副会長 玉城 信光
去る平成23 年4 月24 日(日)、日本医師会 館において標記代議員会が開催され、原中勝征 会長挨拶、会務報告、各ブロックからの代表並 びに個人質問の他、議事として平成23 年度事 業計画、予算について審議されたので、その概 要を報告する。
定刻になり、日本医学会総会の矢崎義雄会 頭、永井良三準備委員長、山崎力幹事長より4 月8 日に予定していた日本医学会総会は、先の 東日本大震災を踏まえ、学術集会を中止するな ど開催形態を変更せざるを得なくなり、小規模 の展示会開催や、今回の震災を受けて、災害医 療・放射線医療・これからの医療・医学のあり 方に関する講演会を9月17 日(土)、18 日(日) の両日、東京ビッグサイトで開催することにな った旨報告があった。
続いて、石川議長から開会が宣され、今回の 東日本大震災において、全国各医師会から支援 いただいたことに対するお礼の言葉と、被災さ れた方々へのお見舞いが述べられると共に、犠 牲になられた会員各位に対し、代議員全員によ る黙祷が捧げられた。
その後、受付された出席代議員の確認が行わ れ、定数357 名中欠席4 名、出席353 名で過半 数以上の出席により、会の成立が確認された。 その後引き続き、石川議長より議事録署名人と して、伊藤隆一代議員(長野県)、塩見俊次代 議員(奈良県)が指名され、議事が進行された。
原中勝征会長挨拶
概ね以下のことが述べられた
3 月11 日の東日本大震災の発生から1 カ月半 が経過した。今なお行方不明の方が大勢おられ る中、岩手、宮城両県で11 人の会員が亡くな り、4 人が現在も行方不明となっている。自宅を離れ、過酷な環境で避難生活をおくっておら れる方には心からお見舞い申し上げる。
被災地の医師・医療関係者は我が身を顧み ず、献身的に必至に活動されている。日本医師 会が派遣したJMAT の先生方も困難な中、現 在、懸命な医療を行っている。
大震災直後、急性期の入院患者が多く、大変 厳しい状況に置かれた。現在、避難生活が長引 き、多くの方々は心身の不安・不調を訴えてい る。しかしながら医療は行き届いていない。国 民皆保険の日本において、医療を受けられない 方がおり、医療者としてこれほど辛く悲しいこ とは無い。被災地に一刻も早く医療を取り戻さ なくてはならない。また、大震災以前にも増し て、安心・安全な姿に再生しなければならず、 このことを強い決意を持って国民に約束する。
新しい日医の執行部ができて1 年が過ぎた。 当初「ねじれ執行部」といわれたが、私は役員 が必ず、国民・会員のため心をひとつにして立 派な執行部ができると確信していた。今回の東 日本大震災では、役員がこれまで培った力を発 揮し、全力で医療再生に遭進しており、自分の 考えが間違っていなかったと確信している。
医療政策面では、昨年11 月に「国民の安心 を約束する医療保険制度」を発表した。
現在、仙台市の人口と同数の方が国民健康保 険あるいは社会保険に加入しておらず、全国の 20 %の方々が保険料を納められない状況にあ る。その原因となっている保険料の格差を解消 するため、この度初めて日本医師会は保険料を 一本化する案を発表した。
保険組合は財産を持っているため保険料を安 く設定できることから、容易に一本化は出来な いと考えるが、国民皆保険制度を守るためには この問題は避けて通れない。
地域医療再生計画については、これまで地域 医療再生計画を評価する厚労省の有識者会議に 日本医師会から参加できなかったが、今回の政 変によって参加できるようになり、都道府県医 師会の代表者にヒヤリングを行うことが実現で きた。また、今年度の地域医療再生計画の実行にあたっては、「地方自治体が半額出さなけれ ば給付しない」という項目を削らせると共に、 「執行にあたっては、県は県医師会と相談する」 旨の文面を入れさせた。医療連携を中心とした 本来の地域医療に再生するため、基金を十分に 活用してほしい。
介護療養病床については、平成23 年度で廃 止される予定であったが、日本医師会で現状調 査を行い、介護療養病床から他に移れる患者は ほとんどいないという事実をデータとして政府 に届けた。その結果、廃止は6 年間延長となっ た。今回の東日本大震災にあたっては、現場で は、医療と介護はまったく同じ線上にあるもの だと確信している。
この経験を生かし、今後政府に対しこの問題 を真剣に考えて頂きたいと思っている。
JMAT については、どういう形で実行させる か考えていた矢先に大震災が起こった。3 月15 日、各都道府県医師会にチーム設置の要請を行 ったところ、全国から想像以上の申し入れがあ った。当初は1 カ月で終了するかと考えていた が、現在も百数十チームが活動しており、これ までに460 チームが現場に入っている。
