長嶺胃腸科内科外科医院 長嶺 信夫
足が必死に宙を蹴っている。泥まみれの手 が岩棚からすべり落ちてくる。
だめだ!このまますべり落ちたら3メート ル下のゴツゴツした岩の上に落ち、さらに1 メートル斜め下のくぼみに転がり込むことに なる。細心の注意をはらっても打撲はまぬが れない。へたをしたら骨折だ!
だがあきらめるわけにはいかない。いや絶 対あきらめない!目をつぶり、必死にこらえ ながら、足を前後左右にゆらし足場を探す。
岩棚に必死にしがみついているものの、指 がすべって、体重を支えることはできない。 いよいよ、観念しなければならないのか!手 が滑る!!
すべり落ちる・・・まさにその時、宙を蹴 っていた左足が側の岩壁から突き出ていた小 さな突起物(ようやく片足が乗るほどの小さ な岩の足場)に触れたのである。天の助けと はこのことか!足をのせるとしっかりした岩 であった。・・・ああ、命拾いした!・・・ 一息つき、左足で体重を支え、あらためて周 囲を見渡す。ヘッドライトが頭の後方にすだ れ状に垂れ下がっていた鍾乳石を照らしだし た。岩棚の上から右手を離し鍾乳石で身体を 支える。下方を確認、慎重に岩の上に飛び降 りた。
写真1.真壁の千人壕。自然の鍾乳洞を利用し通路は掘削され ているが、まわりに横になって休める場所はない。
ライトに照らし出された鍾乳洞のドームは 広さ4×10mほどの長楕円形の空洞で内面は 鍾乳洞特有、ごつごつしていて、くぼみにそ ってチョロチョロと水が流れていた。流れに 沿って進むとドームの前方は小さな水溜りに なっていて、その上に岩がおおいかぶさって いる。エッ!これは大変なことになった!洞 窟の中をさまよっているうちに地下に浸透し た梅雨期の増水でトンネル通路が冠水したに ちがいない。このままでは潜水してこの通路 を通らなければならない。困った!カメラも 完全にダメになる。しかし待てよ!入ってき た時、これほどのくぼみの通路を通ってきた だろうか?
おかしい!どうみてもおかしい!ひきかえ し、岩棚から降りた場所まで後戻りして考え 込む。懐中電灯の電池は大丈夫だろうか?ラ イトを消してみる。当然のことながら闇の世 界で自分の鼻先さえ見えない。・・・ここか ら出られなかったらどうしよう!・・・降り てきた岩棚を見上げる。こんな高い岩棚を乗 り越えて中に入って行っただろうか?やはり おかしい!そんなはずはない!ふたたび水溜 りへひきかえし、足先を使い水底の確認をは じめた。もしトンネル通路が冠水したのであ れば人が通れる形態をしているはずである。 急な深みにはまると危険だ。慎重に足先で探 るも水深は浅く、水底の岩は前方の岩に移行 していて行き止まりになっていた。
ここは入ってきた道ではない!急いでライ トで照らし出されたほかのくぼみをのぞくも 総て行き止まりであった。やはりそうだ!こ のドームは入ってきた通路の鍾乳洞ではな い。迷い込んだのだ!
写真2.千人壕の中。
戦時中、ローソクやランプのかすかな光をたよりに避難していた。
写真はストロボで照らし出されているが、実際は懐中電灯の光も闇に吸い込まれ
る暗黒の世界である。
そうとわかったら、今度はこのドームを脱 出し、もとの場所に戻らなければならない。 降りてきた岩棚を見上げる。天井岩の下に棚 状に岩がせりだしているが、その上にある通 路は見えない。考えてみると、鍾乳洞に入っ てきた時、見えない通路の方向へ岩をよじ登 り奥に進むことはありえない。どうして早く それに気付かなかったのか!
