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亥年(いのししどし)に因んで

喜屋武朝章

喜屋武内科・呼吸器科 喜屋武 朝章

私は大正12年亥年生まれで、今年数え85歳 になります。大正12年は関東大震災の年でもあ ります。今迄、多病を抱えながらも息災に生き てこられたのは、一重に妻の内助の功の賜と考 えています。

私の人生の大部分を占めているのが激動の時 代と言われる昭和です。記憶に残っているのは、

  • 昭和11年2月26日 二二六事件(陸軍の反乱事件:当時二中入学)
  • 昭和12 年7 月7 日 日中戦争(支那事変:当時二中2年)
  • 昭和16年12月8日 太平洋戦争(当時中学5年―旧制水戸高校)
  • 昭和20 年8 月15 日 ポツダム宣言受諾(無条件降伏:九大医学部2年)

等です。戦時中、学生であった私は、理科系医 学部志望であったため徴兵延期となり、結局学 徒出陣もせず、軍隊生活を体験する事もなく終 戦を迎えたのであります。最近、「昭和とはど んな時代であったか」を考えるために次の本を 読んでいます。1)林健太郎著「昭和史」、2)渡 部昇一著「昭和史」、3)半藤一利著「昭和史」、 4)渡部昇一・中條高徳著「子々孫々に語りつぎ たい日本の歴史」などです。

私は昭和16年県立二中を卒業しました。同 期会を「二中一六会」と命名し、毎月16日に 模合をしていますが、高齢になるにつれて人数 も減り現在は14名になりました。平成18年6月 26日には、県内外の同期生に声を掛け、「卒業 65周年大会」を料亭那覇で行ないました。参加 者は県内18名、県外17名、計35名(夫婦同伴 6 名)で、上原義男様ご夫妻による「祝いの 歌」・琴・三味線から始まり楽しい時を過ごし ました。その折、中学時代からの親友であるT 君も福岡から参加してくれました。中学時代の T君の家は立派な邸宅で、庭には木も多く池に は鯉が30匹位泳いでいました。また、当時珍し かった日本文学全集もあり、私は遊びに行く度 に一冊ずつ借りて来ては読んでいました。私が 本を借りに行くと何時もT 君の妹の友達3 人 (小学生)が、みかん取りやトランプ等をして 遊んでいるのを見かけました。今になって思う と、その中の一人が現在私の妻になっていま す。「縁は異なもの」と言いますが本当だなと 思います。私が九大医学部在学中の頃、T君は 旅順工大に在籍していましたが、終戦のため卒 業できずに帰国し大分県にいることを知りまし た。私はT君に九大への転入学を勧めました。 T君は九大工学部卒業後、福岡の西部ガスに定 年迄勤務しました。毎年、お盆で来沖の際は、 私の家で夜遅く迄中学時代を偲びながら歓談し ています。

最後に、私の近況を述べたいと思います。私 は47年間続いた「喜屋武内科医院」を閉じ、2 年前から毎日午前中、次男の診療所に通勤し、 腹部エコーや昔からの患者さんと歓談して過ご しています。また、夕方にはストレス解消の為 中部方面まで夫婦でドライブをしています。妻 は28年前より毎朝「さざなみ会」の皆様と波之 上でラジオ体操をしていますので、近頃、私も 一緒に早起きして若狭公園を散策しています。 健康保持とボケ防止の為に公園内の樹木や草花 の名前を、「親子で見る身近な植物図鑑」(著者 いじゅの会)で調べています。また、「一水会」 のゴルフにも夫婦で参加しています。

長男、次男もそれぞれ開業し、孫6名の成長 を楽しみにしています。今後、何年生きられる か分かりませんが、「生きてるだけで丸儲け」 という気持ちで余生を送りたいと思います。