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おのぼりさん靖国神社参拝、富士山拝見記

野原昌亮

野原整形外科 野原 昌亮

真栄城徳秀先生からリレー随筆の依頼を受け た時、最初に頭に浮かんだ題材は、ワンコ、パ ソコンML(メーリングリスト)、それと共通の 趣味である野球でした。ワンコ、MLはよくあ る話なのでやめました。残りの野球は自叙伝を 書き出したらだんだん愚痴がてんこ盛りになっ て収集がつかなくなり、膨大な量になったので 今回のリレー随筆の題材にするのはやめまし た。そこで、去年八月に行った靖国神社の事 と、その帰りに機上から生まれてはじめて見た と思われる富士山の事を書きます。

靖国神社になぜ行く気になったかというと、 小生が子供の頃からプチ軍事オタクだからで す。軍事関係が好きになったのは、男の子であ る事と自衛隊現役歯科医官である従兄から小学 生四年生の頃に、兵隊ごっこ?を教練してもら ったからです。それと同じ頃に学校図書館から 借りて読んだ「ゼロ戦開発物語」もおおいに影 響を受けました。この本を読んだおかげで、そ の後も軍事関係を初めとして、製品開発物語を 好んで読むようになりました。

一番の要因としては、八月六日東京で巻き爪 矯正ワイヤー講習会があったからなんですね。 この講習会会場ははじめていくところですの で、まず上京する前に会場をGoogleマップで 検索してみました。すると会場の近所に靖国神 社を発見。「ここでいかないと次の機会がある かどうかわからん。」と、決心した次第です。

記憶が定かではありませんが、今回の靖国神 社行きは二回目だと思います。一回目は1970 年代の高校生時に、次女淳子姉さんの東京のア パートに泊めてもらった際に連れて行ってもら いました。でっかい鳥居だけ覚えてますが、神 社内で飛行機などを見た覚えが無いので、おそ らく零戦などはまだなかったのでしょう。もし 見たのなら飛行機好きの小生が見たのを忘れて いるはずがありません。ちなみに零戦を始めて みたのは太宰府天満宮の裏の博物館で特別展示 されたときだと思います。それか、熊本の伊勢 丹デパートの屋上で見たのが最初か。。。最近物 忘れが多くていけませんね。

さて、今回のおのぼりさん旅行記を始めま す。上京の前日8/4(金)にネットで検索して、 水道橋の宿から靖国まで距離を測り、歩いて いけそうなので早起きして靖国探索に行く事に しました。この検索時には、靖国神社の境内の 内容は把握しませんでした。今回の参拝は何も 知らなくて境内探索したおかげで、後で奇遇に 気がついて驚いた事もあります。ですから旅と しては、事前に把握しておかなくて良かった気 もします。

8/5(土)診療終わって日本航空1930 便 19:55発で上京しました。一、二泊の時はい つも那覇空港の駐車場に止めていくことにして ます。なぜ、自分の車にするかというと、煙草 臭いタクシーに乗ると二三日気分が憂鬱になり ますし、服に匂いが付くと翌日そのにおいをか いで吐きそうになります。この煙草嫌いのおか げで、3〜4年間でタクシーには二回しか乗った ことがありません。タバコのにおいを避けてバ スに乗った事が一回あります。モチロン、飲酒 運転もしたこともありませんし、運転代行を一 度も利用した事はありません。

話が回り道になりました。今回の上京では、 空港駐車場に向かう途中のフリーゾーン前で途 中下車し、道を渡って花壇の所に行って花壇の 囲いにも使われているトラバーチンのかけらのよ うな石を一個選びました。この石は沖縄らしい し、国会議事堂の石にも使われているといわれ る自分の故郷の勝連の石かも知れないからです。

それから飛行機に搭乗しました。行きの便は 混んでましたが順調でしたね。次前にネットで 調べた通りに、JR中央線の最終電車に乗って宿 のある水道橋に向かっていたら、その前の駅御 茶ノ水で終点となり下車しました。予定では水 道橋に一気に到着できる予定でした。沖縄生ま れで九州住まいの長かった小生は、都会の電車 乗換えなど予定が変更になると大弱りです。周 りは花火大会があったのか、ゆかたを着た外国 人、妙に顔の真っ黒いおねえちゃん、兄ちゃん でいっぱい。なんか気味悪い連中なのでどうし たらいいか尋ねる事ができませんでした。耳を ダンボにしていたら総務線に乗り換えればいい 事がわかりまして、一駅間だけ乗車していつも のおのぼり時のように零時過ぎにホテルに着き ました。小生は、本土の研修会を受ける時、定 時の時間で仕事が終わってから上京しますので 宿到着はいつも午前一時過ぎになります。ほん と、本土行きは難儀ですね。。

