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世界保健デーに寄せて

宮里達也

沖縄県中央保健所 宮里 達也

WHO(世界保健機関)は設立以来全世界の 健康を守るため、広範な活動を行っています。 このWHOの憲章が効力を発した、1948年4月 7日を記念して設けられたのが「世界保健デー」 であります。この日の前後には、国際的に保健 医療に関する課題に取り組むための標語のも と、課題解決のため皆で考え、知恵を出してい こうとの啓発活動の取り組みがなされます。今 年の標語はまだ厚労省から示されておりません が、昨年の標語は“Working Together for Health”でした。

私たちが取り組まねばならない健康問題は多 数あります。頻発する高病原性鳥インフルエン ザ、それに引き続いて起こるのではと懸念され るパンデミックインフルエンザへの備え。ある いはもっと身近な問題としては26ショックなど と言われる、県民の生活習慣から派生する健康 障害。また、就労者に増加する鬱病や自殺問 題。あげればきりがないくらいです。本来はこ れらの問題について記述することが求められて いるのでしょうが、すでに多くの先生方によっ て、これらのことは論じられておりますので、 今回は日頃私が懸念し、我が国の医療環境の危 機であると感じている次の三点について書くこ とにします。

(1)健康は個人の責任か?

「人はすべて、健康で長く生きたいという本 能を持っている。しかしながら、社会基盤が不 備であったり、あるいは不運のため人は健康を 害し苦しむ。苦しむ人を見過ごすのでなく、社 会全体で救う手だてをはかるべきである。」多 くの人はそう考えるのだと思います。WHOの 設立目的もそういった考え方の延長線上にある と思います。

ところが昨今の我が国の動きはどうでしょ う。病人に対しても“個人責任”という考えが 強くなりすぎているように思われます。健康増 進法第二条に「国民は(中略)健康の増進に努 めなければならない。」とあり、健康であること が国民一人一人の責務となってしまいました。 この考え方が拡大し、平成20年からは医療保険 者に健診と保健指導の事業実施が義務づけられ る、医療制度改革が行われます。字面だけ追う のであればなんの問題もない、むしろ良いこと だと思われる方が多いのではないでしょうか。

しかし、健診に引き続き実施された保健指導 にもかかわらず、医療費が高止まりしている医 療保険者のある都道府県には、国の補助金のレ ベルでペナルティーを与え、保険料を高くする か医療機関へ支払われる治療費単価を切り下げ るようにする。つまり、健康は“地域の自己責 任”であるというのです。

私が考えるに、これらの政策はアメリカ合衆 国のノーベル経済学受賞者フリードマンにはじ まる、経済理論に源を発します。彼はいっさい の規制に反対する極端な自由主義者のようで す。彼は政府主導の健康保険制度にも反対し、 病気への備えも個人責任であり、それに対する 保険はいっさい個人保険にするべきだと主張し ているようです。彼の経済理論を正しいとする 経済学者や政治家は“シカゴボーイズ”と呼ば れています。日本にもグローバルスタンダード と、声高に主張するシカゴボーイズが多数お り、その考えが多方面にどんどん入ってきてい ます。勿論医療分野にも。

私は、我が国の国民皆保険制度は改善すべき ところは多々あるにしても、人類が到達した最 高の制度であると考えます。それが今、危機に 瀕しているのではというのが一つ目の懸念です。

(2)司法による医療の破壊

私は、学生時代や、医師になってからも多く の先輩方から次のように教え諭された。患者さ んに接する際には謙虚であれ。親兄弟を治療し ているように考え、絶えずもっと良い治療法は ないのかと自省しなさい。正確な事情も知らず に安易に前医を非難してはいけない。万一、患 者さんに過失による被害を発生させた際には、 正直にお詫びし許しを請いなさい。その原因が 看護師によるものであっても決して看護師に責 任を負わせてはいけない。

大多数の医師は、私と同様の教えを受け、そ れを実行していこうと誠実に考えてきたと信じ ます。しかし、今それをその通り実行しようと すると、刑務所送りになるかわからない。その 前に、免許停止となり医師活動などできなくな るでしょう。

皆さんも記憶しているでしょうが、昨年福島 県でとんでもないことが発生しました。県立大 野病院の産婦人科で、前置胎盤の患者さんに型 どおり帝王切開を施行したところ、強度の癒着 胎盤が合併していたため大出血が発生し、赤ち ゃんは無事であったが母体は不幸にして死に至 りました。

