曙クリニック 玉井 修
湯布院温泉の旅館で早めの朝食を食べると、 私は小学校六年生の息子と朝の散歩に出かけ た。外はまだほの暗く、旅館近くの河川敷を歩 いて行くと空から粉雪が舞い降りてくる。息子 に生まれて初めての雪を見せることができた。 ああ、やっぱり正月旅行で湯布院に来て良かっ たという気持ちで胸がいっぱいになる。
粉雪の中、静かな河川敷を1 時間ほど歩い た。初めての雪だというのに、息子ははしゃぐ 様子もなく、ジャンパーの袖口に付いた雪を不 思議そうに眺めては微笑むだけで、むしろ大騒 ぎしているのは父親の私の方であった。考えて みたら息子と一緒にはしゃいだことも無く、ゆ っくり話をする機会さえほとんど無かった。雪 を見たからと言って今更はしゃぎ回れるはずも ない、寒風吹きすさぶ河川敷を歩きながら、私 は父親らしい事を何もしてこなかった自分に自 責の念を抱いていた。
自院を開業する年に次男が生まれ、子供は 「くぇーぶー」を持って生まれてくるから、病院 はうまくいくよ等とよく言われた。自院と一緒 に成長していった息子ももう12 歳。この12 年 間はめまぐるしく働き、周りを見る余裕も、家 族の事を振り返る余裕も無かった。旅行に行こ うなどと考えた事も無く、そんな時間があれば アレをやってコレをやって等と考え、一生懸命 に駆け続けてきた。ふと気がつくと私は父親ら しい事を何もしていない事に気がついた。私は 父親失格だと思った。
湯布院では金鱗湖など幽玄な景色を見て回り、夕食は旅館で食べきれないほどのごちそう が並んでいた。夕食後に温泉に入ると、湯煙の 中息子の背中が見える。いつの間にか子供の背 中から少年の背中へと成長していた。もうすぐ 私の背丈も追い抜いてしまうだろう。
旅館で寝床に入りながら、息子に昔の話を聞 かせてあげた。自転車で遠乗りした思い出を語 ると興味を持ったらしく、今度自転車で友人の 家に行ってみたいと言う。それは楽しそうだ ね、と返事をしたが、息子はまだ上手に自転車 に乗れないのだ。小学校6 年生になっても自転 車に乗れないのは、子供の責任ではなく父親の 責任なのだろうと思った。もっとこの子の背中 を押してやれないといけない。
旅行から帰り、寒さも緩んできたある日、も う一年も前に購入してあった自転車を引っ張り 出して息子と自転車の練習をした。最初は転ん でばかりで、恐怖感からペダルに力が入らな い。何度かの転倒のあと、息子の背中を必死で 押しながら声をかける、もっと力を入れて、も っと遠くを見て、力を入れろ、勇気を持ってペ ダルを踏め。そのうちに息子は私の手を離れ、 自分の力でどこまでも進んでいく様になった。 父親の役割とはこの様なものなのだろう。子供 の中にある力を引き出し、背中を押しながら、 叫ぶ。もっと力をいれて、もっと遠くを見ろ、 勇気を持って踏み込め。まさに、それは今まで 私がこの子に言ってやれなかった言葉そのもの だった。