話は戻って、宿に到着後まずホテルのロビー にある近所案内の地図で靖国神社の位置を確認 しました。以前、知らない街で近道をするつも りで小道に入って行った結果、迷った事がある ので、大きな道沿いに向かうことにして、大体 の距離を把握してから就寝しようとベットへ向 かいました。

ところが、ホテル近所のココ一番館の「チキ ンから揚げカレー」を食べたあと腹痛あり。沖 縄のココ一番館の「チキンから揚げカレー」を 食べてもなんともならないのに、東京のココ一 番館の「チキンから揚げカレー」でお腹が痛く なるのはこれで二回目。。。二回食べて二回腹痛 です。以前は吉野家の牛丼が遅くまで開いてい たので、深夜でも牛丼をたべることができ便利 だったのですが、吉野家の牛丼がなくなってか らは夜間はホテルなどの宿の食堂も閉まってい ますので、行き当たりばったりで食事をしてか ら宿に入ってます。強靭なはずの小生の腹が痛 くなるのは不思議でしょうがありません。。

話は戻って、いつものように発泡酒アクアブ ルーを手にして、「これは重曹だから腹痛の治 療になるぞ〜〜〜。」と、あほなことを言い聞 かせながら数本飲んで寝ました。

翌日、五時頃起床、腹痛無し、快腸。「東京 は日の出が早く目が覚めてしまった。」と、ぶつ ぶつ文句を言い、また寝ようとも思ったんです が、せっかくの上京ですし、寝るのももったい ないので早速靖国神社に向かうことにしました。 途中で沖縄で拾った石を持ってくるのを忘れた のに気づき、もどろうかとも思ったんですが、 結構歩いていたので、宿に石を取りに帰るのを あきらめました。大きい道でも少し迷いながら、 どうにか順調に靖国神社に向かっていると、坂 の途中に東京理科大学を見つけました。この大 学は親父博が東京医科大学に入る前に、基礎? かなにかを終了したところです。事前の検索で 気づいてなかったのでうれしく思いました。

(ここから書く、境内のモニュメントの固有名 詞は後日知ったものです。)

東京理科大をすぎてすぐ、靖国神社大鳥居の 前に六時前に到着しました。鳥居真正面から本 殿方向を見ると、真下で本殿に向けてカメラを セットしている人以外は車も人もいませんでし た。小泉首相の参拝問題でマスコミがにぎやか なころだったので、人気のないのが拍子抜けで した。

参道を歩いていくと、右のほうに「母親の 水?」と書いてある碑を見かけそのまま通り過 ぎ、休憩所まで行くと「小泉何とかまんじゅ う」のポスターを多数見つけ苦笑しました。左 側の空き地にはなにか露天を広げている人たち がぼちぼち出てました。舗装道路を渡って、第 二鳥居に到着。すると、神門のほうから、腰が 地面と平行に曲がった亀背の強い80歳ぐらいの おばあちゃんが近づいてきました。(ひどい骨 粗鬆症だなあ〜〜〜)と思い挨拶もせずすれ違 おうとすると、いきなり「誰かが門の前に置い ていった。」と、ニコニコ笑いかけながら五円 玉を手渡しされました。「はっ」となんの事か わからず突っ立っていると、その後から来た恰 幅のいい叔父さんが「門が閉まっていたから置 いていったんだろう。ついでにお賽銭箱に入れ ときなさい。」と、これまた満面の笑い顔で指 示されました。そこで、一気に暖かい気分にな りました。後で調べてみると、靖国神社は六時 開門らしいですね。ですから、夜間来た人は門 前にお賽銭をおいて帰るらしいんです。それを 遠くからきたと思われる若造(小生の事)をつ かまえて、さも近所の知り合いに頼むようにお ばあさんが声掛けしたんですね。。

「いっっやあ、靖国気に入った。」

それから拝殿に行き、自分の分の賽銭も加え 箱に入れた後に何も考えずに思わず二回拍手。 拝礼終わって拝殿の左側を見ると、「二礼二拍 手一礼」の札を見つけ焦りました。たまたま拍 手の回数はあたってましたが、礼は何回したか 覚えてません。そういえば、小泉さんが参拝し た時に何回拍手やったか話題になっていた事を ふと思い出し、頭を掻きながら、朝顔かなんか をいっぱい並べてある能楽堂の前を通って遊就 館へ向かいました。

