常任理事 安里 哲好
会場風景
前沖縄県医師会長稲冨洋明先生の退任激励 会が平成18年5月24日、ザ・ナハテラスにて行 われました。会場溢れんばかりの各界の方々が 出席されて、26年間の長きにわたり、沖縄県の 保健・医療・福祉・介護への貢献と県医師会の 牽引者としてのご苦労に感謝と敬意を表すと共 に、そして長い激動の年月を感じつつ、そして その中に和やかな日々の思い出にひたっていま した。乾杯の音頭をとっていただいた新垣善一 代議員会議長も永年のご労苦に感謝しておられ ました。
以下に沖縄県医師会長宮城信雄先生の発起人 代表挨拶を始め、功績紹介、来賓祝辞、稲冨洋 明先生のご挨拶を紹介します。
挨拶する宮城会長
本日ここに、前沖縄県医師会長 稲冨洋明先 生の退任激励会を開催いたしましたところ、時 節柄お忙しい中を多数ご参加賜り、厚く御礼申 しあげます。
また、本日は、稲嶺惠一知事ご名代の嘉数副 知事をはじめ、多数のご来賓にご出席賜り皆さんと共に、稲冨先生の労をねぎらっていただけ ますことに対し衷心より感謝の意を表する次第 であります。
稲冨先生のこれまでのご功績につきまして は、後ほど詳しくご披露されますが、先生は昭 和55年に沖縄県医師会理事就任以来、昭和63 年に副会長、さらに平成14年には第29代目の 沖縄県医師会長に選出され、2期4年間医師会 長として、本県の医療界をリードしてこられま した。
先生は、会長に就任されると同時に、「信頼さ れる医師会」づくりを提唱し、対内、対外の活 動において素晴らしい実績を挙げております。
中でも特筆すべき事項としては、県民との直 接対話を図る「医療に関する県民との懇談会」 の発足、マスコミ対策の強化、台湾国台中市医 師公会との姉妹会締結、日本医師会役員(理 事)、九州医師会連合会長としての功績等があり ます。稲冨先生のこれまでの長年のご労苦に対 し深甚なる敬意と謝意を表する次第であります。
さて、小泉内閣の構造改革が推進されて以来、 我々を取り巻く医療環境は未曾有の状況に陥っ ております。特に、4月から実施されております 診療報酬のマイナス3.16%改定は様々な分野で 影響が沸き起こり、加えて、去る18日の衆議院 本会議において、高齢者の負担増、6年後の介 護病床廃止に向けた療養病床再編等が盛り込ま れた医療制度改革案が可決されました。また、 社会保障のあり方懇談会では、一端阻止した 「保険免責制」の導入を示唆しております。
一方、本県では、26位ショックに加え、平成 16年度政府管掌保険生活習慣病予防健診で、30 歳以上の肥満率が男女共に全国ワーストワンと いう結果になっており、県民の健康が肥満に蝕 まれるという現状です。又、県立北部病院・八 重山病院の産婦人科医不足、宮古・八重山病院 の脳外科医不足等、解決すべき問題が山積して おります。いずれの問題につきましても地域医 療を担う私共医師会の果たす役割は極めて重要 であり、県行政、琉球大学医学部、県立病院等 と緊密な連携の下に対処しなければなりません。
このようなことからも、稲冨先生の長年のご経験、卓越したご見識によるご指導、ご助言が 不可欠でございます。何卒、今後とも私ども後 輩に対するご指導をお願い申し上げる次第であ ります。
終わりに臨み、これまで先生が健康で立派な 実績をあげて来られたのも、側ににこやかに立 っておられる民子夫人の支えがあったからこそ だと思います。民子夫人にも改めて感謝申しあ げますと共に、ご家族の今後ますますのご健勝 とご多幸を祈念いたしまして、ご挨拶といたし ます。
真栄田常任理事
平成14年4月より、2期4年にわたり本会の会 長を務められた稲冨洋明先生が、去る3月31日 付をもって退任されました。稲冨先生のこれま でのご功績について、今一度その足跡を辿り、 先生の長年のご労苦に対する謝意と敬意を表し たいと思います。
先生は、昭和37年に山口県立医科大学をご 卒業され、その後同大学精神神経科医局を経 て、昭和45年に初めて来沖され、田崎病院で約 8ヶ月間の勤務を終え帰任。帰任後、極めて脆 弱で旧態依然の沖縄の精神科医療を憂い、昭和 49年再び来沖され、患者さんの人権やアメニテ ィーを考慮した新たな精神科医療を目指し、現 在地に糸満晴明病院を開設され、爾来、30年以 上にわたり、県下の精神科医療の先駆者として 地域医療の向上発展に努めてこられました。
沖縄県医師会においては、昭和55年理事就任を皮切りに理事8年、副会長14年、平成14年 には会長に就任され2期4年、合計26年間にわ たり、沖縄県医師会の牽引者として会務運営、 事業推進に尽力されました。
