12日から30日の間観ることができるとの ことである。勿論本物の沙羅双樹ではないが、 短い間に散ってしまう花ははかない、無常の世 界を象徴する花として毎年のようにテレビで紹 介されている。

それほど貴重な樹を入手したのだから、無事 に沖縄に持ち帰らなければならない。そのため には苗木を飛行機やバスを乗り継ぎながら旅行 日程にしたがい持ち運び、最終日にホテルで根 のまわりの土を洗い落とす必要がある。

そういうわけで移動の都度沙羅の苗木を大事 に胸に抱えていたのだが、ちょっと眼を離した すきに心ない人の手荒な扱いで2本の苗木の幹 が折れ、残りの樹の枝葉も損傷を受けてしまっ た。幸いにも根の損傷がまぬかれたので、折れ た枝先を取り除き、後の処理をすませ、沖縄に 持ち帰ることができた。

那覇空港の植物検疫官は沙羅双樹を見たこと がない上、どのような樹なのかも知らない。当 方の説明にうろたえながら(?)あれこれ書類 を調べている。隣で説明を聞いていた女性の検 疫官が「育つといいですね」とにこやかに言っ てくれた。やがて検疫官が丸いスタンプをおし た検疫証明用の小さな紙を渡してくれ、その紙 に私が「沙羅双樹」と書き込んだのである(写 真11)。

写真11

写真11:沙羅双樹と無憂樹の植物検疫証明書。

写真12

写真12:筆者宅で根付いた沙羅双樹の苗木(2007年1月14日 撮影)。

沖縄の地を踏んだ「沙羅双樹」はわが家の庭 で新芽から若葉が出てきて根付いている(写真 12)。何時になったら大きくなるかわからない ものの、大きく育ったら沖縄菩提樹苑に無憂樹 とともに植える予定である。それまでは毎年慰 霊の日に菩提樹苑で公開することにしよう。

(2007年1月記)