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"フィレンチェで考え
そのごのご"(一)

喜久村徳清

三原内科クリニック 喜久村 徳清

拙稿は昨年5 月連休、イタリア旅行の際の一 部をつづったものです。

ガイドの話を耳にしながら5 月3 日午前、ヴェネツィアよりフィレンチェへむかう 高速道ハイウェイ を大型バスの中で快適に過ごす。「コロンブス はイタリア人・ピノキオ童話はフィレンチェ産 まれ―は意外と知られていない。京都と姉妹 都市を結び交流が盛んで・・・・」。市街地を 横目に小路に入ってアルノ川南側の小高い丘 にあるミケランジェロ広場に着いた。そこから 望見される街は、比叡山よりはじめてみた京都 の街並を想いださせた。

団体で昼食にフィレンチェ風ステーキをごち そうになり観光に出かける。ジョットの鐘楼が 脇に立ち、「天国の扉」のあるサンジョヴァン ニ洗礼堂の前に堂々と建っているドゥオーモ (サンタ・マリア・デレ・フィオーレ大聖堂) があり、その入口には当日券を求める人達で長 い列ができていた。団体客は予約済みの別の通 路よりスムーズに入場し、経験豊かな案内人が 感動与える話術でリードする。

ヴェッキオ宮の広大な500 人広間では、「皆 さんは今、中世の政庁舎に居るのです。議員し か入れなかったこの場所で、当時の光景を想像 してみて下さい」。ウフィツィ美術館では必見 のボッチェリ、ジョット、ダ・ヴィンチ、ミケ ランジェロ、ティチアーノの作品の前で手際よ く説明する。撮影禁止の館中であり、(製本化 された画集に優る写真は撮れない。帰国後、い つか存分に堪能しよう)と考えながらガイドに 従っていく。そして館内唯一の撮影許可所へ誘 導されると、そこから窓の外は撮影OK(写真 1)。詩人ダンテが月をみて感動したというヴェ ッキオ橋とアルノ川があった。

写真1.

写真1. ウフィツィ美術館より眺めるアルノ川と橋

旅は人生に似るという。詩人ダンテの生家が あるというのでたどり着いてみたら、今ではカ フェが建ち、チャッキリス風の若者4、5 人が たむろして珍しそうに旅人ガイジンをみた。道の向かい 側にはたまたまピノキオグッズ店があり、ここ ではのんびり退屈そうに店番をしている若者 がいた(写真2)。サンタ・クローチェ教会前 の広場(写真3)は古代サッカーが行われ発祥 の地を誇っているが、団体旅行の解散場所とな り、教会内の墓石は翌日訪れることに決めた。

写真2.

写真2. ピノキオグッズ店

写真3.

写真3. サンタ・クローチェ教会前広場

ミケランジェロ製作のダヴィデ像のオリジナ ルはアカデミア美術館にあり、常々その魅力を 感じ、疑問(バランス、手背等)ももっていた ので、自由時間を調整して、早朝訪れることに した。たどりついた美術館の最奥端の巨大な円 形ドームの下には台座を含めて6 メートルも超 える大理石に彫られたダヴィデ像が建ち、照明 効果や空間のバランスも絶妙で、近づくと絶好 のビューポイントがあり1 人の老婦人が腰掛け て見ていたのだがそのうち立ち去った。私は幸 運にもその場所からダヴィデ像を見ることがで き、しばしの間、夢の世界へ誘いこまれるよう な一日中でもそこに居れる様な至福の時間を過 ごすことができた(わかるでしょう。シニュー リア広場にあるレプリカ(写真4)とは全く異 なります)。

写真4.

写真4. シニョーリオ広場のダヴィデ像(レプリカ)

たまたま早朝に来訪し至福の場所にありつ いたが、旅の途中でまた出かけねばならない。 これもまた人生によく似ているとつくづく思った。

シニョーリア広場はかつては政治活動、現在 は市民の憩いの場として親しまれているが、天 井のある彫刻廊ロッジア・ディ・ランツィには ヘラクレスとカウス、ネプチューンの噴水、サ ビーネ女の略奪の彫刻が建ち並んでいる。フィ レンチェの象徴ドナテルロの獅子像(写真5) はいかめしくみえるが、見る角度により表情豊 かに、ユーモラスにさえ見える。沖縄のシーサ ーもふと思い出させて、そのルーツは?、ど こ?、何?、今さらながら興味を湧きたたせる。

写真5.

写真5. シニョーリオ広場、彫刻廊ロッジア・ディ・ランツィにある獅子像

3 日、夜19 時30 分、ローマ街道を北上して 夕食と夜景を楽しむオプショナルツアーに参加 し、出かけることになった。案内されたトラッ トリア OMERO で、少し硬めのビステッカを 地元のバージンオイルをかけて食した。少々濃 いめの緑の香ばしいかおりが口内にじわっーと ひろがり、ワインを飲む。そしてあの、地中海 性気候の天空が待つミケランジェロ広場の丘へ と、向かった。

(つづく)