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奄美大島紀行 その1

牧港泌尿器科 金城 勤

私が牧港の地で泌尿器科診療所を始めてか ら、今年で十年目に入る。開業当初、診療所が 認知されるまでの比較的時間にゆとりができ、 さりとてこの先の不安を抱えて散財できない時 期に、私が始めたのは休日を利用した南西諸島 の旅であった。本土や海外へは色々な処へ出か けていたが、灯台下暗し、沖縄本島以外の南西 諸島へは全くと言っていいほど、足を踏み入れ た事がなかったからだ。

なかでも奄美群島は心理的には県外であって 県外でないような地域であり、文化や精神構造 など、以前から気になっていたところである。今 回はその中心地、奄美大島を旅した当時を回想 し、印象付けられたことを書きつづってみたい。

琉球エアコミューターで到着した奄美空港 は、予想よりこじんまりとした空港だった。さ っそく空港近くのテーマパーク「奄美パーク」 へ行く。なかの「奄美の郷」という一角では、 奄美群島の簡単な歴史が紹介されていた。かい つまむと、鎌倉時代は按司たちの時代。戦国時 代に琉球の中山王に攻め込まれる。喜界島が最 後まで抵抗したとのこと。沖永良部島に北山王 の子供がいて、中山王の和睦の船をこれに攻め 込まれるものと勘違いして自害した話、など、 ビデオで説明していた。琉球時代からノロが任 命されて続いてきたようだ。

次に「奄美民俗村」へ移動。そこには奄美の 古民家があり、客が来ると島唄を歌う役のおじ いさんがいた。客は私一人だったので、以前か ら気になっていたことをストレートに尋ねてみ た。「奄美大島は沖縄本島とそれ程変わらない 大きな島だが、なぜ人口7 万程しかいないの か。」と。以前はもっと人口の多い時期もあっ たらしいが「ずっと鹿児島の方に抑えられてき て、発展しなかった。」との返事だった。その 後、西郷さんが奄美へ流されていた時期の「竜 郷の家」へ寄った。ここで地元の女性と2 人の 子供ができたそうだ。

南洲謫居跡

南洲謫居跡(西郷さん住居跡)

初日の夜は民宿「たつや旅館」へ宿泊。夕食 は島唄の店「かずみ」へ出かけ、地元で有名 な、西和美さんの唄が聞けた。本人は三線が弾 けないので、弾き手が来てから唄が始まった。 歌い手が弾けないのは沖縄では珍しい。和美さ んは料理を作りながら、時折唄を歌っていくと いった感じで、料理はグルクンの唐揚げがうま かった。馴染みらしい若い男性客に「工工四は どうなっているのか」、と聞いたら、工工四は 無く、教える人がそれぞれ工夫したものがある とのこと。その人も自分の楽譜というものを取 り出して見せて説明してくれたが、よくわから なかった。本場で聞いた奄美の唄は裏声がよく 使われ、音の調子も違うので、沖縄民謡とは別 のものだと感じた。三線という共通点はあるも のの、奄美と沖縄の民謡を島唄としてひとくく りに語るには、個人的には無理があると思って いる。

翌日は朝から奄美博物館へ。館内に展示され たサバニのような木造船に乗った人たちの模型 は、頭にジーファーをしていて、姿恰好は昔の ウチナンチュと一緒だった。奄美の歴史を表題 「沖縄、日本、中国との関係」という年表で説明 していた。沖縄、奄美の関係は当初、友好的な ものであったが、尚巴志が沖縄を統一したころ から、従属的な関係になっていった、と解説し ていた。薩摩が琉球に侵攻してから、奄美は薩 摩の直轄地となり、黒糖生産を強いられて過酷 な支配だったらしい。台風で食べ物が無くなっ た時などは、ソテツを食べて凌いでいたらしい。 ソテツは毒抜きをしないと食べられないので、苦 しかった生活が想像できる。戦後は一時期米軍 統治下にあって、短い期間だが、また沖縄と一 緒になっていた時期があったことを再発見した。 奄美群島は早く祖国復帰を果たしたのだが、復 帰運動の展示にはかなりのスペースが割かれて いて意外だった。奄美の復帰運動にも独自の熱 い思いや苦しみがあったのだろう。復帰当時の 名瀬の様子を残したビデオに写っていたオバー 達の頭には、カンプーが結われていた。

午後から大島南部をドライブした。海岸線を 走るつもりでいてもすぐに山道となり、途中ト ンネルが多かった。山々が海に切り立っている 地形が多いせいなのだろう。ところどころ海岸 沿いの小さなスペースに集落があって、昔は隣 の村へ行くにも山越えしたり、船を使わなけれ ば行けなかったそうだ。私は以前から奄美大島 は沖縄本島の約2/3 の大きさがあるのに、なぜ 同様な発展をとげなかったのだろう、と不思議 に思っていたのだが、このような地形がその答 えの一つになるのだろうが。そうこう思いを馳 せながらも無事、南の町、古仁屋に着き、対岸 の加計呂磨島を見ることができた。ここはフー テンの寅さんの舞台にもなった島だ。大島との 間の海峡はリアス式海岸に挟まれてとても趣が あったが、目と鼻の先なのに橋が一つも架かっ ていないことが不思議に思えて、休憩した喫茶 店のママさんに「こんなに近くて大きな島なら 橋を架けるべきですね」と話したら、「人がい ないし、奄美は一度観光に来ても二度とは来な いから。」と寂しい返事だった。もっとも補助 金漬けで、こんな小さくて人がいない島に、な んでこんな立派な橋?という光景に出会う沖縄 の方が異常なのかもしれない。

切り立った海岸線

切り立った海岸線

つづく

(続きは、会報11 月号へ掲載致します。)