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慰霊の日に寄せて

宮城信雄

会長 宮城 信雄

沖縄戦殉職医療人の碑

沖縄戦殉職医療人の碑

梅雨が明け、沖縄では本格的な夏場を迎える なか、去る6月23日(金)「平成18年沖縄全戦 没者追悼式」が糸満市摩文仁の平和祈念公園で 開催され本会から参列した。

これまで慰霊の日には、比嘉元会長が就任以 来毎年欠かさず参列され、稲冨前会長も例年参 拝されている。当日は事務局も同行し朝9時に 病院を出発し沖縄陸軍病院の塔、沖縄戦殉職医 療人の碑を参拝し最後に沖縄全戦没者追悼式に 参加した。

強い日差しが照りつける中、はじめに沖縄陸 軍病院の慰霊祭へと向かった。沖縄陸軍病院の 塔は糸満市米須の交差点から糸満市向け、途中 あぜ道を通り5分ほどのところに位置する。さ とうきび畑に囲まれたのどかなところに塔が建 立されており、敷地内はガジュマル、木麻黄の 木々に囲まれ敷地内にはガマ(壕)がある。

9時40分頃には沖縄陸軍病院の塔に到着し、 参拝者もまだまばらな中で慰霊祭を司る長田紀 春先生に挨拶し10時からはじまる慰霊祭に備 えた。

沖縄陸軍病院の塔は「戦没された沖縄の陸軍 病院の傷病兵及び職員と学徒」の皆さんが祭ら れており、昭和39年1月に建立され、平成4年 に再建されていることが碑文に刻まれている。

塔には沖縄陸軍病院慰霊会をはじめ本会、看 護協会、南風原町長や県外者と思われる方から の供花が10対ほど飾られ120名位の参列者の中 で慰霊祭が執り行われた。

沖縄陸軍病院の塔慰霊祭

沖縄陸軍病院の塔慰霊祭

司会を務められた宮里氏から、久しぶりにお 姉さんの元へ来られたと挨拶され、二度と戦争 を起こさないことを誓い黙祷を捧げ読経、弔辞 へと移り、慰霊会の長田会長を始め参列した3 団体(南風原町長(代)、沖縄県医師会長、看護協会長(代))から、戦没された御霊に対し それぞれ哀悼の意を表した弔辞が読み上げられ た。引き続いて、代表焼香として当時の関係者 4名(三好さん、陸軍病院の患者さん、衛生兵、 具志さん(第三外科婦長))から焼香が行われ た。

県外から来られたという三好さんは高齢のう え、体の不自由さを感じられる中参列され、又、 具志さんは90歳を超える高齢にも関わらず毎年 参列されているとのことである。焼香するその 後姿からは戦後の月日の流れと戦争の悲惨さが 生んだ重荷が感じられた。

続いて、沖縄戦殉職医療人の碑へと向かっ た。同医療人の碑でも本会からの供花と沖縄県 薬剤師会並びに県外の方からの供花が供えら れ、焼香を済ませて全戦没者追悼式へと向かっ た。会場の平和祈念公園まで交通渋滞が続きの ろのろ運転する中、平和行進団の巡礼が車を追 い越していく。やっと会場に着き腰をおろし、 しばらくすると小泉総理をはじめ河野衆議院議 長、扇参議院議長、小池沖縄担当大臣等の政府 要人が会場入りされ、正午の時報と共に黙祷が 捧げられ、稲嶺知事の恒久平和を願う平和宣言 等追悼式が執り行われた。その模様は既にマス コミで報道されており割愛するが、この追悼式 では毎年「平和の詩」の朗読が行われている。 今回は那覇商業高等学校の池 彩夏さんの「若 い瞳」が朗読された。詩の内容は、"時代の流 れにブレーキが使えたらいい〜そのブレーキに なれるのは私達若者かもしれない〜その瞳の光 は何よりも強く真っ直ぐ沖縄をみつめている のだから" と結んでいる。追悼式の中でいろ いろな弔辞が読み上げられるが、いつも詩の朗 読に感銘を受け平和の尊さを感じる。

現在、世界各地で地域紛争、テロが続発し住 民をはじめ幼い子供までその巻き添えになって いる。戦争は自らの人間性をも見失い全てのも のを破壊する。慰霊の日に世界の恒久平和を願 い、また、人々が安心して暮らせることを願い 黙祷を捧げるものである。