政府のDMAT は48 時間で終了したが、その 後は医師会のJMAT が今日までカバーしてい る。この活動に対して、これまで精神科病院協 会、全日病、病院協会等の各医療団体が別々の 行動を取っていたが、今後はJMAT の中で活 動させて欲しいとの要望により、医療団体がひ とつになって行動を起こすことになり、大変な 進歩だと考えている。
現場に行かれた先生方におかれては、今後の JMAT の活動に対し、大きな示唆を与えて頂け るものと考えている。
また、石川議長から、海岸に打ち上げられる ご遺体が一日数百体、がれきの下に埋まってい るご遺体が数えきれないほどあり、死亡診断書 を作成する鑑定医を派遣してほしいとの要望が あり、警察医を中心とした先生方を現場に送ら せて頂いた。本件に関しては、歯科医も歯形に よって特定しようと努力しているが残念なことにその地域の歯科診療所も全て流されてしまっ たために、カルテが果たしてどれだけ残ってい るか、懸念されるところである。日に日にご遺 体が痛んでいくお姿を見て、自衛隊員が精神状 態がおかしくなり、その場から逃げてしまう状 態が生み出されているという事態は正に予想外 である。そのような中で、現在も活動されてい る先生方に対しては、心からお礼を申し上げ る。これから長引くに従って、地元の先生方に 徐々に代わっていかなければならないと考えて いるが、医師が足りない地域には改めてJMAT 派遣のため先生方にご協力をお願いしたい。
福祉医療機構が行っている社会福祉施設・医 療施設への貸付事業が政府の事業仕分けによっ て廃止される可能性が出たことから、その継続 を訴えていた折り、今回の東日本大震災が発生 したことにより、それまで貸し出された額の倍 の貸付が可能となり、しかも手続きが簡素化さ れることになった。
今回の大震災において、私は今回1 人で現場 を視察した。まずは故郷の福島県浪江町を訪れ たが、私の生まれた町はもう再興されることは ないのではないかと思った。更に、高等学校が あった町が福島原発問題が起こっている町であ り、その町も再興は望めず、私は自分の故郷を 失ってしまった。宮城県の浜辺も見てきた。発 生から3 週間経ったが、道路の脇のがれきの下 に、手や足が見える状況が残っていた。被災地 の現場の声が、県の声ですら、全く政府に届い ていない。政府は国民をどう思っているのか、 心から憤りを感じ、早速政府に対し抗議を行っ た。その結果、担当者が現地に赴き実状を把握 し、対策に取り組んでいるところである。
今回の大震災における対応では数々のご批判 のメールを頂いた。
先生方が医療支援を行うため現地に向かうに もガソリンが殆ど無い状態であった。私は通行 許可証を取得し、自分で茨城の高速道路の状況 を確認した上で国土交通大臣に連絡を取り、道 路を整備してもらいタンクローリーが通行出来 るようにしてもらった。その結果、茨城県内で は並ばずに給油が出来るようになった。
更に、被災地ではあの寒さでオイルも足りな い状況であることから、国土交通大臣に要望し た結果、日本海側の鉄道を通すことが最良の策 として、鉄道の復旧を進め、岩手、宮城、福島 にそれぞれオイルを運べるようにしてもらった。
この度、日本医師会、日本歯科医師会、日本 薬剤師会、日本看護協会、大学病院協会、全日 病、精神科病院協会等あらゆる関係団体が被災 地支援に向けて政府に意見を述べるための協議 会を立ち上げ、私が会長を務めることになった。
元の医療環境に戻せるよう努力して参りたい と考えており、誰もが、いつでも、どこでも受 けられる医療をいかに構築していくか、国民の ために政府に提言していく。
今後も国民のための日医でありたいと考えて おり、会員の皆様のご協力をお願いしたい。
会務報告、議事、代表質問・個人質問
原中会長の挨拶に引き続き、横倉副会長から 平成22 年度の会務報告の後、下記の議事が行 われた。
議 事
第1 号議案 平成22 年度日本医師会会費減免申請の件
羽生田副会長から資料に基づき提案理由の説 明があり、賛成挙手多数により原案のとおり承 認された。
第2 号議案 平成23 年度日本医師会事業計画の件
第3 号議案 平成23 年度日本医師会予算の件
第4 号議案 日本医師会会費賦課徴収の件
上記2 号議案〜 4 号議案について関連議案と して一括上程され、第2 号議案については横倉 副会長より、第3 号議案、第4 号議案について は羽生田副会長よりそれぞれ提案理由の説明が 行われた。
なお、本3 議案については、昨日財務委員会 が開催され細部にわたって審査されておりその 結果報告と、去る平成22 年12 月10 日に開催 された財務委員会の結果報告を併せて、三宅直樹委員長から下記のとおり行われた。
