認知症

高石利博・もとぶ記念病院(2016年7月19日掲載)

汝がその瞬間を愛せよ


 重度認知症病棟でお年寄りに「年はいくつになったねー?」と聞くと、大抵は「ワッシタン」と答える。中には10歳と答えたり、「二十歳になったサー」と答える人もいる。17歳というハナさんは恥ずかしそうに診察時に胸を隠したりする。今日は風呂に入らないと頑張るカマドさんは昨日子どもを産んだばかりだからという。元大工で働き者の次郎さんは、ホールのイスを積み上げて家作り仕事に熱中している、80歳の元気なヨシさんは、子どもたちに弁当を作らなければ、とそわそわしている。


 つまり認知症のお年寄りの「若返り・過去化」がこのような言動から伺われるのである。この若返り現象は、単に記憶の障害の構造的なこと、つまりリボー(Ribot)の法則などから考えられる、最近のことから忘れる、知的に習得されたものから忘れる、快感を伴う感情は不快感の体験よりは失われがたいなどのことなのか。


 あるいはもっと複雑な人間の心理に基づく何らかのメカニズム、不安・絶望・悲哀などへの防衛、あるいは認知症性適応と言われる時・場所・人の順で見当識(自分が置かれている状況の認識)が失われたとき、なじんで知っていることや作話などの虚構的加工で安心していることなのか。


 さらにはもっと深刻に、人生の終焉(しゅうえん)に体験する自己像の喪失に伴う危機的状況を回避する最後の手段として、幸せだったころに逃げ込む究極の退行なのであろうか。われわれはごく自然に「時」の流れを意識することなく生活している。一方認知症のお年寄りはそれを忘れるだけではなく、ダイナミックに時をさかのぼり、若く充実して輝いていた自分、両親の絶対的愛に包まれていたころの自分に、戻ってしまったのである。


 それは、死に至る残り少ない時間を「過去にさかのぼる」ことで安心して生きているといえようか。いずれにせよ人生における「時」という止めようのない真実に、むなしくも果敢に立ち向かっているように思えてならない。われわれにできることはそのお年寄りの心に寄り添い見守ることである、「汝(な)がその瞬間(とき)を愛せよ」と。

このページのトップへ