長嶺胃腸科内科外科医院 長嶺 信夫
1.アーナンダ菩提樹
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。 おごれる人も久しからず、ただ春の世の夢の如 し。猛き者もついには滅びぬ。ひとえに風の前 の塵に同じ。」
あの有名な「平家物語」の巻頭の一節であ る。僧が亡くなるたびにひとりでに鳴りだすと いう祇園精舎無常院の鐘の音、釈迦入滅の際、 時ならぬ花を咲かせ、黄から白にいっせいに花 の色を変えたという沙羅の樹。はかない、移ろ い行く無常の世界をあらわす名文としてあまり にも有名である。
夕闇せまる頃、祇園精舎に着いた。ああ、こ こが祇園精舎なのだ。多くの人が一度は訪れて みたいと思う念願の地である。胸の高鳴りを感 じる。オレンジ色の僧衣が行き交う中アーナン ダ菩提樹に向かう(写真1)。やがて右手に根回 り数メートルはありそうな巨木が見えてきた。 インドの古代文献に記されている、かの有名な アーナンダ菩提樹(Ananda -Bodhi)の末裔で ある。
写真1.祇園精舎に向かう僧侶達。オレンジ色の僧衣が美しい。
文献には「ブッダ(釈迦)が布教のため祇園 精舎を留守にしている間、ブッダの象徴として 菩提樹を植えることをアーナンダ(阿難)が提 案したのに対し、ブッダは高弟のマハーモッガ ラーナ(Mahamoggallana目連)をブッダガヤ に派遣し菩提樹の分け樹を採取させ、その分け 樹を祇園精舎の門の右側に植えさせた」と書か れている。そして、その樹を植えたのがほかで もない祇園精舎を寄進したあのスダッタ長者と いうのだ。
あらためてその位置を確かめる。たしかに門 の右側にある。納得しながら菩提樹を眺めた。 樹には聖樹であることを示す色とりどりの小旗 が巻かれていて、人々がその樹の前にぬかずい ていた。この菩提樹はアーナンダが提案したの で「アーナンダ菩提樹」と呼ばれていたのだ が、12世紀のイスラム教徒の仏教弾圧の際、僧 院とともに破壊され、その後に生えた菩提樹が 育っているという(写真2)。
写真2.アーナンダ菩提樹の前で。
2.祇園精舎
祇園精舎はサンスクリット語ではJatavana-viharaであり、その名称の由来は次のようである。
当時、ブッダや弟子達は同じ所に留まること
なく、旅から旅の暮らしをしていたのだが、イ
ンドは雨季と乾季にわかれ、雨季には道路や橋
が流されるため、遊行にはむかない。その上、
雨季には地中から虫が這い出し、むやみに歩き
回ると、罪のない虫を殺傷することになる。そ
ういうわけで、遊行僧は雨季には
インドの長者スダッタはコーサラ国の首都シ
ュラーヴァスティーに住み、パセーナディ王の
財務官をしていたのだが、孤独な貧者に惜しみ
ない施しをし、そのため「アナータピンディ
カ:
精舎内にはブッダの住居跡や説法した場所、 遊行僧などが起居した住居跡、沐浴場などがあ り、いまだ発掘調査が続けられており、広大な 遺跡公園になっている(写真3)。
写真3.ブッダの住居跡前にて、後方中央は無憂樹。
3.無憂樹と沙羅双樹
門を入ると左手に無憂樹の樹が植えられていた(写真4)。マーヤー(摩耶)夫人がお産のた めに里帰りの途中、ルンビニー園で美しく咲い ているこの樹の花を手で折ろうとした際に産気 づき、その樹の下でブッダを出産し、お産が軽 かったためこの名がつけられたと言われている。 サンスクリット語ではアショカ(Ashoka)の樹 と呼ばれ、「ア」は「否定」を、「ショカ」は 「憂い」を意味し、英語名でもSorrowless tree と呼ばれている。そのため無憂樹は東南アジア などの仏教寺院でよく植えられているのだが、 インドではブッダは無憂樹の下で産まれたので はなく、沙羅の樹の下で産まれたと記載された 文献が多い。これらのことは別の機会に詳述し たい。また、インドにはマメ科のこの無憂樹 (アショカ)のほかにもスギのように直立したア ショカと呼ばれる樹があるがバンレイシ科のマ ストツリーというまったく別種の樹である。
写真4.無憂樹の前で、同じマメ科のゴールデンシャワーの樹 に似ている。
祇園精舎を歩きながら、「祇園精舎の鐘の声、 諸行無常の響あり・・・」と自然にその一節が 口から出てくる。瞑想しながら口ずさんでいる 人もいる。「ここで、ブッダが弟子と人生を語 り、瞑想し、教えを説いたのだ」そう思うと己 の日々の生活が恥ずかしくなってきた。
現地添乗員の説明も上の空、精舎の中の潅木 の下や草むらに眼をそそぎながら皆の後を追 う。リュックの中には沖縄から持ってきたプラ スチック製のヘラを忍ばせている。今回のイン ド訪問(2006年10月20〜28日)の目的のひと つ、無憂樹の苗木を持ち帰るためである。ツア ー仲間は50メートルほど先を歩いている。しか し無憂樹の苗木は見当たらない。家内が急いで 引き返してきた。添乗員が左手かなたの樹が沙 羅の樹だと言っていると言うのだ(写真5)。今 回の最大の目的、沙羅双樹の樹!急いでその樹 に駆け寄り、見上げる。じっくり見とれている 時間はない。仲間はどんどん先に進んでいく。 急いでカメラのシャッターをきり、樹の根元を 見るが苗木や種子は見当たらない(写真6)。仕 方がない、明日、クシナガラに行く・・・翌日 に期待をつなぎ、その場を離れた。
写真5.僧の沐浴場。右後方の樹は沙羅の樹。
写真6.沙羅の樹。右側の細い木はチークの幼木。
すでに辺りは薄暗くなっている。次の目的 地、スダッタ長者の屋敷跡に向かった。明日は 釈迦入滅の地クシナガラを訪ね、念願の沙羅 (双)樹の苗木を手に入れなければならない (2006年12月記)。
参考文献
B.R.アンベードカル山際素男(訳):ブッダ
とそのダンマ 光文社 2004年