去る12 月10 日、第123 回日本医師会臨時代 議員で承認を得ている平成21 年度決算における 質疑応答、平成23 年度予算に向けての要望等 について審議しており、内容については、日本 医師会雑誌平成23 年3 月号に掲載されている。
また、昨日、第2 号議案から第4 号議案につ いて担当役員から説明を受け、慎重に審議した 結果、全会一致で原案どおり承認された。
なお、第2 号議案 平成23 年度日本医師会 事業計画については、震災対応について重点課 題に追加すべきではないかとの意見が多数出さ れたことから、常任理事会で協議され追加する ことになった。
※なお、今回の大震災に際し、復興・再生に 日本が全精力を傾けなければならないとの観点 から金井忠男代議員(埼玉県)より緊急動議と して診療・介護報酬同時改定の延期を盛り込ん だ決議文が提出された。しかし、改定論議は行 うべきとするなど賛否様々な意見が出され纏ま らなかったことから、金井代議員が決議文を取 り下げ、今後の対応については執行部に一任す ることになった。
続いて各ブロックからの代表・個人質問が行われた。
執行部に対する各ブロックからの質問は、代表8 題、個人18 題であった。
今回の東日本大震災を教訓として、今後さら なる大震災が発生することを想定し、対策を立 てておくべきとする質問に対し、答弁に立った 原中会長より概ね下記のとおり回答があった。
「福島原発の問題が解決されない間は対策を 練ることは難しいが、政府の対応が遅れたこと は確かであり、今回の補正予算に関しても非常 に少ないと思っている。神戸の大震災の時には 特別会計が約8 兆円だったが、今回の災害に対 しては、恐らく5 倍以上の額が必要になるだろ う。避難所での食事もカップ麺と乾パンだけという状態が続き、タンパク質や生鮮食品、ビタ ミン剤などを摂取しないと健康障害が起こる。 医療関係者のライフラインをつなぐという手段 に関しても最優先に取扱うよう政府に声明を出 すつもりである。」
中小病院の救急医療への参加のルール作り、救 急車の有料化、医療裁判への対策に関する日医 の見解が求められことに対し、答弁に立った羽 生田副会長より概ね下記のとおり回答があった。
「無制限な救急車の利用の対策は重要で、安 易な救急利用を抑え、緊急性の高い患者を迅速 に搬送しなければならない。民間病院の撤退が 相次ぎ、2 次救急全体を押し上げるような政策 が必要であることから、昨年度の消防法改正で 民間の2 次救急病院への特別交付税措置が創設 された。救急車の有料化については、患者や家 族の負担を多く求めることには慎重であるべき で、日医としては救急サービスの有料化ではな く、救急相談や初期救急、2 次救急などの充実 で、医師や地域の医療機関の善意が報われるよ うな救急医療体制づくりを求めていきたい。医 療安全調査委員会の設置については、昨年12 月、会内に「医療事故調査に関する検討委員 会」を立ち上げて議論を重ねているところであ り、一応の方向性が骨子として示される見通し である。その内容に多くの意見を求め、医療界 全体の目標に据えて進んでいきたい。」
昨年閣議決定された「新成長戦略」におい て、医療・介護を成長牽引産業と位置づけ経済 活性化を図ろうとする政府に対する日医の見解 が求められたことに対し、中川副会長から概ね 下記のとおり回答があった。
「医療に成長牽引産業としての役割を期待す ることは、医療を営利産業化することであり、 日医は厳しく問題を指摘し、一貫して反対してきた。医療現場では効率化が優先され、安全性 が失われてしまう。政府は規制・制度改革に係 る方針を取りまとめ、医療法人以外の役職員が 医療法人の役職員を兼務できるよう閣議決定し た。多くの被災地で十分な医療を受けられず、 全国民で復興に立ち向かおうとするとき、政府 は国民皆保険制度を揺るがす方針を打ち出して きた。これによって医療法人の経営に営利法人 が関与できる道筋がついた。震災の混乱の最中 に、一方的に決定してきたことに激しい憤りを 覚えており、断固として阻止する。現政権には 国民の安全と安心を守る理念がなく、復興に乗 じて、国民を欺く手口で政策を決定している。 与野党を問わず、新自由主義、市場原理主義か ら脱却できない国会議員とは決別する覚悟も必 要であると考える。」
東日本大震災の発生が被災地域の医療に及ぼ す影響は計り知れず、「社会保障と税の一体改 革の議論」や「医療・介護同時改定」を凍結す る必要性について日医の見解が求められたこと に対し、中川副会長から概ね下記のとおり回答 があった。
「前回が診療所にとって実質マイナス改定だ ったことを受け、次回は大幅な改定を主張すべ きところであるが、今は大震災からの復興・再 生に日本は全精力を傾けなければならないこと から、苦渋の決断で診療・介護報酬同時改定の 見送りを提案する。