以下に稲冨先生の会長在任中の特筆すべき事 項を紹介いたします。
1.「信頼される医師会づくり」の功績
平成14年の会長就任に際し、「信頼される医 師会」づくりを提唱し、様々な形で実践してこ られました。
先ず、県民から信頼を得る為には、対外広報 活動が必要不可欠であるとし、「県民公開講座」 の開催、沖縄県老人クラブ連合会や婦人会連合 会等の各種団体の代表者で構成する「医療に関 する県民との懇談会」の実施、「マスコミとの 懇談会」の定期開催等に努め、県民への適切な 情報発信と県民との直接対話を強力に推進され ました。
一方、会内では、「医の倫理向上」「自浄作用 の活性化」「医療安全対策」等に力点を置き、 県内外からそれぞれの専門家を講師に招聘して 講演会を開催すると共に、中央から収集した情 報を会員に提供し、会員自らが「安心で安全な 医療の確保」に取り組むよう促進し、信頼の醸 成に努められました。
2.「台中市医師公会との姉妹会締結」にかかる功績
本県は、従来から日本の南玄関として東南ア ジアとの交流の拠点を目指し種々活動を行って おります。稲冨先生は、医師会も、学術団体と してその一翼を担い国際交流の発展に寄与すべ きとの信念の元、隣国で歴史的にも結び付きの 深い台湾の台中市医師公会に姉妹会締結の申し 出を行い、台中市医師公会のご理解を得て姉妹 会締結を実現させております。
台中市医師公会との交流に際しては、相互訪 問のうえ医療施設の視察や両国の医療制度・医 療事情についての情報交換を行うと共に、平成 15年にアジアを中心に猛威を奮ったSARS発生 時には、医師協同組合を通してマスク3千枚を 台中市医師公会に届けると共に、感染症対策担当理事を沖縄県のSARS台湾視察団の一員とし て派遣し、SARS発生状況並びに、SARS疑似 患者に対する対応等について、台中市医師会と 本会とで、E−mailを活用した情報共有システ ムを構築する等、国際交流を通して、本県の SARS対策にも大きく貢献しております。
3.「県行政等各関係団体」に関する功績
沖縄県医師会長という極めて多忙の中で、沖 縄県医療審議会委員、健康おきなわ2010推進 会議委員等、県をはじめ関係諸団体の委員会委 員等を歴任され、その数は四十数種に及び、医 師会のオピニオンリーダーとして各方面で活躍 されました。特に、沖縄県医療審議会において は会長として、県下の医療提供体制の確保に尽 力されております。
4.「九州医師会連合会事業推進」の功績
平成17年度は九州医師会連合会長に就任さ れ、九州医師会総会・医学会、九州ブロック学 校保健・学校医大会をはじめとする諸行事を見 事成功裏におさめると共に、九州各県のまとめ 役として、九州各県からも高い評価を受けてお ります。
5.「日本医師会事業推進」の功績
平成14年には理事(2年間)に就任されると 共に、代議員(10年)、病院委員会委員(2年) を歴任される等、日本医師会の事業推進にも大 きく貢献されております。
6.その他の功績
その他、本会の長年の懸案事項であります会 館建設について、稲冨会長は任期中にその方向 性を導くと言明されておりましたが、稲冨先生 におかれては、県有地との等価交換作業を速や かに進捗させるよう直接稲嶺知事に働きかける 等、先頭に立って会館建設に向けて尽力され、 現在、県庁内部で等価交換に向けた具体的な作 業が進められております。
以上、稲冨先生の数あるご功績の中から、本 日は時間の関係上その一端のみをご紹介させて 頂きましたが、稲冨先生におかれましては健康 にご留意され、今後益々のご健勝ご多幸を祈念 申しあげます。
来賓挨拶する嘉数副知事
本日、沖縄県医師会前会長稲冨洋明先生の退 任激励会が開催されるに当たり、ごあいさつを 申し上げます。
皆様ご承知のとおり、稲冨洋明先生は二期四 年にわたり沖縄県医師会長の大役を果たされ、 この度退任されました。稲冨先生におかれまし ては、昭和四十九年に糸満晴明病院を開業さ れ、臨床の現場から患者の人権やアメニティに 注目した新たな精神科医療にあたられるととも に、平成十四年度から沖縄県医師会長として医 道の高揚、医学医療の発展普及と公衆衛生の向 上に大きく貢献されました。
さらには、沖縄県医療審議会の会長を始め、 沖縄県立浦添看護学校長等の要職を歴任し、沖 縄県保健医療計画の策定や健康おきなわ2010 の推進に関わるなど、本県医療施策の推進に御 協力いただくとともに、保健・医療・福祉の発 展に大きく貢献されました。この場をお借りし て心から感謝申し上げます。