降りた時利用した小さな足場に左足をの せ、すだれ状の鍾乳石を支えに、岩棚に手を のばす。足場から岩棚までの高さはようやく 手が届く高さである。手を添えるだけでは指 がすべって登ることができない。両手の親指 を岩棚上の粘土にねじ込み、力を込めて、ま ず右の肘を棚上に持ち上げ、続いて左の肘を のせた。これで両腋から上が棚上に出たこと になる。しばらく息を整え、全身を棚上に上 げなければならない。しかし棚上40センチに はゴツゴツした岩の天井がある。勢いをつけ て上がることはできない。さきほどの親指を 抜き、さらに前方の粘土の中に右親指を奥深 くねじ込み、右腕に力をこめ、右胸の中ほど まで身体をもちあげ、それに続いて左側のか らだも左胸中央まで持ち上げることができ た。頭が天井につかえるため一回の動作はこ れが精一杯である。しかしまだ安心はできな い。まだ胸の中ほどから下は宙ぶらりんである。さらに息を整え、今度は肘を使い、ウエ ストまでからだを持ち上げる。肩からたすき がけにした大型の懐中電灯と愛用のキャノン カメラが腰の横で泥まみれになりながら岩棚 にゴツゴツ音をたててぶつかっていた。
・・・やれやれこれで生還できる!・・・ はげ頭を天井岩にぶつけながら、やがてドー ムに迷い込む前の位置まで這い出ることがで きた。
しかし、これで総て済んだわけではない。 この場所からさらに出口を見つけ出し、壕の 外に出なければならない。ここから壕の出口 までには途中コウモリが巣をつくっている鍾 乳洞のドームやゴツゴツした岩の間に小川が 流れている場所があったではないか。
同じ場所を行きつ、戻りつ、足跡や記憶に ある岩の形状を確認しつつ、慎重に出口を探 す。ヘッドライトで足元の安全を確保し、た すきがけにつるした大型の懐中電灯であたり を照らし、両手で岩をつかみながらである。 足元の岩の間は所によって2〜3メートルの 深さの隙間があり、水が流れ、岩や石筍は泥 におおわれ、したたり落ちる水で滑りやすく なっている。その場所では平坦な岩はほとん どなく、丸みをおび、または斜めに傾いてい て、滑りやすい。ゴム製の雨靴を履かないで よかった。雨靴はこしがないうえ、泥土では よく滑る。今回は、トレッキング・シューズ を糸満の荒崎海岸で駄目にしたので、そのか わりに足関節から20cm上方までを保護でき る皮製のバイク・シューズを履いてきた。ラ イトを二つ持参したのも正解だった。登山用 に購入していた防水のヘッドライトと大型の 懐中電灯を併用しなければとても前に進むこ とはできなかっただろう。それにしてもなか なか出口が見つからない。しばらくその場に 立ちつくし、思案に暮れる。
ようやくライトがぼんやりとドームの出口 を照らしだした。出口の穴の部分だけライトの光が闇に吸い込まれ、周りに比べ、暗くな っている。迷い込んだ鍾乳洞から元の場所に もどり、出口を探しはじめてから20分後のこ とである。足元に注意しつつその方向へ足を 進めた。周りの岩は入ってきた時の記憶のま まである。まちがいない!?
やがてコウモリ・ドームにたどりつき、さ らに小川が流れるドームを過ぎ、見慣れた昔 懐かしい(?)通路を通り、明るい太陽のも とに出ることができた。生還(?)した時、 頭から靴先まで泥まみれ、ズボンは裂け、愛 用のカメラにいたってはレンズ・フードの中 に泥が充満し、中から丸いアイスクリームの ように外に飛び出していた。
足腰が弱った上、家内にも見捨てられ、登 山もできなくなったので、今度は地下に潜る ことにしたのだが、これ以上潜りつづけると 地獄まで落ちることになるかもしれない。家 内は「インドに行ってから頭がおかしくなっ た!」と言い、「馬鹿は死んでもなおらな い!」などとあきらめ模様である。
写真3.コウモリ・ドームの中。小型のコウモリで、文献には 「リュウキュウユビナガコウモリ」と記載されていた。
写真4.入口から30mの地点。強固な岩のトンネルでできてい た。
写真5.千人壕の中から外界を見る。
糸満市真壁の千人壕:第二次世界大戦中、 当時の真壁村の住民や南部に避難・撤退して きた住民、兵隊が使用した自然洞窟壕で隣接 してこの地で玉砕した野砲第42連隊、野戦 重砲第1連隊、独立重砲兵第100大隊の慰霊 碑および萬華の塔が建っている。JA糸満市集 出荷場真壁支所向かいの慰霊碑の右側から壕 にいたる道がある。手記は2006年6月4日戦 時中の壕を調査するため千人壕に入った時の 記録である。戦時中の壕や洞窟の調査は単独 では危険なので、同行の士を求めているのだ が、誰も相手にしてくれない。奇人・変人以 外相手にする人はいないのかもしれないが、 戦争など既に忘れ去られた存在なのだ。今回 の調査の前に2005年11月13日に予備調査の ため壕の中ほどまで入っている。
(2006年6月慰霊の月に記す)