なお、震災で混乱していることから、医療経 済実態調査、薬価基準・保険医療材料価格調 査の中止を申し入れる。介護報酬の改定は見送 るが、改定の年に見直される介護保険料の決定 に必要なことは行う。不合理な診療報酬につい ては、留意事項通知や施設基準要件の見直しな どを政府に強く求めていく。
被災地に医療を取り戻し、その上で日本の医 療全体を再生させたい。これが現時点で日医が 取るべき道だと信じている。」
適正な医師数の基準、出身大学のある都道府 県での研修、地域偏在、診療科偏在との解消に 向けての女性医師の現状と対策について日医の 見解が求められたことに対し、羽生田副会長か ら概ね下記のとおり回答があった。
「1 月に公表した医学部教育と初期臨床研修 制度の改革案について見直しを行い、各都道府 県医師会に送付した。基本骨格は、医師は地域 の大学を中心に8 年かけて育てるというもの で、初期臨床研修制度は原則として出身大学の 都道府県内で行うとしていたが、各都道府県医 師会や関係団体から批判が多く寄せられたこと から見直しを行い、「出身大学に軸足を置きつ つも、研修希望者の意向を勘案し、出身大学の 都道府県以外も含めて研修先を決定する」と内 容を変更した。
また、「6 年間を通じたリベラルアーツ教育で 医師としての資質をかん養する」と内容を変更 した。」
今回の東日本大震災に際し、被災会員の日医 会費、日医として具体的な対応策、医療施設を 失った会員に対する支援策について日医の見解 が求められたことに対し、今村常任理事より概 ね下記のとおり回答があった。
「日医会費の減免については、本人が被災ま たは医療機関の被災で診療が出来なくなった会 員は、当面1 年間をめどとして減免措置を講じ る方向である。
被災した県医師会の事務負担増にならない包 括的な手続きで対応できるよう検討中である。 被災した医療機関の再建、診療再開への財政的 支援は当然必要で、病院や診療所の建て替え、 修繕については、国庫補助率をなるべく高く し、都道府県・事業者負担分には特別交付税な ど財政措置を求めていくと共に、早期の診療再 開が困難な被災医療機関で、医師や看護師、事 務職員などが地域外に流出する恐れがあること から、一時的に職員を雇用する医療機関への支援や、診療休止医療機関と職員受け入れ先医療 機関とのマッチングシステムへの支援も要望し ていく。」
この他、「認知症対策」、「情報化関連事業」、 「地域医療支援病院」「患者窓口負担の軽減」等 についても活発な質疑が交わされた。
なお、代議員会は決議文の議論で時間が超過 したため予定していた質問を途中で打ち切っ た。※後日書面により回答
印象記
副会長 玉城 信光
私、玉城は議席番号273 番の席に座った。代議員総数357 名(4 名欠席)が日本医師会の大講 堂に集まった。
原中会長から震災のことなどを中心にJMAT の活躍などが述べられた。次いで会務報告を横倉 副会長が行った。日医の事業は多岐にわたり大変である。私たちの興味のある治験促進センター 事業の報告もあるが、膨大な予算の割には何をしているのか今ひとつはっきりしない。
その後、報告に見られるように会費減免、23 年度事業計画、予算、会費賦課徴収の議案が承認 された。
代表質問にはいくつか述べられたが、その中で次期診療報酬改定に関して中川副会長は苦渋の 選択で診療・介護報酬改定を見送るべきであるとの見解を述べた。
その後緊急動議として埼玉県の金井代議員から次のことが提案された。
- 1.日本の持てるすべての力を被災地の復興、さらには日本再生のために集中させる
- 2.被災地の医師・看護師、医療機関等を守り、かつ十分な医師・看護師等を確保する
- 3.被災地に国民皆保険の安心を取り戻し、さらには、より強い国民皆保険制度を構築する
- 4.来年度の診療報酬・介護報酬改定を行わず、被災地の医療再生に全力を尽くすの4 議題が出された。
大変もめた。1 から3 までは皆が賛成したものの、診療報酬・介護報酬の改定はすべきである。 震災とは別に考えるべきであると意見が飛び交った。午前の議論で収束できないので、午後の議 論として預かりになった。
午後は個人質問に対して日医の回答が述べられ、午後3 時30 分に終了する予定である。昼食の 後、代議員会が再開された。
個人質問の途中で緊急動議の修正案が示されたが、やはり診療報酬・介護報酬改定は行うべき であるとの意見を説得することはできず、ついに予定時間を超過し、午後5 時になったのである。 たくさんの疲労を肩に背負いながら沖縄県医師会のメンバーは中座することにした。
後日のメディファックスによるとやはり提案の取り下げになった。
医療行政の難しさを痛感した代議員会であった。