結果は不幸なことで亡くなられた方の関係者 に同情しなければならないことであります。しか し、多少でも産婦人科の事情を知っている人な らわかるはずですが、これは現在の医療レベルで は不可抗力に近い事案なのです。それにもかかわ らず、ろくすっぽ産科医療の事情など知らない地 元マスコミが声高に問題にし、その結果、警察 が動き担当医が逮捕起訴されてしまいました。

この事件が全国ニュースになった直後に、私 はことの重大さを感じ、宮城会長と永山南部地 区医師会会長に連絡し、このことを放置せず医 師会としての声明を出すべきではと申し上げま した。当然のことではありますが、両先生とも 強い問題意識を持っておられ、全国の医師会で もかなり早い段階での抗議声明を出したのは良 かったことだと思っております。

先日、医師でもあり弁護士でもある田邉昇先 生の講演会に参加する機会がありました。先生 によると、福島の事案が警察沙汰になった経緯 は次のようなものだったそうです。遺族が納得 しないため、院内事故検討会を設け事件の概要 を調査しました。その事故報告書は、例えばも っと多数の専門医がいたら良かったとか、輸血 の準備をもっとたくさんしていればといった、 ほとんど意味のない後知恵による単なる繰り言 にすぎないものなのですが、それを根拠とし て、それまで地域医療のため身を粉にして誠実 に頑張ってこられたと思われる医師を犯罪者と して逮捕起訴したというのです。

田邉先生によると、日本国民は嘘を言っては いけない義務はあるが、自分が不利になるかも しれないことは言わないでおく権利があるのだ から安易に反省などしてはいけないとのことで した。残念ながら私たちは、法律家やマスコミ といった悪しき隣人(自分は決してまちがいを 起こさず、他者がまちがうと決して許さないと 考える人のこと)に取り囲まれていると考えな ければならないのかもしれません。

人はまちがいをおかし、機械は故障する。そ してそれが人に重大な損害をもたらす。大切な ことは、その発生原因を検討し、反省し改善す ることであります。そのことにより社会は改善 し進歩する。それが誠実な科学的態度であると 思うのですが、医学に対し、誠実な科学的態度 であることを許さない人々が増加しているよう に思われます。私にはこれが、昨今の地域医療 破壊原因の一つと思えるのです。

(3)人間社会は善悪二元論で決着するのか

横浜の堀産婦人科病院の、いわゆる助産師問題に関しては前号で宮古の砂川先生が論じてお られました。ごく一部を除きほとんど同意見で すので繰り返しはさけます。

この件のマスコミ発表の論調に接して、私は 現在の日本社会が冷静に物事の本質を見ること ができず、他者に対して不寛容で、理想と現実 の調整策を見いだすことができなくなっている と思ったのです。世の中には望ましいことと、 望ましくはないが仕方ないこと、そして絶対に してはならないことの三つがあるということで す。助産師という専門家が社会に潤沢に存在す るなら問題は発生しません。しかし、そのため には助産師養成等、社会が負担しなければなら ないコストも膨大なものになります。現実には 地域の産婦人科で助産師を求めることは容易で はありません。

絶えず助産師を募集する努力は必要でしょ う。しかし、そういった努力をしても得られな い場合、次善の策をはかるのが大人の態度で す。それを助産師が配置できないにもかかわら ず産科業務を続けるのは犯罪行為だといったよ うな考え方が極まると、地域の産科医療は壊滅 するでしょう。

現在の世相をみると、理想と現実を論理的に 区別整理して、現状での最もベターな改善策を 論じあって、作り上げていくことができないの ではないかという懸念を感じます。

今回は、世界保健デーを迎えるに際し私が考 える健康問題のうちから、特に医療が直面する 問題について縷々私見を述べました。まだまだ 論じたいことはありますが、許された字数を大 幅に超えてしまいましたので今回はこれで止め ます。今回の私の発言は、日頃私が考える疑問 などを素直に表明し、諸先生方のご批判を受け ようとしたものであり、必ずしも保健行政関係 者の統一見解ではないことを念のため申し添え させて頂きます。最後に世界保健デーを機会 に、保健医療における課題を考え、共に保健医 療環境の一層の改善が図られるよう努力するこ とを、強く希望するものであります。



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