遊就館は残念ながら、まだ開館しておらず、 館内を見学出来ませんので、見れるだけ見とこ うと覗きますと、カーテンの隙間から零戦を見 つけ、前から横から見ようとガラス越しに建物 の周りを移動しました。そうこうすると「特攻 勇士之像」の前に立っていました。その顔を見 ると左目から涙を流しているように見えるんで すね。誰も顔を洗ってくれんのかと嘆きつつ、 靖国会館の玄関口へたどり着きました。会館の 左側に海防艦慰霊碑があり金属製模型が置いて ありました。なんで海防艦だけが特別扱いなん だろうと思案するもわからず、今度は、鳩、馬、 ワンコの碑に気づきました。これはすぐ軍用に 使われた動物たちとわかりました。これらは日 本から戦地まで行ってほとんど帰ってこれなか ったようです。

その後、またあこがれの零戦をカーテンの隙 間越しにみて、ひとまずホテル方向に向かいま した。この最初の散策中、いたく感動してしま ったので、「ホテルに忘れた沖縄の石はやはり 今日中におさめにゃあかん。」と思い、急ぎ足 で宿への帰路を歩きました。途中、なぜか「母 親の水?」の前でまた立ち止まり、この裏に石 を埋めてやろうと考えました。

ホテルに帰ってから、和食の朝ごはんをいた だきました。ちまちまと少なく盛られた小皿がた くさんお盆に載っかっていまして、日本人って なんて細やかなんだろうとまた意味もなく感心、 完食。

それから、第二回目の参拝。今度は、車のつ いたバックを引っ張りつつ、時間が気になりま したので近道を行きました。途中迷いながら九 段高校のほうからたどり着きました。大鳥居の 前は観光バスでいっぱい。参拝者もいっぱいで した。今回は、石を収めるのが目的なのですぐ 「母親の水?」へ行きました。後で調べてわか ったんですが、そこは「慰霊の泉」というとこ ろでした。

裏に回ってビックリしました。そこには沖 縄、グァム、パラオ、ペリリューなどの激戦地 の石が二列になって埋め込まれていたのです ね。手前の左から三つ目の石がまるまる削られ ているのが気になりました。最初、自分が沖縄 から持ってきた石をその削られたところに置こ うと思ったんですが、とられてしまいそうだっ たんで、3〜4メートル離れた土手に穴を掘って 埋めました。

その後、横着にも「慰霊の泉」の池に手を洗 いに行き、洗っていたところ水面上に仰向けに おぼれているカナブンを発見、どうにか救出し植 込に避難させました。「偶然ながら生き物を助 け、よい事をした。」と喜びながら、泉の裏に戻 ってベンチで休んでました。

そこで、不思議な事が起きました。遠くから ぴょんぴょんスズメが近寄ってきて、小生の足 の周りを飛び跳ねるんです。足元の20センチく らいのところを通ってベンチ下にいなくなった かと思うと、また出てきて、ぴょんぴょん。手 をかざしても逃げないし、30秒くらい小生の足 元をまとわりつくように歩いて、左側にぴょん ぴょん飛び跳ねながら去ってゆきました。鳩が よって来る経験はあるのですが、スズメが寄っ てきたのは生まれてはじめてでした。「遠いと ころから石を持ってきてくれてありがとさん。」 と、スズメからほめられたような気になったの で、またまた、あったかい気分になれました。 それから、講習会場に向かいました。結局、講 習会前に結局二時間半歩いた事になります。

話代わって、今回生まれて初めて富士山を見 ました。中高校、予備校、大学と九州でした し、医師になってからはいつも本土から帰ると きは夜間なので一度も見た記憶がありません。 今回も帰りの予約便は、日本航空1935便19: 30発予定でしたので暗くなるのが予想され富士 山を見るのをあきらめていました。

