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〜「ゆい」の心で被害者支援を〜
賛助会入会へのご案内

公益社団法人沖縄被害者支援ゆいセンター理事長
湖城 英知

去る4 月18 日栃木県鹿沼市で12 トンのクレーン車が登校中の小学生の列に突っ込み6 人の小学生 が死亡した事故がありました。突然、我が子を亡くした両親、家族の深い悲しみを思うと支援の必要 性を感じ、何か手助けは出来ないものかと私達も悩み、考えます。事故や犯罪の陰には必ずその被害 によって深く傷つき苦しむ被害者や家族の存在があります。

そんな被害者や家族に手をさしのべ、様々な支援活動をしているのが私達「沖縄被害者支援ゆいセ ンター」です。

しかしながら、まだセンターの存在が県民生活に十分に浸透しているとは言い難く、きめ細かな支 援活動を充実させるためには財政基盤が弱く、十分な活動が出来ない状況にあります。今後とも関係 機関との連携を図り被害者支援の輪をより一層大きく広げていく所存でありますので、温かいご支援 をお願いするところであります。

私達の活動は、皆様の愛と思いやりの賛助会費、ご寄付によって運営されております。

沖縄被害者支援ゆいセンターとのかかわりについて

常任理事 真栄田 篤彦
(ゆいセンター常任理事)

平成14 年ころ、県警広報相談室から、被害者支援に関する依頼で県医師会から私が担当として出 務したのが最初でした。

当時は、中部で開業されている竹下小夜子先生や臨床心理士の崎原林子さん方が中心に被害者に対 するサポート活動を県警からの依頼のもとで行っていました。お二人とも一生懸命に頑張って活動を 実践しており、私はその活動を組織的に強化する目的で参加しました。組織としての規約等の文書は 全くありませんでしたので、スタートはNPO 法人の立ち上げからでした。インターネットで全国か ら被害者支援に関する団体の定款を集め、それを沖縄バージョンに定款や規約等を作成していきまし た。事業内容として「電話相談」をメインにスタートするために相談員の募集・養成するためのカリキュラムは竹下先生と琉大医学部保健学科の名嘉幸一教授、琉大教育学部心理学部講師(当時)の田 中寛二先生方が講師として指導してもらいました。相談員募集は新聞に安価で掲載してもらい、初級 相談員養成講座を受けて後に電話相談のボランティアをしてもらうのですが、被害者支援のための内 容が犯罪に関わることなので、気分的にも落ち込みやすく、電話相談員も継続することが難しかった ようです。

平成15 年、4 月24 日NPO 被害者こころ支援センター沖縄の設立総会では、「被害者こころの支援 センター沖縄(VSCO)は、犯罪や交通事故などの被害にあった方やその家族などが抱える悩みの解 決やこころのケアを支援する民間のボランティア団体です。相談電話は、専用の直通ダイヤルを設置 していますので、安心して相談してください。専門の研修を受けた相談員がお話を聴き、悩みに応え ていきます。」というポスターを作製して事業を展開していきました。

平成15 年9 月頃に県警広報相談室から「社団法人」に格上げするよう指導があり、NPO として活 動間もない期間での格上げに私自身びっくりしましたが、全国的にもNPO から社団法人への流れが 起きていたので、再度組織の構成等を検討していきました。「社団法人沖縄犯罪被害者支援センター」 として、理事長を誰にお願いするかという件で、琉大の元学長に依頼しようということで、私は早速 理事長就任依頼趣意書を作成送付までした後に、県警からは前公安委員長の尚弘子先生を推薦したい 旨の相談がありました。竹下先生方と相談して、これから先の「支援センター」が発展して尚且つ永 続性を維持していくためには組織は大きい方がいいという事になり、尚弘子先生が理事長にご就任頂 くのであれば、顧問は稲嶺惠一知事(当時)、県行政の県会議長、県警本部長の御三名に就任してい ただこうと提案しました。当初、竹下先生方お二人はびっくりしていましたが、組織は大きいほうが 資金集めに都合がよいとして、すぐに当時の知事秘書に電話を入れてアポイントをとり、自分で作成 した要請文を手渡ししました。

勿論御三人の方々は役職指定として了解いただきました。残るは、同センター理事者の方々も県内 で活躍されている方に就任いただくようお願いしていきました。琉球銀行の大城勇夫頭取は副理事長 として、また稲冨洋明県医師会長(当時)にも副理事長として就任してもらいました。県医師会から は、被害者支援活動なので精神科領域の先生にも理事に入ってもらいたいと考え、当時県医師会理事 として活躍していた稲田隆司先生にも参加してもらいました。稲田理事は主に相談員の資質向上のた めの講習会(初級者・上級者)講師として勤めてもらい、今日まで継続してもらっています。ほんと に感謝です。

法人化に伴い、事業活動も電話相談だけでなく、直接支援(被害者を直接帯同して病院や警察所や 検察庁・裁判所等への付き添い)もメインに組み込み、支援活動もより専門的になってきました。

平成16 年4 月28 日、設立総会があり、初代尚弘子理事長は、「沖縄被害者支援センター」の名称 を総会の場で「沖縄被害者支援ゆいセンター」と素晴らしい名称をつけてもらいました。私は当時開 業したばかりのモノレール「ゆいレール」のゆいと同じなので、問題があるのではと直言したのです が、尚先生はすぐ、当時「ゆいレール所長」の湖城英知氏に電話して了解を取り付けてくれました。 尚弘子理事長の第一の初仕事は当センターの命名でした。びっくりでした。

平成16 年12 月8 日には「犯罪被害者支援基本法」ができて、国家体制として被害者を支援してい く体制がますます求められていきました。

当ゆいセンターの資金を集めるために日本財団から500 万円を3 年間補助金を頂き継続できました。 また資金造成チャリティ公演も企画しました。当時は私が県医師会でのチャリティ「メディカルフェ スティバル」の担当でもあったので、ずいぶんと役に立ちました。なお平成18 年からは宮城信雄県 医師会長が副理事長に就任し現在まで続いています。

当センターは平成19 年12 月13 日に沖縄県公安委員会から「犯罪被害者等早期援助団体」として の指定を受けています。事件が起きた時に早期に被害者への連携が取れるようになりました。

国の法人改革で平成25 年までに法人移行手続きがありますが、当センターは二代目理事長の湖城 英知氏のもと平成21 年11 月県内で最初の「公益法人」格を取得しました。NPO 法人からスタート してあっという間の経過でした。当センターの果たす役割が正に公益性の高い事業であり、多くの 方々の援助を頂いて今後も発展していって欲しいと心から願っています。

平成7 年の地下鉄サリン事件や大阪教育大付属池田小学校での児童殺傷事件等凶悪化していく中 で、犯罪に巻き込まれた被害者たちがPTSD になり、社会的にも孤立し、かつマスコミには過剰に報 道で被害者の生活が混乱に落とされるという状況を鑑み、被害者をもっと救済する必要性から今日ま での被害者支援活動の発展に繋がっています。しかし16 年経過した現在でもまだ被害者支援は充分 ではありません。

沖縄県医師会の多くの先生方にも「沖縄被害者支援ゆいセンター」の存在意義をご理解賜り、ご支 援頂くために「賛助会員」になって頂き、更に「税制上の減免になるご寄付」をお願い申し上げます。