さて、本県の保健医療の状況につきまして は、復帰直後の医療要員の不足や医療施設の未 整備等、種々の問題について国や県医師会の御 支援と御協力を得て、その改善に努めてまいり ました。
一方、急速な高齢化社会の進展と疾病構造の 変化に伴い、県民の医療に対する需要も多様化 し、県民一人一人の立場に立ったきめ細やかな 保健・医療の提供が求められております。県 としましても、関係機関と連携、協力し、総合的な保健医療体制の確立を目指して県民の健康 づくりを始めとする地域保健の向上、医療施設 の整備等に努めているところであります。
稲冨先生におかれましては、今後も御自愛の 上、その高い見識と豊かな経験をいかされ、本 県の保健医療行政の発展のために、なお一層の お力添えを賜りますようお願い申し上げます。
また、稲冨先生の後任として沖縄県医師会の 会長に就任された宮城信雄先生におかれまして は、本県の保健医療行政に対し御協力をお願い 申し上げます。
結びに、稲冨洋明先生の今後の御活躍並びに 宮城信雄新会長と沖縄県医師会のますますの御 発展、会員の皆様の御健勝を祈念いたしまし て、感謝の言葉といたします。
お礼のことばを述べる稲冨前会長
皆さんこんばんは。
本日は、公私共に大変お忙しい中を私の激励 会のために、嘉数副知事さんをはじめとする大 勢の皆様方にお集まり頂きまして、誠に有り難 く心から感謝申しあげます。
比嘉前々会長が「開かれた医師会づくり」を された後を引き継ぎまして、2期4年間ではござ いましたが、「信頼される医師会」づくりに頑 張ることが出来ましたのも一重に優秀なスタッ フ、事務局、そして皆様方のご支援とご協力が あったからこそと重ねて感謝申し上げます。医 師会と言えば「開業医の利益団体で政治的圧力 団体」であるという誤解を抱いている人が非常 に多いということで、この誤解を解くにはどうしたら良いかということで、比嘉 前々会長は、先ず会員、そして国 民に開かれた医師会であるべきで はないかということで、「開かれ た医師会」づくりをされました。 この開かれた医師会づくりを通し て、県民、国民から信頼されるべ きでありまして、当然信頼された 結果、社会的にも医師としてのス テータスの向上を図ることが出来 るということから、私は「信頼さ れる医師会」づくりをしようと決 意しまして始めたわけでございま す。県民公開講座、県民との懇談会、マスコミ との懇談会を定期的に開催し、禁煙宣言の実施 などを健康おきなわ2010運動との連携を図り ながら県民への健康教育の啓発活動に取り組 み、医療相談窓口の充実、医師会員の倫理の高 揚、医療安全の推進等に取り組んで参りまし た。また、平成16年の2月には国際交流の一環 として、沖縄と一番近い隣国でございます、台 湾の台中市醫師公會と姉妹締結し医学・医術・ 医療制度面での情報交換や相互交流を行ってお ります。
また、平成17年度は沖縄県医師会が九州医師 会連合会の当番県となり、九州各県から関係者を 沢山お招きし、様々な会議や会合を開催し無事 成功裡に終わることが出来ましたのも、皆様方 のご協力のおかげだと重ねて感謝申し上げます。
ご高承のとおり、医療界は相変わらず厳しい 状態にあります。解決しなければならない課題 が山積しております。こういう時期にスタート された、宮城新執行部は「地域に根ざした活力 ある医師会」づくりを目指しております。
どうか、これまで以上の皆様方のご支援、ご 協力を賜りますようお願い申しあげまして甚だ 簡単ではございますが、私のお礼と感謝の言葉 と致します。
本日は誠にありがとうございました。
左より、真栄田常任理事、喜友名福祉保健部長、稲冨前会長、民子夫人
印象記
常任理事 安里 哲好
26年間にもわたる長い年月、沖縄県医師会のためにご尽力いただき心より深謝いたします。台中市医 師会を最初に訪問した時の車の乗り降りや懇親会会場よりの階段を降りるときの痛々しさがいまだに記 憶に残っていますが、足のアキレス腱断裂の手術をされ、その後引き続き両膝の手術をされ、歩行器具 から松葉杖そして独歩と驚く程の回復でした。県医師会長そして九州医師会連合会長としての強い気持 ちが痛みをも抑え、目に見張るほどの短い期間での下肢筋力の回復を促したと思います。激励会での稲 冨先生を拝顔しますと、顔色も肌つやも良く、すこぶるお元気そうで、おそらく両足の筋力も若き頃に 戻ったのではないかと思われます。公務を卒業されると言うのではなく、引き続き私達をご指導してい ただきたいと思います。足が自由になったら、もう一度南アメリカヘの旅をしたいと言われていました。 会うたびにお若くなりいつまでもお綺麗な奥様と共に、どうぞ、次なる夢の実現を。