靖国神社から講習会場へ向かうと、途中「富 士見」というところに出ました。ところが、周 りはビルだらけで富士山なんて見えません。 「高いビルに登ると見えるかもしらん。」とも考 えたのですが、講習会の開始時間は迫っていま すし、どのビルが一番高いかもわからないの で、そのままあきらめ講習会場へ向かいまし た。講習内容は、講演者の本とHPをよく読め ば充分の内容でした。不満たらたらで、帰路に 着くことになりました。靖国の遊就館はとっく に開いて見学できる時間ですが、もしかしたら 早い便だと富士山拝めるかと思い遊就館見学は あきらめ、急いで空港へ向かいました。途中、 日本航空出張所や旅行社で便を早いのに切り替 えようと探していたんですが見つからず、こり ゃ空港のカウンターに早くたどり着かないと便 の変更が出来そうにないと焦っていました。す ると浜松駅モノレールの切符売り場のところで 場違いなJALの服(グランドホステス?)がい て、便の変更の件を話すと、モニターをチョコ チョコ触って変更してくれました。1931 便 16:35発に変更なりました。便利な世の中に なったものです。混んでるはずの帰りの飛行機 に乗ると、機内はがらがら。安売りチケット屋 は、今回の予約の際「急いで予約しないと切符 が取れない。」とぬかしていたのに空席が多く、 ユクシじゃないか。と少し憤慨しながら座席へ 向かいました。席に座るなり、早速アテンダン トに、「富士山見れますかね〜〜?」と、田舎 者丸出しで恥ずかしく思いながら聞くと「無理 でしょう」との返事。(^◇^;)

離陸後、今回も富士山見れないのか。と、あ きらめかけていると。。機内アナウンスが始ま り「機長のフジタ○○です。」これは、フジが つく名前だから縁起がいいぞと思い、本当に富 士山が見えたら最高なのに。とまた考えまし た。そこでまたアテンダントに、「見えるとし たら右ですか、左ですか?」と、聞くとにこや かな顔で「左です。」と答えました。

沖縄に行くなら、木更津上空で右旋回するは ずだ。それなら右に見えるはず。と考えまし た。ですから、最初の左側座席からアテンダン トのアドバイスも聞かず空いている中央の座席 群を通り抜け右側の座席に陣取りました。しば らくすると、窓下で台形の頭が雲の上に出てま した。そこの雲だけが黒くなっているのか、雲 の影なのかとも考えたのですが、徐々に右前か ら後方へ頭が流れて行き、最後は沖縄に向かう ために少し左旋回した時に後方へ行ってしまい 見えなくなりました。スッチーは天候が悪いか ら雲中に隠れて見えないと思ったのでしょう ね。あの特徴のある台形の頭はまず間違いなく 富士山です。歌にあるように雲の上に出してい たんですね。全景は、次の楽しみにとっときま す。雪をかぶっていたら最高でしょうね。

帰ってきてから医療系MLに、不思議なスズ メのことをカキコすると結構受けが良かったで すね。。この随筆もその時カキコしたMLのメー ルを参考にして書きました。落ちも何も無いん ですが、嵌入爪の研修会受講よりも靖国参拝で きて、零戦久しぶりに拝めて、生まれてはじめ て富士山見れて十分おつりが来る上京でした。 良かった。良かった。

最後に、日常生活と同じようにアマハイクマ ハイする文を読んでいただきありがとうござい ました。それと、リレー執筆者先生との関連を カキコします。真栄城徳秀先生とは高校は別で すが大学受験予備校で一緒になって以来仲良く してもらっております。執筆依頼を受けうれし く思いました。次回執筆者の平良章先生は、那 覇市立病院で同僚になった時に初めて知り合い ました。最近、親戚のお祝い事で久しぶりに会 い消息を確認しあったところでした。突然の小 生からのリレー依頼を二つ返事で受けてもらい 感謝しております。今後ともよろしくお願いし ます。

★リレー状況
−平成16年以前掲載省略−
29.仲間 司先生(県立那覇病院)Vol. 41 No.5
30.新里 讓先生(沖縄赤十字病院)Vol. 41 No.11
31.友利正行先生(ともり内科循環器科) Vol. 42 No.2
32.具志一男先生(ぐしこどもクリニック) Vol. 42 No.4
33.神谷鏡子先生(かみや母と子のクリニック) Vol. 42 No.6
34.呉屋良信先生(わんぱくクリニック) Vol. 42 No.9
35.江洲浩明先生(はえばる耳鼻咽喉科) Vol. 42 No.11
36.真栄城徳秀先生(真栄城耳鼻咽喉科) Vol. 43 No.2



第38回全国学校保健・学校医大会分科会における
研究発表の演題募集について

1.日時:平成19年11月10日(土)午前10時〜

2.会場:全日空ホテルクレメント高松3F(各分科会会場)
       (高松市浜ノ町1-1 TEL087-811-1111)

3.演題募集:詳細につきましては、沖縄県医師会事務局まで、ご連絡下さい。

4.提出期限:平成19年4月27日(金)必着


連絡先 沖縄県医師会事務局
       TEL 098-877-0666
       担当者 業務課 渡嘉敷園子 平良亮